瞬は ごく あっさりと、アレスに 「僕、戦いは嫌いです」 と言った。 アポロンに、 「平和というものは、人間が自分の力で築いたものでなければ価値がないものだと思います。人に与えられた平和など、人はすぐに捨ててしまうでしょう」 と言った。 瞬の あっさりした審判を聞いたハーデスが、暗い漆黒の瞳を、(おそらく)彼にしては最高に明るく輝かせる。 三美女神の黄金のリンゴ争奪戦において、審判者パリスは、戦いの勝利より、地上世界における権力より、世界一の美女を選んだ。 トロイア戦争の原因にもなった その選択を、人は口を揃えて、人類史上最高にして最悪の 愚かな選択だったと言うが、はたしてそうだろうか。 戦いの勝利より、地上の権力より、世界一の美女。 パリスが選んだのは つまり、武力より、権力より、愛の力だったのだ。 その力に抗うことのできる人間がいるだろうか。 パリスは、彼にとって最も大きい力に屈したにすぎないのである。 瞬も、もしかしたら そうだった――のかもしれない。 瞬の選択に、ハーデスは狂喜した。 狂ったように喜んで、狂人のそれとしか思えない痴れ言を わめき出す。 「なんと賢明な審判! 人と神の別なく、世界で最も美しい男である余が、そなたに永遠の命と若さを与え、愛してやろう」 「世界で最も美しい男って、自分自身なのかよ!」 突っ込む星矢の声は かすれていた。 いちいち律儀に突っ込むのも疲れるのである。 聖闘士といえど、体力気力には限りがあるのだ。 まして、突っ込む相手が 揃いも揃って お利巧さんとは言い難い神々ともなれば。 瞬は、だが、気力は ともかく、体力は星矢ほど消耗していない。 瞬の声は、落ち着いており、静かだった。 「僕は、あなたより美しい人を知っています。あなた方の誰よりも美しい人を知っている」 「なにっ !? 」 「我等より美しい男がいるというのか」 「もちろんです」 静かで 落ち着いているが、力強い。 瞬は確信に満ちた様子で、きっぱりと言い切った。 「言っておくが、君自身は対象外だぞ。今 取り沙汰されているのは、最も美しい“男”なのだ」 男子である瞬に対して、随分な忠告だったが、瞬は立腹した様子は見せなかった。 瞬は自分を美しいと思うようなナルシストではなく、ゆえに 最初から自分自身は選択の対象外だったのだ。 その瞬が、容姿だけは それなりの神々に、彼等より美しいと確信している人の名を告げる。 「氷河は、あなた方の百万倍 美しいです」 「氷河ーっ !? 」 一部の氷瞬ファンにとっては当然の指名だが、大多数の人類と神々にとって それは、それこそ狂人の たわ言だった。 「こここここの男の どどどどどこが俺たちより美しいというんだっ !? 」 「瞬! 目が悪いなら目が悪いと、なぜ最初に言わなかった!」 「“美しい”の意味がわかっているのか !? “美しい”というのは、美しいということなんだぞっ。つまり、この男とは真逆ということだ!」 神々は言いたい放題だったが、今 この場で瞬の指名に いちばん驚いていたのは、瞬に指名された当の氷河だったかもしれない。 なにしろ、氷河は、瞬を守って(守り損ねて)ずたぼろ状態。 手足は もちろん、顔も傷だらけで、血と土で汚れている。 着衣は あちこちが破れ、髪も埃だらけ。 腿に刺さった矢は そのままで、未だ矢ガモならぬ矢白鳥状態。 肩の骨が少々 砕けているせいで、姿勢も おかしなことになっていたのだ。 しかし、神々に何と言われようと、氷河当人に奇異の目を向けられようと、瞬は自信に満ちていた。 「あなた方は、三人とも、ひどい神様です。氷河は、こんなに傷だらけになって 僕を守ってくれたのに……」 自信に満ちすぎて、瞬の瞳は涙で潤んでさえいる。 「氷河は単に 瞬を他の男に取られたくないっていう独占欲を爆発させて、勝手に自滅しただけだろ」 ここは全力投球で突っ込むべきではないという賢明な判断を為した星矢は、ごく控えめに ぼそりと呟いたのだが、その声は もちろん 瞬の耳にも心にも届かない。 瞬は、あくまでも、どこまでも、自分の判断に自信を持っていた。 「氷河が いちばん美しい。それが僕の審判です。これは最終判断で、変更はありません」 それが大神ゼウスの指名を受けた審判者・地上で最も清らかな魂を持つ者の結論だったのである。 美の女神の第一の愛人というアイデンテティの維持が困難になってきた軍神アレス。 失恋男の汚名返上が叶わなかった太陽神アポロン。 ナルシストの得意の鼻を へし折られた冥府の王ハーデス。 容姿だけは それなりに優れた三柱の男神が、三柱揃って 大地に両手両膝をつき、落胆のポーズをとる。 それは おそらく、混沌(カオス)の中から大地(ガイア)と天空(ウラノス)が生じて以来 初めて現出した 悲惨な光景だったろう。 有力かつ自信過剰な神々の打ちひしがれた哀れな姿が、エリスを大いに喜ばせたらしい。 「人間! そなた、最高に面白い! ぼろ雑巾が最も美しいとは!」 エリスは 高いトーンの笑い声を響かせながら、瞬の審判を絶賛してきた。 「美しさというものは、そういうもの。愛が、人を美しく見せるのです」 そこに、真打登場とばかりに颯爽と姿を現わした女神が一柱。 ドラマや映画のクレジットタイトルでいうなら、トメ。 紅白歌合戦でいうなら、大トリ。 トレードマークである盾や兜、ユニフォームである鎧を身につけていなかったので、すぐには それとわからなかったが、このタイミングで登場する女神といえば、彼女以外には考えられなかった。 「あら、アテナ」 瞬の下した審判が よほど気に入ったのか、対立勢力と言っていいのだろうアテナが登場しても、エリスは 上機嫌モードを継続し続けた。 「アテナ !? 」 驚いたのはアテナの聖闘士たちの方で、常になく自信に満ちた態度でいた瞬は 慌ててアテナの前に跪いたのである。 アテナは、そんな瞬の肩に そっと手を置き、アポロンたちとは桁違いの貫禄を たたえた微笑を浮かべた。 「お立ちなさい。さすがは私の聖闘士。私は あなたを誇りに思いますよ、瞬。仲間たちと共に聖域にお帰りなさい。すべて よくなるようにしておきます」 「ありがとうございます、アテナ!」 最後の最後に現れて美味しいところを かっさらっていくアテナに、アポロンたちは大いに不満顔だったが、 「これ以上、神々の恥を さらさないでちょうだい」 「そうそう。あんたたちは ぼろ雑巾以下の男たちなのよ」 戦いの女神と争いの女神による連合軍の前に、彼等は無力も同然だった。 二柱の女神たちに追い立てられ、そうして、アポロン、アレス、ハーデスの三柱の神たちは アテナの聖闘士たちの前から姿を消していったのである。 |