「服田さん……」
不快な客が いなくなっても、店内の客は しわぶき一つ あげなかった。
瞬が、岸田マナミが出ていったドアを見詰めている服田女史の名を呼ぶと、彼女は いたたまれなさそうな目をして、瞬に謝ってきた。
「すみません。マナミは……あんな子じゃなかったんです」
きっと そうだろう。
最初から“あんな子”だったなら、服田女史は 彼女を自分の友人の中に加えたりなどしなかったはずだった。

瞬は、彼女に 自分の推察を告げることを一瞬 ためらったのである。
それは軽々しく他人に知らせていいことではなかったから。
瞬が その事実を服田女史に告げることにしたのは、それが結局は 二人の女性のためになると判断したからだった。
服田女史にだけ聞こえるように小声で――他の客には聞こえないように 小さな声で――瞬は、服田女史に 自分の見立てを伝えた。

「彼女は、おそらく乳癌です」
「え?」
「多分、広範囲切除が必要なんでしょう。お化粧が濃いのは、抗癌剤の副作用や心労で、肌に色素沈着等の支障が出ているからだと思います。切除で命は助かるのだと思いますが、あんなふうに、女性であることを誇って生きてきたような人には、切除手術は耐えられないことなのかもしれません。彼女には ご家族はいらっしゃらないんでしょうか」
何を言われたのか、わからない。
服田女史が そんな顔をしていたのは、ほんの数秒だけだった。
彼女は頭の回転が速い。

「マナミは……女優になりたいって、大学中退して、その時以来、親とは絶縁状態なんです」
「恋人や婚約者や……支えてあげられる人は――」
「いないの。マナミは、2ヶ月くらい前、5年も付き合ってた彼氏を振ってやったって言ってた。これで自由になれるって。もっと いい男を掴まえるんだって言って、笑ってた」
「別れたくて別れたのではないのかもしれません」

恋人のために。
恋人の負担になりたくないから。
病に侵されていく自分を見られたくないから。
一人で戦うために。
もしかしたら死ぬ覚悟で。

「あの子、どうして言ってくれないの!」
友だちの水臭さに焦れたように、服田女史が唇を噛みしめる。
岸田マナミの気持ちがわかるので――瞬は 微かに左右に首を振った。
「服田さんは お優しいから、きっと頼ってしまうと思ったのでしょう。人に弱いところを見せたくなかったのかもしれません。頼り甲斐のある友だちに弱いところを見せて、それで本当に弱くなってしまうことを危惧したのかも」
「あの子が弱くなったら、私が発破かけてやるわよ!」
「ええ」
まるで自分の仲間たちのような――服田女史の前向きな力強さに、瞬は微笑した。
彼女がついているのなら、岸田マナミは大丈夫だろうと――少なくとも 心は大丈夫だろうと、瞬は確信した。

「瞬せんせ。ありがとうございます」
「僕にできることがあったら、おっしゃってください。服田さんには、氷河が いつもお世話になっていますから、服田さんのお友だちには できる限りのことをします。彼女の力になってあげてください。できれば……美しさより、生きることを選ぶように」
「当ったりまえ! 死んで花実が咲くものか!」
水臭い友だちがカウンターに残していったバッグを引ったくるように手に取って、服田女史が彼女の友だちを追いかけていく。
電車にもタクシーにも乗れずにいる友だちを、服田女史は きっと掴まえるだろう。
迷い 悩んでばかりいたアンドロメダ座の聖闘士を、その仲間たちが いつも必ず掴まえて、進むべき道を示してくれたように。
瞬が心配しなければならないことは、もう 何一つなかった。






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