「なんで、急に そんな神託が下ったんだよ。つーか、無償の愛って何だ?」 と問うたのは、天馬の国の王である星矢だった。 「見返りを求めず、相手の幸福だけを願う気持ち――かな」 と答えたのは、龍の国の王の紫龍である。 四つの国に突然 神託が下った翌日、四つの国の若き王たちは 早速 一堂に会して、神託への対応策についての話し合いを始めた。 ギリシャの神々の支配下にあるギリシャ世界は、世界の中心。 そのギリシャ世界の中心には、いずれの国の領地でもない共有の地である“聖域”があって、一国の内では収まらない問題が起きた際の 王たちの会合場所になっていた。 たとえば、いずれかの国で穀物が不作だった時に、比較的豊作だった国から剰余分を融通してもらったり、いずれかの国が何らかの災害に襲われた時に、他国から物資を支援してもらったり。 そういったことを、四つの国の王たちは これまでいつも、四つの国の共有地である“聖域”に集まって話し合ってきたのである。 四つの国の王たちは皆 友人同士で、自国と世界の平和を守ることを共通の目的とした仲間でもあった。 四つの国には、それぞれの国民性というものがあり、国の民の間には それなりに相性の良し悪しや 競争心・対抗心もあったのだが、王たちが 互いの人となりを熟知し合った友人同士なので、少なくとも現在の王になってから、ギリシャ世界に大きな争いは起きていなかった。 つまり、世界は平和だったのである。 神々が人間界に介入しなければ収まりがつかないような大規模な戦いも悲惨な事件も起きていない。 であればこそ、聖域に集った四つの国の王たちは、突然降ってきた今回の神託の意図や目的を量り切れずにいた。 彼等には、自分たちが神々に罰せられるような不始末をした覚えが まるでなかったのだ。 それ以前に。 そもそも これは罰なのか? 王たちは、そこからして判断ができずにいた。 「このところ ずっと平和だったからな。暇を持て余した神々が、俺たちに 王としての資質があるのか、人間は この世界に存在する価値があるものなのかを試してみようなどという酔狂を起こしたのではないか」 というのが、紫龍の推察だった。 「王としての資質? 眠りに就いた俺たちを目覚めさせることのできる人物を、俺たちが 適切に 間違いなく選ぶことができるかどうかという課題を出して、神々は 俺たちの人物眼を確認しようとしているというのか」 紫龍の推察に、膝を打って賛同もできないが、そうではないと反論するほどの根拠もない――といった体で、鳳凰の国の王・一輝が 紫龍を見やる。 絶対にそうだと断言する根拠もないが、他にどんな可能性があるのか思いつけない――といった体で、紫龍は一輝に頷いた。 「俺たちは別に好きで王サマ稼業をしているわけではない。国政の実務を、自分の手で こなしているわけでもない。様々な分野の仕事に向いた人間を、その分野の役職に任命しているだけだ。人物を見る目があれば、実務を知らなくても、王として国を治め続けることができる。王に絶対に必要な資質は人物鑑識眼だけだと言っていい」 「ま、確かに 俺たちは、自分で税を取り立てるわけでも、自分で道路を作るわけでもないしな」 星矢は茶化すような口調で そう言ったが、それは全くの事実で、茶化しにも冗談にもなっていなかった。 「すべてが首尾よく運べば、それは つまり、永遠の眠りに就いた俺たちを目覚めさせることができるほど無欲恬淡な人間の存在が証明されることになる。神々の中には、人間が汚れて醜悪な存在だから 滅ぼすべきだという過激な考えの神々もいるようだからな。我欲に囚われない清らかな人間が存在することを 神々に示すことができれば、それは この世界に人間が存在することには意義があるのだと主張する根拠になるだろう」 「めんどくせー」 星矢たちが『王になりたい』と望んで王家に生まれたのではないように、この世界に生きる人間たちも『人間として生まれたい』と望んで 人間に生まれてきたわけではない。 