「あーっ、星矢お兄ちゃんと紫龍おじちゃんだー!」 昨日、ウティスと出会った公園。 星矢と紫龍の姿を見付けたナターシャは、顔をぱっと明るく輝かせ、彼等の許に駆け寄っていた。 「ありゃりゃ、見付かっちゃったかー」 実は星矢と紫龍は、 ナターシャたちが この公園に来てからずっと、二人の大人と一人の青年と幼い少女――という異色のグループの様子を観察していた。 特殊な大人たちに慣れているとはいえ、昨日 知り合ったばかりの異邦人の手を ごく自然に握り、その無表情にめげるふうもなく笑顔を浮かべているナターシャ。 すっかり ナターシャが懐いてしまったウティスを 不愉快そうに睨んでいる氷河。 そんな氷河とウティスを 不安の色の瞳で見詰めている瞬――を、既に30分ほど。 彼等を十分に観察し終えたから、星矢と紫龍は 気配を消すのをやめて、ナターシャの前に姿を見せたのだ。 「サジタリアスとライブラ?」 無論 聖衣はまとっていないのだが、ウティスは小宇宙で それを察したらしい。 「おまえが、正体不明の“誰でもない”謎の聖闘士か。ほんとに、小宇宙が無感触だ。そんなに強そうには感じられないけど――おまえ、自分は氷河や瞬より強いって言い張ってるんだって?」 揶揄するような星矢の口調と言葉にも、ウティスは無反応、無感動、無表情。 全く楽しくない――逆説的に楽しい――ウティスの無反応に、星矢は両肩をすくめることで応えた。 「アノネー。パパにはマーマがいるから、ナターシャ、ウティスお兄ちゃんのお嫁さんになってあげることにシタヨー」 ナターシャは いったいいつの間に そんな考えを抱くようになったのか。 ナターシャに お嫁さんになってあげると言われて、お義理にも嬉しそうな顔を見せないウティスに、瞬は少々 慌てることになったのである。 ナターシャは鋭く繊細な感受性を備えた子である。 ウティスの無感動の様を見たら、ナターシャが傷付いてしまうのではないかと、瞬は その事態を案じた。 「ナターシャちゃんには、なりたいものが いっぱいあるね」 微笑一つ作らないウティスに、しかし ナターシャは傷付いた様子は見せなかった。 ウティスの代わりに星矢が、ナターシャ並みに人懐こい笑顔を浮かべる。 「ほんとにナターシャが懐いてるな。まるで愛想のない男なのに」 「氷河もそうだろう。ナターシャは、謎の聖闘士がパパに似ているから好きだと言っているそうだし」 「あ、そっか。そうだったな」 仲間たちのやりとりに ますます不愉快そうに眉を吊り上げる氷河を、星矢は平気で無視した。 「じゃあ、ナターシャ。俺たちは あそこのピクニックテーブルにいるから、ウティスオニーチャンと おやつを買ってきてくれるか?」 「ナターシャ、ウティスお兄ちゃんと おやつを買ってきてアゲルヨー」 星矢がナターシャとウティスを二人だけで買い出しに行かせるということは、彼と紫龍が ウティスを危険な男ではないと判断したからなのだろう。 そして、おそらく ナターシャとウティスに聞かせたくない話をするため。 瞬はナターシャにカードを渡して送り出してから、星矢たちと共に 公園の一角にある休憩用のパークベンチに移動した。 「あいつ、確かに、ナターシャが言うように、おまえに似てるかもな。もし おまえが瞬に会えなかったら、あんなふうになってたんじゃないか?」 ナターシャに手を引かれ、公園内の売店に向かうウティスの後ろ姿を視線で示しながら、星矢が氷河に言う。 「なに?」 氷河が反論に及ぶのを、紫龍が遮ったのは、氷河の反論を聞く価値のないものと考えているから――だったろう。 実際 紫龍が口にしたのは、氷河が言おうとした言葉より重大な内容のものだった。 「似ているのは 無愛想だけではないぞ。あの男、未来から来たと言っているそうだが……。それで、瞬が、あの男が おまえの子孫なのではないかと案じているわけか」 「紫龍……!」 言わずにいた方が穏便に済むことを、あえて紫龍が氷河の前で言葉にするのは、そうした方がいいという考えがあってのことだろう。 だが、紫龍の言を聞いた氷河に怒りを含んだ目で睨まれて、瞬は身体を小さく丸めることになった。 そして、氷河の怒りを逸らすために、小さな声で 弁解にならない訴えを訴える。 「そ……それは どうだっていいの。ただ、僕は 彼に幸せになってほしいと思うの。何者かになりたいなんて――なりたい自分の像を結べないなんて、不幸すぎる――ううん、幸せでなさすぎる」 「幸せでなさすぎる――ね。