その夜、氷河が帰宅したのは午前2時。
ナターシャは、既に就寝済み。
終電には間に合わなかったのだろう。どうやら 氷河は、地上の平和が脅かされていない時には禁断の力を用いて帰宅したようだった。
それは もちろん責めなければならないことで、だが、今の瞬には そんなことより もっとずっと彼を問い詰めたいことがあったのである。
そのために、瞬は寝衣にも着替えず、氷河の帰宅を 彼の家のリビングで待ち続けていたのだ。
瞬が問い詰めたいこととは、つまり、
「氷河、どこから帰ってきたの」
ということである。

瞬の険しい顔を訝って、氷河は眉をひそめた。
「? 妙なことを訊くな。俺の店の場所を忘れたのか」
「うん。押上だったか 歌舞伎町だったかが わからなくなっちゃって」
「……」
瞬が口にした街の名に、氷河の顔――だけでなく、全身が引きつり、強張る。
氷河と同じ顔の持ち主が この地上にいる可能性を考えていたわけではなかったが、ともかく その瞬間に、瞬は、押上のバー“ヴィディアムー”のマスターと 歌舞伎町の超有名ホストクラブ“LOVE”本店のNО.1ホストが同一人物であることを確信したのである。
氷河は、
「ママがばらしたのか」
と問い返すことで、瞬の確信が事実だということを示してくれた。

地上の平和を命をかけて守るアテナの聖闘士が――それも黄金聖闘士が――ホスト。
瞬が、強度の頭痛を伴った激しい目眩いに襲われたのは 致し方のないことだったろう。
「蘭子さんじゃありません。服田さんが知らせてくれたの。今度、メンズのアクセサリーを手掛けることになって、マーケティング調査のために、今時の“ちゃらい”男たちの好むアクセサリーの傾向と対策を調査しに行ったお店で、これを見付けたそうです」
言って、女史から送られてきた写真を、氷河の目の前に突き出す。
スマホの画面にある自分の顔を見て、氷河は思い切り嫌そうに 口許を歪めた。
「蘭子さんも承知のことなの? 押上の お店はどうなってるの? ここは蘭子さんのお店じゃないよね?」

蘭子は 殊の外“いい男”を好む人間だが、蘭子にとっての“いい男”とは、絶対にホストなどしない、いわゆる硬派に分類される男たちである。
決してホストという職業を否定するつもりはなかったが、瞬には どうしても それが氷河にふさわしい職業だと思うことができなかった。
女性を過剰に持ち上げる接待を行なって、法外な飲食代やサービス料をとる仕事。
氷河のように不愛想な男が、ホストクラブでナンバーワンになれることの不自然。
何より、ナターシャのパパの転職(?)の事実を聞かされていなかったこと。
諸々の情報と事実に混乱させられて、瞬は その思考と感情が迷走していた。

「アテナの聖闘士がホストだなんて――どういうことなのか、説明して」
「説明するまでもない。俺はアテナの聖闘士だ。アテナの聖闘士の第一義は、地上の平和を守ること。当然 俺は 人類の敵を倒すために、一時的にホストクラブでパート勤めをしているんだ」
「ホストクラブでパート? なに言ってるの。そんなことができるの」
「ホストクラブは 完全に成果主義だからな。8時から9時までの1時間だけでも、8時間就労した奴以上の売上を上げれば、パートでも問題はない」
氷河がパートに出ている1時間の間、氷河の店はどうなっていたのか。
それより何より、氷河が超有名ホストクラブでナンバーワンホストになることが、地上の平和とどう関係あるのか。
何から説明をさせればいいのかが わからなくて、瞬は とりあえず 気持ちを落ち着かせるために、一つ深呼吸をしたのである。

「1ヶ月ほど前に、ママが――」
ほとんど溜め息といっていいような瞬の深呼吸が終わるのを待って、氷河は、人類の敵を倒すための彼の戦いの発端を語り始めた。






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