オデカケは、オデカケそれ自体も楽しいが、オデカケの計画を立てている時、オデカケの準備をしている時も楽しい。 たとえ そのオデカケ先が、2日と置かずに通い詰めている、自宅から歩いて10分のところにある公園であっても、家族全員で お弁当を持って繰り出すオデカケは 特別のイベントなのである。 その日、ナターシャと氷河は朝から大騒ぎで、お弁当作りに 勤しんでいた。 クマさんの顔のおにぎりと、ウズラの卵で作った子ブタちゃん。 ウインナーはタコさんの形。 ブロッコリーとプチトマトの飾りつけは、お弁当の常道。 2時間以上 奮闘して作ったお弁当をナターシャと一緒に写真に収めることも、氷河は もちろん 忘れなかった。 ほっぺに ご飯粒のついているナターシャが可愛いと言って、喜々として写真を撮っているアクエリアスの氷河の姿は、アテナの聖闘士の敵は 言うに及ばず 味方にも絶対に見せられないと、記念撮影に夢中の父娘を眺めつつ、瞬は思ったのである。 氷河一家(というより、ナターシャ一家)の今日のオデカケの目的は、光が丘公園のイチョウ並木を歩き、秋という季節を堪能しながら ランチを食べること。 そして、綺麗なイチョウの葉っぱを拾ってくること――だった。 東京都練馬区光が丘公園は、戦前は特攻隊の出撃基地になった飛行場があった場所で、戦後は米軍が利用していた。 米国からの土地返還後、その跡地に造成された光が丘公園は 練馬区最大の公園である。 園内には1000本ものソメイヨシノやオオシマザクラが植えられていて、都内有数の花見スポットなのだが、秋のイチョウ並木も美しい。 ナターシャが氷河たちの許に来て 初めて巡ってきた、彩りの季節。 広い公園の中でも、いつもは遊具のある ちびっこ広場を自分のテリトリーにしているナターシャは、初めて見る金色のまっすぐなイチョウ並木に大興奮だった。 「夏に通った時には 全部 緑色だったのに、フシギー!」 イチョウの木々は、かさかさと乾いた音を立てながら、盛んに葉を落としている。 枝に残っている葉は陽光を受けて金色、地面は散り積もったイチョウの葉で覆われ 黄色一色。 それは、この季節に 僅か10日前後だけ楽しむことのできる絶景だった。 あと数日すれば、イチョウの木は色づいた葉のほとんどを散らし、金色の外套を脱いでしまうのだ。 「イチョウの木は、毎年 秋に葉っぱを黄色く染めて、散らせてしまうんだよ。そして、来年には また新しい緑色の葉っぱをつけて、ここは緑色の並木道になるの」 「ナンデ? ドーシテ? ドーシテ、葉っぱが落ちるの? ずっと同じ葉っぱじゃいけないの? 落ちた葉っぱはどこに行くの? 新しい葉っぱはどこから来るの?」 “フシギ”を不思議なままにしておかないところが、ナターシャの美点である。 ナターシャといると、瞬は、幼い頃の自分が どんな子供だったかを思い出し、その違いに、しばしば驚かされ、あるいは苦笑させられた。 幼い頃の瞬にとって、落葉は 美しく寂しいものだった。 『なぜ 同じ葉っぱではいけないのか』などという疑念を抱いたことは、一度もない。 氷河にとっては、おそらく 厳しい冬の訪れを知らせるものだったろう。 星矢にとっては、焼き芋や焼きリンゴを作るための大自然の粋な計らい。 紫龍には、それは 新旧の実りの季節の約束事だったのか。 子供というものは、子供でいる時に 最も個性的で、価値観も はっきりしているのかもしれなかった。 「イチョウの葉っぱは、イチョウの木から栄養をもらって生まれるの。そして、イチョウの葉っぱは お陽様の光で栄養を作って、今度はイチョウの木に栄養をあげるんだよ。でも、冬になると お陽様の光が弱く少なくなって、葉っぱは あんまり栄養を作れなくなる。イチョウの木から栄養をもらうだけになっちゃうの。イチョウの木は、イチョウの葉っぱにとって、パパだからね。イチョウの葉っぱは パパを守るために、パパにさよならするんだ」 「え……」 瞬の説明を聞いたナターシャの瞳が、にわかに 不安の色を帯びる。 瞬は、間を置かずに、その色を消すための説明を続けた。 「パパにさよならして 地面に落ちた葉っぱは、土に返って 新しい栄養に変わるんだ。そして、根っこで パパと出会って、また パパと一緒になるんだよ。葉っぱは、ちょっとだけオデカケして、またパパのところに戻ってくるの」 「パパのところに戻ってくるんダー!」 葉っぱは、パパと また会える。 それを聞いて、ナターシャは安心したように笑顔になった。 「イチョウの木はとっても長生きで、千年も二千年も生きるんだよ。だから、とっても のんびり屋さんなんだ。ナターシャちゃんの1年が イチョウの木の1日くらいかな。ナターシャちゃんも、氷河がお仕事の時には、氷河と離れて、僕と一緒に 絵本を読んだり、お買い物に行ったりして過ごすでしょう? そういうことなんだよ」 「葉っぱもナターシャと同じで、マーマのお部屋や お店に オデカケしてるんだ!」 「そう。イチョウの葉っぱはイチョウの木が大好きで、イチョウの木はイチョウの葉っぱが大好きで、お出掛けしても、また会えるってわかっているから、安心なんだよ」 「ウン。