瞬は、勝手に、そこには白衣を着た白髪の老人がいるものと思っていたのである。 科学者というものは、そういうものなのだろう――と。 だが、鉄板と鉄の棒の陰から現れたのは、黒い服を着た黒い髪の、若い――中学生くらいの男の子だった。 中学生の“男の子”といっても、瞬の倍も生きている。 彼は、瞬にとっては 十分に大人と呼べる存在だった。 黒い髪と黒い服。 だが、瞬が夢で見るあの漆黒の男ではない。 黒髪といっても、それは“白髪ではない”という意味での黒髪。 彼の頭部は、最近は滅多に見ない坊主頭――丸刈りで、彼は、妙に窮屈そうな黒い上着と黒いパンツを その身にまとっていた。 服が窮屈そうに見えるのは、彼が太っているからではない。 むしろ彼は、痩せっぽちの瞬が驚くほどに痩せていた。 頬に、子供らしい肉が 全く ついてない。 服が窮屈そうに見えるのは、おそらく それが着古したものだから。 痩せていても、大人になりきれていない人間(子供)の手足は伸びる。 10歳の時の服を12歳の子供が着ている窮屈さ。 彼の出立ちは、そんなふうだった。 瞬の目で見れば 十分に大人の“男の子”は、瞬を見て、露骨に怪しむような目と表情を作った。 瞬は無断の侵入者なのだから、彼の反応は至極当然のことなのだが、彼は、瞬がそこにいることより、瞬の姿を怪しんでいるようだった。 白いシャツと濃緑のパンツ。 新品でも洒落たものでもないが、サイズは合っている。 瞬の恰好は、黒のつんつるてんの 彼のそれほど奇妙なものではなかった――瞬は そう思っていたのだが。 「おまえは誰だ。どこから来た」 「この先の城戸……さんっていう家です」 「城戸? そんな家があったか?」 「な……何を作ってるの?」 『泥棒!』と叫ばれ 怒鳴られ 捕まえられないのは有難かったが、瞬が不法侵入者であることは 紛う方なき事実である。 答えにくいことを訊かれる事態を避けるために、瞬は 自分が知りたいことを彼に尋ねていったのである。 瞬の素性など、何としても知りたいことではなかったのか、彼は瞬に問われたことに すんなりと――ごく あっさり、答えを与えてくれた。 一度 ふんと鼻を鳴らしてから、 「タイムマシンだ」 と。 得意がっているようにではなく、どこか自虐的な口調。 なぜ彼が そんな様子になるのかが、瞬にはわからなかった。 そもそも瞬は、“タイムマシン”がどういうものなのかを知らなかったのだ。 「タイムマシンって……?」 瞬の二度目の質問に、大人の男の子が 気の抜けた顔になる。 「過去や未来に飛んでいける乗り物だよ。知らないのか?」 「過去や未来に……?」 それは、いいマッドサイエンティストが作るものなのか、悪いマッドサイエンティストが作るものなのか。 それこそが 何を置いても絶対に確かめなければならない重要事項だと思うのだが、『あなたは、いいマッドサイエンティストなんですか。それとも、悪いマッドサイエンティストなんですか』と尋ねるのは、彼が いいマッドサイエンティストであっても悪いマッドサイエンティストであっても 失礼なことのような気がする。 そんなことを訊かれた彼は、機嫌を損ねて、瞬を この場から追い払おうとするかもしれない。 それでは元も子もない。 どうすればいいのかが わからず、その場で もじもじすることになった瞬に、彼は 冷ややかな視線を投げてきた。 彼は、瞬を、泥棒や侵入者ではなく、たまたま 他人の家に敷地に迷い込んでしまった迷子の類だと思っているのだろうか。 彼は 瞬を歓迎しているようではなかったが、何としても追い払わなければならないものとも考えていないようだった。 話し相手が欲しかったのか、あるいは、もしかしたら 誰かに 自分の中にあるものを ぶつけたかったのか、彼は抑揚のない声で、瞬を脅して(?)きた。 「あと何年かすれば、世界は滅びるんだぞ。みんな、根拠のない希望に すがって、現実から目を逸らしている。この世界は もう、半分くらいは死んでるようなものなのに」 「え……」 黒い影。 瞬の夢の中で、世界は闇に包まれている。 毎夜、瞬の許にやってくる不吉な夢。 死の世界の薄闇。 あれは予兆だったのだろうか。 もしかしたら 彼も――自分だけでなく彼も――滅びの予感を感じているのだろうか。 だとしたら、世界の滅亡を願っているのは自分ではない。 複数の人間に その予感を感じさせる別の誰かが、この世界のどこかに存在するのだ。 恐ろしい話を聞かされたにもかかわらず、瞬から 恐れの気持ちが(ごく僅かではあったが)薄らいだのは、瞬の いちばんの不安が消えたからだったかもしれない。 だが、それが彼には気に入らなかったようだった。 「信じないのか? おまえは、この世界が滅びないと思ってるのか? 今、この世界を見ても?」 瞬は、彼と同じ年頃の“男の子”を、これまで 滅多に近くで見たことがなかった。 それでも、彼が普通の男子中学生とは比べ物にならないほど大人びて 冷めた目をしていることはわかる。 怒りが強くなりすぎて、かえって冷たく見える黒い瞳。 瞬は、彼の言葉ではなく、その眼差しにこそ恐れを感じて、すぐに首を横に振ったのである。 「信じる……」 信じずにいられるわけがないではないか。 「きっと、そうなんだ。だから、僕は あんな夢を見続けるんだ」 「あんな夢?」 「世界が真っ暗になって、みんな死んじゃうの。人も動物も花や木も――」 「ああ」 彼が訝りもせずに瞬に頷いたのは、彼も同じ夢を見ているからなのか。 きっと彼も、この世界の命が すべて消え失せる夢を見ているに違いない。 瞬は、そう確信した。 だから、彼は いいマッドサイエンティストなのだと、瞬は判断した。 「タイムマシンに乗って、過去や未来に行けば、世界は滅びないの? まだ滅びていない過去に みんなで避難するの? それとも未来に? でもどうやって? みんなが乗れるくらい大きなタイムマシンを作るの?」 彼が いいマッドサイエンティストだと知って安心したのも束の間、瞬の中には 別の新しい不安が生まれてきた。 彼の前にあるのは、何を燃料にするものなのかもわからない小型の原動機。 鉄製の箱や、赤色や青色のリード線。 最も大きいものでも、畳一畳分ほどの大きさしかない薄い鉄の板。 これで、世界中にいる大勢の人々を過去や未来に避難させられるような乗り物を作るのは、どう考えても無理である。 世界が滅びるまでには まだ何年かの猶予があるという彼の言葉が事実なら――毎日少しずつ人々を避難させていけば、間に合うのだろうか。 滅亡の時までに、すべての人々の避難は完了するのだろうか。 だが、タイムマシンは まだ完成していないようである。 『間に合わないかもしれない――』 瞬の その不安は、だが、彼によって 即座に一蹴された。 彼は、事も無げに言ってのけたのだ。 「俺だけ逃げるんだよ」 と。 |