そのやりとりも、もちろん星矢と紫龍は 氷河にご注進したのである。
瞬に『憧れていた』と言われた氷河は、瞬のその言葉を喜ぶどころか、滅多に感情を露わにすることのない顔を微妙に歪ませた。
低く 抑揚がないせいで静かに聞こえる声で言う。
「瞬は……いつも人間の善意と優しさを信じていて、俺は その意思の強さと、強さゆえの美しさに いつも圧倒されていたぞ。瞬は、自分がそうだから、他者もそうだと信じてしまえるんだろうな。自分が 幾度 裏切られても、傷付けられても、失望させられても、瞬は 人を信じることをやめなかった――やめない。誰もが善良で優しい心を持っていると、瞬は 自分が強いから信じることができるんだ。瞬は、決して他に流されない」

氷河が『憧れている』という言葉を使わないのは、『憧れている』より『愛している』の方が、氷河の中では より強い思いだからなのだろう。
だが、氷河が言っているのは、そういうことだった。
キグナス氷河もアンドロメダ瞬に憧れていた。
アクエリアスの氷河もバルゴの瞬に憧れている。
氷河は そう言っていた。

「俺なんかは 根がいい加減だから、人間は皆、俺同様に 根本は ろくでなしだと思っている。ただ 瞬がいるから、瞬のような人間もいるから、人間にも多少は救いがあるんだろうと信じていられるんだ。俺は いつも、瞬や沙織さんが 人間を信じる思いの強さに、呆れつつ感動しているぞ。神の域とは、ああいうことなのかと」
瞬ほど温良な言葉は用いないし、素直な物言いもしないが、氷河が瞬を何よりも誰よりも必要とし、何よりも誰よりも愛しているのは 疑いようのない事実だった。
この氷河が、瞬を置いて どこかに飛び去ってしまうかもしれないなどという考えを、どうして瞬は抱くことができたのか。
星矢は、それが心底 不思議でならなかったのである。

「ナターシャもパパとマーマを信じてるヨー。星矢お兄ちゃんも 紫龍おじちゃんも、ヨシノもシュラもカニさんも、ミンナ とっても優しい。パパ。マーマもパパを信じてるヨー」
パパがマーマをどれほど愛しているのか、恋しているのか。
その思いの届かなさを、氷河が どれほど焦れったく思っているのかを、ナターシャは感じ取れているらしい。
「ナターシャ、イイコにシテルヨー」
氷河が 自分のパパであると同時に、マーマへの切ない恋に身を焦がす一人の男であることも、ナターシャは わかっている。
氷河が腰を下ろしている三人掛けのソファの隣りの場所に乗り上がり、ナターシャは 恋するパパの頬に、その小さな手で触れた。

パパの恋の行方が、ナターシャは心配なのかもしれなかった。
娘に、その恋を心配される父親。
父親の恋を、幼いなりに真剣に案じる娘。
紫龍は そんな父娘の姿を眺め、僅かに微笑ましさの入り混じった苦笑を浮かべた。
「ナターシャは、氷河ではなく、瞬を見習うんだぞ。見習うなら、瞬だ」
「ウン。ナターシャ、マーマみたいにナルヨー」

そうすれば、マーマを熱愛するパパは、今より一層 自分を愛してくれるようになることを、ナターシャは知っている。
ナターシャは賢い。
それに比して、大人たちは――大人だからこそ?――いくつになっても、恋の思いに揺れているのだ。
自分たちが10代の少年だった頃も、氷河と瞬は こんなふうだったような気がする。
瞬の意識を自分の方に向けようとして、あれこれ騒ぎを起こし 空回りする氷河。
氷河のアプローチの意味が わからず、困惑する瞬。
幼い頃の自分を、今も その中に残しているのは、瞬だけではないのだ。

「ほんと、いつまで経っても、手がかかる奴等だぜ」
呆れた口調で ぼやく星矢に何事かを言いかけ、だが 紫龍は結局 口をつぐんだ。






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