『あなたは僕を知っているの』
『瞬というのは、僕の本当の名前なの』
『人違いではありませんか』
問うべきことを問わないまま、アンドロメダが駆け去ってしまったので、ペルセウスはアンドロメダに代わって氷河に尋ねたのである。
「君はアンドロメダを知っているのか。瞬というのは、アンドロメダの本当の名前なのか。人違いではないのか」
氷河は、回廊の柱の陰に この国の王が潜んでいたことに気付いていたらしい。
驚いた様子もなく、だが、何かを探るような目で、彼はペルセウスの表情を窺ってきた。

「アテナがアンドロメダの居場所を探し出したというのは――」
「俺たちの出会いが神の導きだということにすれば、瞬も その気になってくれるかと思ってな。俺は、瞬のあの澄んで美しい瞳に魅せられ、恋をした。その思いを伝えただけだ。そういう意味では、俺は人違いなどしていない。恋した相手を見間違う人間がいるとしたら、そいつは 恋人の名前か衣装に恋をしていたんだろう」
ペルセウスの質問を遮り、氷河が 答えになっていない答えを返してくる。

『君はアンドロメダを知っているのか。瞬というのは、アンドロメダの本当の名前なのか。人違いではないのか』
氷河は、その質問のどれにも答えていなかった。
彼は、恋をしている人間には 恋の思い以外の事柄は すべて付随要素でしかないと言っているにすぎない。

「……私も同じ見誤りを犯したことがあるので偉そうに言うことはできないが、あんな可愛らしい様子をしていても、瞬は男子だ」
とりあえず、その事実だけを伝えてみる。
「それが?」
氷河は全く動じなかった。
「それが……とは」
氷河の動じなさに、かえって ペルセウスの方が動じてしまう。
「瞬は美しい。澄んで綺麗な目をしている。心根も優しく清らか。だから愛した。それだけだ」
「それだけ……?」
「……」

人を愛するということは、“それだけ”のことなのだろうか。
そんなに単純なことなのだろうか。
王大后カシオペアの娘や孫に対する執着心や独占欲は、愛なのか、そうではないのか。
母カシオペアから逃げ出した王女アンドロメダは自分の母親を愛していなかったのか。
王女アンドロメダは 英雄ペルセウスを愛していたから、母と祖国を捨てたのか。
王女アンドロメダと英雄ペルセウスは、彼等の息子を愛していたのか。愛していなかったから、捨てたのか。
自分は、誰かに愛されているのか、いないのか。
ペルセウスの知っている“愛”あるいは“愛ではないもの”は、氷河の言う“愛”のように単純ではなかった。
「それだけ……なのか……」
低く呟いたペルセウスを、氷河は苛立ったような目で睨んでいた。



「アンドロメダ。ずっと私の側にいてくれ」
自室に戻ったペルセウスは、隣りの間に控えていたアンドロメダを呼んで、瞬に そう告げたのである。
それは、『そうしてくれ』という要望ではなく、『おまえが あの金髪の男と どこかに行ってしまうことはないな』という確認だったかもしれない。
「僕には行く当てもありませんから、そうできるものなら、そうしたいです」
アンドロメダは今日も、可愛らしい顔に似合わない慎重な答えを返してきた。
軽率な即諾ではなかったので、逆にペルセウスは アンドロメダのその返答に安堵した。



氷河は それ以降も、隙を見付けては アンドロメダに近付き、懲りずに 口説き落とそうとしているようだった。
そして 瞬は、そのたび 氷河から逃げおおせているようだった。
氷河がエティオピアにやってきた当初は、常軌を逸した彼の剣技や戦闘力に 恐れを成しているようだった王城内の兵たちも、アンドロメダに振られ続けている氷河を見ているうちに、彼を恐れる気持ちが薄れてしまったらしい。
最初のうちは 氷河の青い瞳に怯えているようだったアンドロメダも、場数を踏むにつれ、氷河を躱すコツがわかってきたらしい。
アンドロメダは 今では氷河を ほとんど恐れておらず、もしかしたら 嫌ってもいない――のかもしれなかった。






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