幸せでない人間が幸せになろうと思ったら、まず その当人が変わらなきゃ、どうにもならないぜ。傍で他人が何をしたって、当人が その気にならないんじゃ、無意味だし無駄だ」 「……」 そんなことは、瞬とて わかっていた。 才能に恵まれ、経済的に恵まれ、他者に虐げられることがなくても――人々に称賛され、羨まれ、家族や友人の愛に恵まれていても――それを 幸福と思うことのできない人間は、やはり不幸な人間なのだということは。 他人が 傍で何をしても、当人が変わらなければ、人は決して幸福な人間になることはできないのだ――ということは。 「ま、それでも 人に幸せになってほしいと願うのをやめないのが、おまえだけどさ」 星矢は、瞬の無意味な行動を責めるつもりはないらしい。 沈んだ様子で瞼を伏せている瞬を見て、彼は笑った。 そして、自分以外の男の幸福を願って沈んでいる瞬を 不愉快そうに睨んでいる氷河に 苦笑する。 「“誰でもない”聖闘士の心を案じるのは、おまえの仕事。そんで、氷河が馬鹿な真似をしでかさないよう、奴の正体を暴いてやるのが 俺たちの仕事」 心得顔で そう言って、星矢が 掛けていたベンチから立ち上がる。 ナターシャに手を引かれたウティスが戻ってくる。 小さな女の子に荷物を持たせるべきではないという常識は持ち合わせているらしく、ナターシャが手にしている荷物はウティスの手だけだった。 「正体を暴く……って、彼が何かを隠していると思っているの? 星矢たちは見当がついてるの?」 「それを、これから確認する」 ウティスが手にしていた おやつのレジ袋を受け取って、困惑顔の瞬に答えたのは紫龍だった。 推察し 仮説を立てたのは、紫龍らしい。 おそらく星矢も、その仮説が正しいと思っているから――星矢は 仮説の検証に乗り出したのだ。 「なあ。おまえ、聖闘士の技は 何でも使えるって、瞬たちに言ったんだって? ほんとに自己申告通りに どんな技でも使えるのか 試してみたいんだけど」 嫌味のない人懐こい笑顔で、星矢は、彼の希望を 無表情のウティスに告げた。 「おまえ、ペガサス流星拳も撃てるのか? 俺、一度も流星拳 VS 流星拳 っていうの、試してみたかったんだよ。同質で、同等の拳がぶつかったら、その力は相殺されるのか。相乗効果で、もっと大きくなるのか」 「同等? 俺の力の方が 大きいだろう」 「言ってくれるじゃん。でも、俺の小宇宙は いくらでも力を増すぜ」 星矢が 屋根付きテーブルベンチのコーナーから出て、運動場を兼ねている公園の広場に出る。 いつもなら 体操や太極拳をしているグループがいる その場所に、幸い 今日は人がいなかった。 周囲に人がいないからといって、アテナの聖闘士が そこでバトルを始めるのは、どう考えても、公園の利用者に禁じられている“迷惑行為”だったろうが。 「いくぜ」 「星矢、無茶はやめてっ。ここは公共の公園で、聖域の闘技場じゃないんだよ!」 瞬の声が聞こえていないはずはないのに、星矢は その拳を構える。 瞬は、星矢が行なおうとしていることは 単なる挑発行為で、本当に ここで流星拳を――聖闘士の拳を――撃つつもりはないのだろうと考えていた――油断していた。 だが、瞬の推察――希望的推察は外れた。 星矢の小宇宙が燃え上がる。 しかも、一気に、途轍もなく強く大きく。 星矢は本気のようだった。 本気で小宇宙を燃やしている。 では、星矢は ウティスを敵だと思っているのか。 ナターシャが こんなに懐いているのに――。 星矢の熱い小宇宙の感触に、瞬は 真っ青になった。 氷河は、膝の上にナターシャを座らせ、もともと気に入らなかった“誰でもない”聖闘士の出方を見守っている――もとい、睨んでいる。 「心配無用。星矢は、あの匿名希望聖闘士に 小宇宙を燃やさせようとしているだけだ」 頬を蒼白にしている瞬を落ち着かせるために、星矢の目的を紫龍が瞬に知らせてくる。 が、それで瞬が落ち着けるわけはなかった。 星矢の小宇宙は強大。 ウティスは小宇宙を燃やすことなく 絶対零度の凍気を生むことのできる聖闘士。 二人の力がぶつかって、何も起こらないはずがない。 「でも、彼の小宇宙は――」 「星矢ほどの聖闘士を相手に、本気にならずに戦える者などいない。ほら、始まったぞ」 「始まったって、何が……」 澄ました顔の紫龍を見詰めていた視線を、瞬が 星矢とウティスの上に戻す。 紫龍の言う通り、それは始まっていた。 |