「……………………」
長い長い沈黙。
むしろ、絶句。
口にすべき言葉を思いつけないまま、星矢は、確かに ホラーの方が 百万倍 ましだったと思った。
そして、なぜ自分は、この落ちに辿り着く前に さっさと氷河の部屋から逃げ出さなかったのだと、深く悔やんだ。
しかし、辿り着いてしまったものは仕方がない。
そして、一度 聞いてしまった発言は、国会の議事録などとは違って削除できない――なかったことにはできないのだ。

「……えーと。それは、つまり、朝立ちってやつか? 瞬で?」
「はっきり言うなっ!」
「はっきり 言ったのは どこのどいつだよ! 俺だって、んなこと言いたくなかったぜ!」
削除できない議事録の発言を繰り返しただけの仲間を怒鳴りつけてくるとは何事か。
聞いてしまった発言を なかったことにできないのなら、いっそ その発言者を海の底に沈めてやりたいと、8割方 本気で星矢は思った。
星矢が わざわざ そんなことをするまでもなく、氷河は 既に、(少なくとも その心は)海の底より深いところまで埋没しかけていたようだったが。

「よりにもよって、マーマと瞬……。俺は病気だ。不治の病だ……!」
自分だけ椅子に腰を下ろしていた氷河が、両手で頭を抱え込み、盛大に悲嘆のポーズをとる。
「んー……」
苦悩する氷河に、『素人判断は危険だから、まずは病院に行け』と言って、知らぬ存ぜぬを通すことができたら、どんなにいいか。
だが、氷河の仲間たちには そう言って氷河を突き放してしまうことはできなかったのである。
身内の恥を外部に洩らすわけにはいかない。
そんなことをしたら、アテナの聖闘士の品位が疑われてしまう。
それほどに、氷河が見舞われている事態は、正義の味方にあるまじき事態だった。

「この地上で最も神聖な人と 最も清らかな人を、無意識の内にとはいえ、こんなふうに冒涜するとは、下劣の極み。俺が こんなに屈折したマザコンだったとは……。瞬に申し訳なくて、俺は 瞬の顔をまともに見ることができん……!」
氷河の呻吟で、とりあえず氷河と瞬の視線が会わなくなっていた理由だけは わかった。
それは、瞬が氷河に嫌われているからではなかった。
氷河は、彼にとって最も神聖な存在である母を、地上で最も清らかな魂を持つ瞬を巻き込んで汚している 己れの冒涜行為に打ちのめされ、そんな自分を許すことができず、瞬に顔向けができない状態に陥っていたのだ。

「うー……」
『病院に行け』と言って突き放すことはできないが、だからといって、他に 何ができるわけでもない事態。
これは、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間でも 諸手を挙げて降参するしかない事態である。
氷河が頭を抱えて苦悩のポーズをとっているのを幸い、結局、星矢と紫龍は そろそろと氷河の部屋のドアまで後ずさり、そのまま寒い氷河の部屋から逃げ出すことになったのだった。






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