それが運命の為せるわざなのか 偶然によるものなのかは さておき、実際 そうなってしまったのだから、あるがままにしておけばいいのに、資質の有無だの存在意義だの証明だの、なぜ そんなものが必要なのか――という考えが凝縮した、星矢の『めんどくせー』。 「まあ、そう言うな」 面倒と思う気持ちはわかるが、現に 王として人間として この世界に生まれてしまったからには、その務めを果たさなければなるまい――という考えを端的にまとめた、紫龍の『そう言うな』。 ものぐさな会話を交わす星矢と紫龍に、一輝は(二人の気持ちが わかるからこそ)呆れていた。 「俺たちが選んだ人間が、俺たちを目覚めさせることができなかったら、俺たちは人を見る目がなかったことになる。王の必需品である人物鑑識眼がない王は、この地上から消え去っても何の問題もない、むしろ世界のためになる――というわけだ」 本当は『うむ』の一言で済ませたいところなのだが――といった体で、だが 省略せずに、一輝は、これまでの話し合い(推測)の結論をまとめて 仲間たちの前に提示した。 その結論を受けて、紫龍が新たな問題を その場に提出してくる。 「実際、それは難題だぞ。とりあえず 俺たちは強大な権力を持った王たちということになっている。そんなモノに無償の愛を抱くことは、普通は非常に困難だ。王を目覚めさせることができたら、何らかの褒美を貰えるだろう――なんてことを ちらりとでも考えたら、その者は俺たちを目覚めさせることはできないんだ」 紫龍の言う通り、この人選は難しい。 何と言っても。 もし王たちに選ばれた人物が、その仕事に失敗したら、その者は社会的制裁を受けることになるかもしれない――という危惧のある仕事なのだ、これは。 「四人の内の一人だけでも目覚めさせることができたら 立つ瀬もあるが、もし一人の王も目覚めさせることができなかったら、俺たちに選ばれた人間は 我欲のために四つの王室と四つの国を滅ぼした貪欲で汚れた人間と見なされることになるかもしれないんだ。たとえ その人物が 地上で最も清らかな心の持ち主だったとしても」 その上、成功報酬は期待してはならない。 いったい誰なら、そんな危険な試みに挑んでくれるというのか。 それは、どんな冒険家も野心家も 怖気て尻込みする挑戦だった。 「知らない相手に抱く愛情に実効性があると、神々が認めてくれるとは限らないから、その挑戦者は まず、俺たち四人と面識のある人間でなければならん。俺たち四人を知っていて、俺たち四人に好意を抱いてくれていて、我欲のない清らかな心を持ち、何より 神々の試みに挑戦する勇気を備えていることが必要だ。もし その試みに失敗したら、その人は 世界中の人々に どんな そしりを受けることになるかもしれないのだし――」 「そんなの、瞬でいいだろ」 紫龍の言を遮り、面倒くさそうな顔で、鳳凰の国の王の弟の名を出したのは星矢だった。 星矢は、王家の男子として生まれたから王をしている四人の王の中で、最も王位王権に執着も欲もない王だった。 王の務めを果たしていれば、毎日 ご馳走を食べることができるから、星矢は勤勉に(可能な限り、消費エネルギーを節約しつつ)王の職務に励んでいる。 ちなみに、紫龍が真面目に王の職務を果たそうとするのは、一つの国の存亡と盛衰を担う立場に置かれた者の責任感と義務感ゆえ。 白鳥の国の王である氷河は、『国の民を幸福にする良い国王になってほしい』というのが、彼の亡き母の願いだったから。 鳳凰の国の王である一輝は、最愛の弟にとって 誇れる兄であるため。 その一輝は、おそらく こうなることを見越していたのだろう、彼の弟を 王たちの合議の場に伴ってきていた。 実の兄のみならず、面倒くさがりの星矢だけでなく、紫龍も氷河も、実は最初から 自分たちは瞬を選ぶことになるだろうと思っていたのだ。 