「あ……え……? でも、だって……」 たった一人で逃げるのでは、世界を救うことにはならない。 “世界”というものは、たくさんの人間によって できているものである。 だいいち、たった一人で生き延びても、寂しいだけではないか。 瞬は そう思ったのだが、彼の考えは 瞬のそれとは まるで違っていた。 「タイムマシンなんか作れっこないって 俺を馬鹿にしてる奴等を助けてやる義理はないだろ。みんな助けて どうするんだよ。その中に、この世界を滅ぼそうとしてる奴等が紛れ込んだら、かえって危険だろ」 「でも……」 この世界を滅ぼそうとしているのは、“みんな”の中の一人、あるいは複数人なのだろうか。 自分が生きている世界を滅ぼしたいと考える人間がいるものだろうか。 それより何より、一人は寂しい。 一人だけ助かるのは寂しい。 彼は そうではないのだろうか――。 『でも』に続く言葉が出てこない。 彼の言葉が思いがけなさすぎて、瞬は言葉はもちろん思考も、まともに作ることができなくなっていた。 そんな瞬に、彼が尋ねてくる。 「おまえは、俺の言うこと、信じるか」 「うん……」 この世界が滅びる可能性があるということは、信じる。 でなければ、あの暗く不吉な夢が毎夜 繰り返されることに 説明がつかない。 瞬が口にした『信じる』の内容を、彼は誤解したらしい。 彼は 初めて笑みを――どこか皮肉めいた笑みを――その口許に浮かべた。 「なら、おまえだけは連れてってやるよ。おまえは俺を信じてくれたから」 「……」 本気で、彼は そんなことを言っているのだろうか? 瞬は、彼の気持ちがわからなかったのである。 もちろん、あの死と薄闇の世界の姿を、夢の中ではなく現実に目の当たりにするのは恐い。 だが、どれほど平和で明るい世界であっても、そこに たった一人で存在することは、瞬には もっと恐いことだった。 死よりも恐いことを提案してくる 見知らぬ男の子の前から、瞬は一歩だけ後ずさった。 「僕、行かない。僕は みんなと一緒にいる」 「逃げないと死ぬんだぞ。みんな死ぬ。世界は もう半分死んでる。この世界が生き返ることがあると、おまえは信じてるのか? そんな希望は捨てた方がいい」 「でも 僕は、みんなと一緒でなきゃ嫌だ」 『だから、あなたも』 だから、あなたも みんなと一緒に滅んでしまおう――とは、言えない。 瞳に涙をにじませて彼を見上げた瞬を、彼は無言で見詰め返し――そうして 彼は、そのまま瞬から目を逸らさなかった。 瞬が見知っている大抵の大人は、瞬に見詰められると、ひどく きまりが悪そうに目を逸らすのに。 それは、彼がまだ完全な大人ではないからなのだろうか――? 怒らせているようだった両肩から、彼が力を抜く。 やがて 彼は、低く小さく呟いた。 「……おまえ、幸せなんだな」 と。 「え……?」 そんなはずはない。 守ってくれる両親もなく、自分の“家”も持たない子供は 不幸な存在のはず。 反駁しようとして――だが、瞬は そうすることができなかったのである。 彼が泣いていたから。 涙は流していなかったが――その瞳は涙を忘れてしまった人のそれのように乾ききっていたが――それでも彼は確かに泣いていた。 瞬は、同じ目を 以前 どこかで見たことがあった。 泣きすぎて、泣けなくなった人の目――。 まもなく 彼は、何かを吹っ切ったように首を横に振って、彼の秘密工場(?)の扉を指差し、瞬に ここから出ていくよう促した。 「タイムマシンのことは 誰にも言うなよ。……幸せでなくなったら来い」 「うん……」 その指示に逆らえず、言うべき言葉も見付け出せず――瞬は彼に指示された扉に向かって とぼとぼと歩き出した。 「あ……名前……」 薄い木の扉に手を掛けたところで、まだ彼の名を聞いていなかったことに気付く。 瞬が振り返るより先に、 「カケルだよ。行け」 拒むような、すがるような、不思議な声音で、彼は彼の名を瞬に教えてくれた。 |