パパがお仕事してる時も、ナターシャがパパから離れなかったら、パパはパパのお仕事ができなくなっちゃうヨネ」 「ナターシャちゃんは、ほんとに お利巧さんだね。氷河が得意がって、みんなに自慢したがるのも仕方がないね」 親の欲目もあるかもしれないが、ナターシャは 本当に賢い子だと思う。 ナターシャの歳で、自分以外の人間の立場に立って ものを考える想像力を 己が身に備えている子供が、この世界に どれほどいるだろう。 きっと、その数は極少なのに違いない。 ――と思ってから、瞬は、ナターシャの親でいられることを得意がっているのは自分も氷河と同じのようだと 苦笑することになった。 光が丘公園のイチョウ並木は、その両脇にベンチや お弁当を広げられるテーブルが設置されている。 週末は場所の確保が難しいのだが、平日の午前中ということもあって、瞬たちは金色の並木道を一望できる特等席を確保することができた。 木製のテーブルにも、イチョウの葉が 一枚また一枚と降ってくる。 瞬がお弁当を広げる横で、ナターシャは、降ってくるイチョウの葉を空中で受けとめ、それをテーブルに綺麗に並べて ご満悦だった。 イチョウの葉のテーブルクロスを作りながら、ナターシャが瞬に尋ねてくる。 「葉っぱはナターシャで、パパはイチョウの木で、マーマは?」 「え?」 その質問は想定外。 瞬時 答えに詰まった瞬の代わりに、氷河が“マーマ”の役どころを ナターシャに教えてくれた。 「瞬は大地だ。地面。いちばん偉い。オデカケに出た葉っぱを受けとめて、パパの木のところに必ず連れてきてくれるんだ」 「ソッカー。いちばんエライ地面がマーマなんダー」 その説明で すんなり納得するナターシャの判断を 極めて妥当と思っている顔で、氷河は 意味ありげな視線を瞬に投げてきた。 「僕は、そんなに偉そうになんかしてないと思うけど……」 瞬のクレームを、 「マーマはエライヨー」 ナターシャが、無邪気に遮る。 ナターシャに そう言われてしまっては、瞬も それ以上 文句は言えなかった。 いちばん偉いかどうかという問題は さておき、パパと娘を繋ぐ大地に例えられるのは嬉しい。 いちばん偉いかどうかという問題は ともかく、実際に そういうものでいられたらいいと思う。 瞬は、大地役を(いちばん偉いかどうかという問題は一時 保留して)引き受けることにした。 「大丈夫。大地は必ず、葉っぱをパパのところに戻してあげるの。イチョウの葉っぱが うんと遠くに飛んでいっても、どれだけ長い時間がかかっても、きっと必ず。イチョウの木は100年くらいじゃ、大切な葉っぱのことを忘れないんだよ。葉っぱが帰ってくると、いつも とっても喜んで、『お帰り』を言って、葉っぱを抱っこして、タカイタカイをしてくれるんだ」 「マーマがエラくて ヨカッター」 ナターシャは どうあっても、『マーマはエライ』から離れてくれない。 これは絶対に氷河の刷り込みに違いないと、ナターシャには笑顔を向けながら、瞬は思っていた。 この件は、あとで氷河を問い詰めなければならないと、胸中のメモに記録する。 もっとも、ナターシャの『マーマはエライ』の根拠は、 「マーマは、チーズや卵焼きでイチョウの葉っぱを作ってくれタヨ! 魔法みたいだったヨ!」 というようなところにあるのかもしれなかったが。 「氷河とナターシャちゃんの おにぎりも可愛くできたね。氷河のおにぎりは大きくて、ナターシャちゃんのおにぎりは小さくて、お手々の大きさと同じ。すごく芸術的」 「ナターシャには、芸術方面の才能もあるかもしれん」 「あ、僕も、それは前から そう思ってた」 ここに星矢がいたら、『おまえら、二人揃って、ただの親バカ』と断じられそうだと思いつつ、氷河の言に賛同せずにはいられない。 が、残念ながら、当のナターシャは、そもそも“芸術”の意味がわかっていないようだった。 「ゲージュツテキって、ナニー?」 「……」 実は、芸術の何たるかも知らずに、氷河は その才能をナターシャの上に見ていたらしい。 答えに窮した氷河に、今度は 瞬が助け舟を出すことになった。 「それはね……ほら、お店で売っている おにぎりは、どれも同じ大きさと同じ形をしているでしょう? “芸術的”っていうのは、お店に並んでる おにぎりと違って、ナターシャちゃんの作ったおにぎりはナターシャちゃんらしくて、氷河が作ったおにぎりは氷河らしくて素敵ってことだよ」 ナターシャの『ナニー?』や『ナンデ?』や『ドーシテー?』には、氷河と瞬が二人掛かりでないと対応しきれない。 子供の探求心や好奇心は、アテナの聖闘士が二人掛かりで やっとカバーできる強敵(難問)だった。 「ソッカー。ナターシャとパパのおにぎりはゲージュツテキなんダー! ゲージュツテキー!」 『芸術作品は ちゃんと写真に撮ってあるから、食べても大丈夫』と氷河に言われたナターシャが、『いただきます』を『ゲージュツテキ』で代用して、クマさんの おにぎりを ぱくつき始める。 「ゲージュツって、おいしいんダネ!」 と舌鼓を打ちながら、ナターシャは、スマホのカメラを向けてくるパパのために ポーズをとるサービスも怠らない。 ナターシャは、パパの望むことを心得た、実に よくできた娘だった。 |