「鏡文字の手紙の送り主が誰なのかが わかったぞ」
仲間たちの前で 紫龍が そう断言したのは、翌日の昼下がり。
秋の空は、やはり高いところにあり、そして、アテナの聖闘士たちの心が、あるものは沈み、あるものは荒れ模様であるのとは対照的に、水色の空は、呆れるほど爽やかに晴れ渡っていた。
氷河が 胡散臭いものを見る目を紫龍に向け、瞬は沈黙、星矢は半信半疑。

「誰だよ」
と問う星矢は、『それが生きていない者なら、瞬には知らせるな』と、声には出さずに 紫龍を脅していた。
紫龍が“生きている者”の名を口にしたのは、だが、決して その脅しに屈したからではない。
「あらゆる可能性を考慮し、あらゆる不可能を除外し、動機や 置かれた立場等を勘案した上で、瞬に問題の手紙を届けることができた人物は ただ一人――という結論に達した」
「だから、誰だよ(= 生きてる奴だろうな?)」
少なからず攻撃的な響きを漂わせている星矢の声に 結論を急かされて、紫龍が口にした“犯人”の名。
それは、
「一輝だ」
瞬の兄の名だった。

「へっ !? 」
「……え?」
「なに?」
ちょっとした間投詞にも、それぞれの性格が出るものである。
が、そんなことを論評している暇も義理もなかったので、紫龍は さっさと その結論に至った根拠を仲間たちに披露し始めた。

「目的は もちろん、瞬を力付けるため。瞬に生きていてほしいと願っているのは兄だけではないと、瞬に思わせること。あの頃は、邸内の固定電話の脇には 必ず、電話の用件を記録するためのメモ用紙とペンがあった。瞬への手紙に ちゃんとした便箋や封筒が使われていなかったことからして、あの手紙を書いたのは、あの頃 城戸邸にいた子供たちの中の誰かだということは明白。当時、鏡文字を書くのに必要な鏡を持っていた可能性があるのは一輝だけ。わざわざ鏡文字にして筆跡をごまかす必要があったのも、一輝くらいのものだったろう。あの頃の瞬が 確実に筆跡を把握できていたのは、せいぜい一輝と自分の字くらいだったろう?」

「あ……え……と、うん……」
瞬が 頼りない答えを返すことになったのは、筆跡が誰のものなのか わかる わからない以前に、当時の瞬は、筆跡から その文字を書いた人物が誰なのかを推察する行為自体に縁がなかった――その必要が生じたことがなかったからだったろう。
そもそも 城戸邸に集められていた子供たちが 文字を書く機会は、ほとんどなかったのだ。
頼りなく 曖昧な瞬の返答を確定した事実と決めつけて、紫龍が 彼の推理を進めていく。
推理を進める――といっても、彼が提示する推理は もはや、
「つまり、一輝は、瞬を力付け 励ますために、一人二役を演じていたんだ。一輝は、最愛の弟のためになら、誰かの振りもする――何でもする兄貴だったわけだ」
という結論しか残っていなかったのだが。

「兄さんが、僕のために……」
瞬の瞳に、涙が にじみ始める。
瞬が紫龍の推理に どんな疑いも抱かなかったのは、瞬の中に、『あの兄なら、ひ弱で泣き虫の弟のために、そんなこともしてくれるだろう』という思いがあったからだったろう。
そして、たとえ乗り越えることができたとしても笑って語れるようにはならない出来事を、それでも乗り越えることができたのは、そこに人の優しさや強さがあったからなのだと思うことができるようになるから。
紫龍の推理は、瞬には、あまりにも容易に すんなりと受け入れられるものだったのだ。

「そうだったんだー」
それは、星矢も同様。
星矢の中にも、『あの一輝なら、瞬のために それくらいのことはするだろう』という思いがあった。
つまり、紫龍の推理には、妥当性と説得力があったのだ。
しかも、それは、瞬には、期待以上、希望以上に素晴らしい結末。
望んでいた以上に感動的な答え、望んでいた以上に嬉しい帰結。
これ以上を望むべくもない、理想的かつ最高の結論だったのである。

紫龍の推理の持つ妥当性と説得力を打ち砕くことができるのは、くだらない事実のみ。
期待以上、希望以上、望んでいたこと以上の推論を否定できるのは、詰まらない真実のみ。
そして、誰も そんなことは望んでいないのだ。
誰も、くだらない事実や詰まらない真実など――本当のことなど――知りたいとは思っていない。
思っていないのに。






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