瞬は、なぜ 自分が氷河を目覚めさせることができないのか、その理由が わからなかったのである。 『四つの国の王は、互いに 理解と親交を深めることが望ましい』と考える女神アテナの計らいで、四人の王は幼い頃からの馴染みだった。 四つの国の共有の地である聖域は、未来の王たちの教育の場にして遊び場。 そこに おまけで瞬も混ぜてもらい、五人は子供の頃からの仲間同士で親友同士。 瞬は、絶対に氷河を嫌ってはいなかった。 幼い頃は母君が存命だった氷河を羨んだことはあったが、妬んだことはない。 その母君が亡くなった時には、悲しむ氷河を懸命に慰め、力付けた。 母を失った喪失感を埋めようとするかのように、氷河が瞬を大切にし出したことも、思うところは多々あったが、決して嫌だったわけではない。 むしろ、それで氷河が元気になってくれるのなら嬉しいと思っていた。 小さないさかいやトラブルはあっても、五人は ずっと一緒に、ずっと仲良しでいられると信じ、そうなることを願ってもいた。 氷河に好意を示されるたびに 兄が機嫌を悪くすることは悩みの種だったが、それを迷惑と感じたこともなかった――と思う。 もちろん 世界の平和を願っている。 自国の平和だけを願ったこともない。 世界が平和であることが、それぞれの国の平和に繋がっているのだということもわかっている。 氷河の国にだけ負の感情を抱いたこともない。 氷河の存在が 自分の幸福の妨げになっていると感じたこともない。 氷河に対してだけ 良くない望みを望んだこともない。 四人の王が健勝でいることを願っている。 自分の富貴を望んだこともない。 改めて望むまでもなく、自分は 兄王の弟として恵まれた生活をしていると思っている。 四人の王の幸福を願うことは我欲ではないと、紫龍は言っていた。 だが、氷河だけが目覚めない。 これまでに、氷河と他の三人の王との間に、何らかの相違、何らかの隔たりを感じたり 生んだりしたことがあっただろうか。 四人の王たちに目覚めの口付けをした際、氷河に口付ける時だけ 少し唇が震えたのがよくなかったのだろうか――。 だが、あれは仕方がなかったのだ。 無償の愛の口付けで目覚めた氷河は、それが他の三人への口付けと全く同じものであるにもかかわらず、きっと大袈裟に感動して、自分を抱きしめようとしたり、お返しをしようとしたりするに違いないと思ったから。 そうなれば、兄と氷河の間で、また 一悶着が起きるだろうと思ったから。 だが、それが嫌だったわけではない。 氷河に口付ける時は、氷河に目覚めてほしいと それだけを願っていた。 そうして 氷河が『ありがとう』とか『おはよう』とか、そういうことを言って笑ってくれたらいいと思っていた。 『やっぱり目覚めさせてくれたんだな』と大仰に喜んだ氷河に 急に抱きつかれたらどうしようと、案じていた。 それとて、決して迷惑だと思っていたわけではない。 そうならなかったら、逆に気が抜けていたかもしれない。 永遠の眠りに就いている氷河は、北の氷の海に眠っているという彼の母君を彷彿とさせて、瞬は 少し切なかった。 氷河の母君が生きていた頃は、氷河の“いちばん”は いつも『マーマ』だった。 そのマーマを、氷河は目覚めさせることができない。 誰よりも深く彼女を愛しているのに、氷河は彼女を目覚めさせることはできない。 それは彼女の目覚めが、氷河個人の幸福に直結しているからなのだろうか。 それが我欲だから? 報いを求めない無償の愛ではないから? もし今の自分が氷河のマーマだったなら、彼女は その無償の愛で氷河を目覚めさせることができるような気がする。 それで自分自身が滅んでも、氷河を目覚めさせることができるなら、彼女は喜んで自らを滅ぼすだろう。 だが、氷河は彼女を目覚めさせることができないのだ。 彼女に対する氷河の愛は、彼女の幸福だけを望むものではなく、自分が彼女と共に生き、共に幸福になることを望むものだから。 氷河に対する氷河のマーマの愛は無償の愛だが、マーマに対する氷河の愛はそうではないのだ――。 氷河に目覚めを促す口付けをする時、そんなことを考えた。 氷河に目覚めを促す口付けをする直前、ほんの一瞬、そんなことを考えた。 そんなことを考えた自分を、瞬は 思い出した。 |