我欲がなく 心清らか、四人の王に無償の愛を抱いてくれている人間は 瞬しかいないと、彼等は考えていた。 さきほどからの紫龍の長い解説も、すべては瞬に向けてのものだったのだ。 つまり、瞬に決意を促すための説得の言葉。 当の瞬は、しかし、星矢ほど単純ではなく、星矢ほど面倒くさがりにもできていなかった。 不安そうに、四人の王たちに尋ねてくる。 「我欲がない……って、たとえば、僕がみんなに幸せになってほしいと願ったり、世界が平和であればいいと思ったりするのは、我欲じゃないの?」 「それで自分が何らかの益を得たいと思っていないのなら、我欲ではないだろう」 「ま、瞬しかいないだろうな。何の益も期待できないどころか、期待すること自体が許されない状況で、俺たちのために そんな危険を冒してくれるのは」 それまで沈黙を貫いていた氷河が、この段になって初めて 口を開く。 氷河が これまで王たちの話し合いに ほとんど口を挟まずにいたのは、彼が星矢より面倒くさがりだからではなく(そうではないと言い切ることもできないが)、その結論が わかっていたからだったらしい。 かつ、その結論に異議がないからだったらしい。 そして、ほぼ結論が出た この段になって彼が出張ってきたのは、結論が出たあとで 必ず言わなければならないことがあったから――のようだった。 すなわち、 「無償の愛の口付けといっても、別に唇にする必要はないんだぞ。手でも、額でも、どこでもいいんだ。まあ、俺は唇にキスされても一向に構わないが、唇にキスをするのは俺だけにしておけ」 という、極めて重要な瞬への注意事項が。 面倒くさがりの星矢が、こればかりは 面倒くさがって省略していいことではないと判断したのか、氷河の発言への非難を開始する。 「瞬絡みのことなのに、妙に静かにしていると思ったら、おまえさあ……。この場合は、キスの場所より もっと気にすべきことがあるだろ!」 「キスの場所より気にすべきこととは何だ。瞬が俺たちを目覚めさせてくれることは わかりきっている。その点に関して心配する必要はない。となったら、やはり 瞬が俺たちのどこにキスするのかということが いちばんの問題だろう。俺は、瞬の唇が 貴様らの唇に触れることは絶対に許容できない。冗談ではないぞ!」 「貴様は 永遠に寝たままでいろ! その方が瞬のためにも 世界のためにも有益だ!」 一輝が、軽蔑しきった眼差しを非に向け、吐き出すように言う。 四人の王は 立場と目的を同じくする仲間で友人同士だが、その立場を離れた個人的な次元において、氷河と一輝は 瞬を巡って反目し合う仲でもあった。 氷河は瞬に 極めて不道徳な好意を抱いていて、事あるごとに 自分の国に来るようにと、瞬に水を向けるのが、一輝は とにかく気に入らずにいたのである(神々が不道徳なギリシャ世界において、“不道徳”という概念は存在するのか――という問題は さておいて)。 清らかで優しい心を持ち、その心に ふさわしい容姿にも恵まれた最愛の弟を、何が嬉しくて マザコンの似非クール、我儘で ものぐさな ろくでなしに渡さなければならないのだという一輝の憤りは、至極妥当で自然なものだったろう。 一輝と氷河の つばぜり合いは いつものことなので、二人が どれだけ いがみ合い 罵り合っても、星矢と紫龍は気にしない。 彼等は、兄と氷河の間で はらはらしている瞬を、 「氷河と一輝に仲良くしてほしいと願うのも我欲ではないと思うぞ。それは 世界の平和を願うのと同じことだからな。しかし、こいつ等は、もしかしたら永遠の眠りから目覚められなくなるかもしれないというのに、呑気というか、深刻さが足りないというか……」 「氷河と一輝に仲良くしてほしいなんて、願うだけ無駄だろうけどな。こいつ等が深刻になれないのは、瞬を信じてるからで、いいことなんじゃないか?」 と、それこそ 全く深刻でない口調で慰めるだけだった。 |