絶対に絶対に絶対に 何かの間違いだと前置きをして、瞬は、財前Jr氏の件を、仲間たちと沙織に報告したのである。
瞬が何を危惧しているのかを察した沙織は、氷河に発言を許す隙を与えずに、彼女が手にしている情報を 瞬に提供してくれた。
すなわち、グラード財団総帥である沙織が知り得る、財前氏の個人情報――それも、かなりセンシティブな個人情報を。
それによると。

財前氏は、ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通に育った、ごく普通の青年だったらしい。
一般人が携帯電話を持ち歩くことなど夢のまた夢だった時代に 家庭用コンピューターの開発に携わっていた父親の影響で、幼い頃から情報システムの分野に関心が強く、趣味が高じて、大学在学中にゲーム関連のベンチャー企業を立ち上げた。
その企業は順調に成長し、30代に入ってしばらく、彼は絵に描いたような青年実業家だったらしい。
挫折を知らない者の性で、多分に傲慢。
敵も多かったし、その成功を妬む者も多かった。

その事実が関係しているのかどうかは定かではないが、30代半ば、彼は手痛い失敗をする。
社会的信用を失い、彼の興した会社は 多額の負債を抱えて倒産。
両親の事故死が重なって、立ち直る力さえ失った彼は ホームレスにまで身を落とした。
雌伏 数年。
だが、7年後、彼は どん底から這い上がってくる。
一度 どん底を経験したせいか、肉親友人――人との つながりをすべて失ったせいか、蘇った彼は、以前の傲慢な人間ではなく――かといって冷酷でもなく――実に捉えどころがなく、全く得体の知れない人物に変わってしまっていた――らしい。

「再び 返り咲くために、かなり 法的に際どいこともしたようだけれど、当時は企業のコンプライアンスが今ほど厳しい目で見られる時代ではなかったから……。そして、今では彼は 他の企業や機関や個人のコンプライアンスに関する情報を握っている。今は、お金より情報の方が価値のある時代。コンプライアンスをどうこう言われる側から、どうこう言う側に立っている財前氏は、小国の政府の一つ二つは転覆できる力を持っていると言われているわ」
「国の政府を転覆――って……」
では 財前Jr氏は、そんな財前氏に後継者として見込まれ、養子に迎えられた人物ということになる。
今のところ、財前氏と彼の息子は 同じ力を持っていると言っていいのだろう。
そんな人物が 瞬に求婚(のようなもの)をしてきたのだ。

「そんな奴等を、アテナの聖闘士が恐れるか!」
「沙織さんが そんなふうに言うなんて、とんでもない大物じゃん!」
瞬が何を危惧しているのかを承知している星矢が、氷河の怒声を、氷河の怒声より大きな声で遮る。
「その大物が 瞬の父親って、あり得ることかもな。瞬とは 全然タイプが全然違うみたいだけど、性格は一輝に、頭の良さは瞬に受け継がれたのかも」
星矢が そんなことを言い出したのは、とにかく 氷河の前で 財前Jr氏の求婚予告に言及しないため。
それで氷河に究極まで怒りの小宇宙を燃やされるようなことになったら、城戸邸が崩壊しかねない。

実際、瞬に求婚してきた男のことより、“瞬の両親”という問題の方が、氷河にとっても重要な意味を持つ問題だったのだろう。
氷河は(とりあえず)財前Jr氏への怒りを いったん脇に置くことにしたようだった。
星矢の持ち出した推察が不愉快だったらしい氷河が、怒りより軽蔑の響きの強い声で、星矢に異議を唱えてきた。
「瞬の性格の良さと可愛らしさはどこから来たんだ」
「母親だろ」
城戸邸が壊れさえしなければいい星矢の答えは無責任を極めていたが、理に適ってもいる。
瞬は、さすがに、財前氏が自分と兄の父親だということはありえないと思っていた。

「確かに僕には両親の記憶はないけど……。万々が一、僕が財前氏の子供なのだしても、それなら、兄さんだって息子でしょう。どうして僕にだけ――」
「どーして おまえにだけ――って、当然だろ。一輝は、あのにーちゃんの嫁にはなれないんだから」
「僕だって なれません!」
「……」
それまで無責任な放言を続けて氷河を牽制していた星矢が、突然 黙り込む。
星矢は 頬から血の気が引いたように全身を凍りつかせ、それから、一瞬で頭に血にのぼらせた――ようだった。

「そうだった! 忘れてた! うわ、どーすんだよ、あの勘違いにーちゃん!」
忘れていたことを思い出して、星矢は 今になって やっと本気で慌て出したようだった。
「星矢……」
アンドロメダ座の聖闘士が財前Jr氏の“ヨメ”になれないことを、至ってナチュラルに忘れていたらしい仲間の様子を見て、瞬が泣きそうになる。
瞬が半泣き状態だというのに、この場合、氷河は、彼が瞬を恋しているがゆえに、へたに口をきけなかった。
氷河が瞬の慰め方を間違ったら、瞬が再起不能に陥ることは火を見るより明らかだったから。

「ま……まあ……財前さんが瞬のお父様である可能性はないでしょうけれど、財前さんが瞬に好意を示したがる気持ちは、私にも わかるのよ。瞬は、何というか、尋常の人間とは どこかが違っていて……-ほら、その綺麗な目がね」
「うむ。成功と挫折、頂点と どん底を経験した財前氏には、そんなものを超越した瞬の清らかさが、特別に価値あるものに感じられたのだろう。そうに違いない。何よりもまず、一個の人間としてだな――」
沙織と紫龍のフォローが効果的だったというより、瞬には、自分の消沈より 財前親子の問題の方が より重大な懸念だったので――瞬は、星矢の言葉の暴力に打ちのめされることなく、財前Jr氏の気持ちと立場を気遣った。

「対応を間違えば、父が息子を、息子が父を失うことになるかもしないんです。沙織さん。お二人が傷付くことがないように、この件を何とか治めてください……!」
財前Jr氏の求婚(もどき)は断るしかないことなのだから、沙織は二つ返事で 彼女の聖闘士の願いをきいてくれるものと 瞬は思っていたのだが、意外や、沙織の返答は歯切れが悪かった。
「でも、そこまで執心するということは、財前さんは よほど瞬が お気に召したのでしょうし、無下に断るわけには……。なにしろ、私でも恐い――へたに対応できない人物なのよ、財前さんは」
「そんな……」

不安で 眉を曇らせた瞬に、沙織が思案投げ首の(てい)を見せる。
「そんな目をしないで。何か策を考えるわ」
「……」
いつもなら どんな豪傑より頼もしい沙織の あやふやな答えに、瞬は更に眉を曇らせることになった。






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