こういう時 アテナの聖闘士には、必ず 救いの手が差しのべられる。 もちろん、救いの手は差しのべられた。 そして、瞬に救いの手が差しのべられることになった理由は、瞬の日頃の行ないがいいからだった。 すべては いつも通り。 いつもと少し違っていたのは、その救いの手が 瞬の望むようなものではなく、どちらかといえば、氷河の希望に沿う形で差しのべられたことだった。 「とりあえずさ。どうするにしても、デスマスクの力が役に立つんじゃないかってことで連れてきたぞ」 と言って、星矢がデスマスクと共に登場。 デスマスクを力づくで(当人の意思を無視して)この場に引っ張ってきたのは紫龍のようだった。 来たくて来たわけではない(というポーズを崩したくない)デスマスクが、瞬たちの前に現れるなり、早速 憎まれ口を叩き始める。 「なんで俺が あのガキのために駆り出されなきゃならねぇんだ。アンドロメダに――違った、今はバルゴか。冥界に行く力があるのなら、勝手に行きゃあ いいじゃねーか」 瞬に勝手に冥界に行かれては困るから、冥界と地上世界の境界を超える力を持つ蟹座の黄金聖闘士が この場に引っ張ってこられることになったという事情が わかっていないデスマスクに、星矢が肩をすくめて、そのあたりのことを説明する。 「瞬は、冥界に行ったら駄目なんだよ。ハーデスが瞬を狙ってるかもしれないから」 「うむ。ナターシャを人質に取られて、瞬が無力化され、ハーデスの支配を受けるようなことになったら――ハーデスは、冥界はもちろん、この地上世界にも何をするか わかったものではない」 「なんで、アンドロメダ――いや、バルゴ――ああ、面倒だ。なんで瞬がハーデスに狙われてるんだ? 冥府の王に、そっちの趣味があったのか」 「自分の身体を失ったナルシストが どういう方向に病むのかは、俺だって知らねーよ。けど、瞬がハーデスに狙われてるのは、瞬が 清らかな魂の持ち主だからだ」 「キヨラカぁ !? キヨラカってのは、男と同棲するような男のことを言うのかあ !? 」 瞬とハーデスの関わりは知らなくても(知っているのに、知らない振りをしただけだったかもしれないが)、氷河と瞬の同居の事実は知っているらしいデスマスクが、わざとらしい口調で皮肉を言う。 聖闘士の善悪を判断する役目を担う天秤座の黄金聖闘士は、だが、そんなものには全く動じなかった。 「“男と同棲するような男は清らかではない”という理屈は成り立つまい。実際、瞬は清らかだし、ハーデスも そう考えているだろう。今は、“清らか”の定義について議論している場合ではない。そんなことをして、俺たちが“瞬は清らかではない”という結論に至っても、ハーデスが瞬を手に入れることを断念してくれるわけではないからな」 『だから、瞬はハーデスと接触すべきではない』と、視線で、紫龍が瞬の冥界行きを思いとどまらせようとする。 その視線を受けて、瞬は唇を引き結んだ。 それでも――ナターシャを取り戻すために、誰かが冥界に赴かなければならないのだ。 そして、冥界行きには、瞬でなくても危険が伴う。 それでなくても人を傷付けることが嫌いな瞬は、それが誰のせいであれ、人が傷付くのを見るのも嫌いである。 人が傷付くのを見るくらいなら、自分が傷付いた方が、ずっと心安らかでいられる。 ――という瞬の気持ちはわかっているのだが――わかっているからこそ、紫龍は どうあっても、瞬の冥界行きを阻止しなければならなかった。 「ともかく、瞬がハーデスの支配を受けた時に、どういう事態が生じるのかということは 未知だ。バルゴの力とハーデスの力が一つになることで、力が相殺されるのか、相乗効果で更に強大になるのか。後者だった場合、地上世界が 今のままであり続けることは不可能だろう」 神の力と、神の域に達する人間の力が合一するだけで 想像を絶するのに、その二つの力が相乗されるようなことになったら――そんなことは、そもそも想像したくない。 それが紫龍の本音だった。 「地上世界が 今のままであり続けることは不可能って、あのチビのせいでか? いくら何でも 大袈裟すぎるだろう」 「大袈裟だと思うか?」 「……」 こういう時、紫龍の真面目な顔と穏やかな口調は、対峙する相手を ぞっとさせる。 感情の起伏が感じ取れないからこそ、紫龍の声は、その声を聞く者に、発言内容に誇張がないと感じさせ、その言葉を“単なる事実”だと信じさせてしまうのだ。 戦う術も持たない小さな女の子の行方不明が 世界に及ぼす影響の大きさに、デスマスクは 暫時 あっけにとられたようだった。 腐っても死んでも黄金聖闘士。彼は、すぐに気を取り直してみせたが。 「あのガキは本当に冥界にいるのか」 「地上世界と冥界を自由に行き来できる あんたにも わかんないのかよ?」 デスマスクの疑念に、星矢が疑問文で答える。 デスマスクは、『当たりまえだ』という顔で 顎をしゃくった。 「全く自由というわけじゃないんだ。今の俺は 完全に死んでないし、それでなくても、今、冥界は混沌としている。俺でも、感じ取れない」 「役に立たない半死人だな! 完全に生きている俺にも、ナターシャに死の気配がまとわりついていることは感じ取れるぞ!」 苛立ちを隠しきれない氷河が、(娘の命の恩人で、一応 目上ということになっている)蟹座の黄金聖闘士を刺々しい声音で腐す。 氷河が全く冷静でいないのは明白。 瞬は、こんな氷河を冥界に行かせることはできなかった。 「やっぱり、僕が行く」 瞬の決意を、 「駄目だっ。デスマスク。俺を冥界に送り込め!」 氷河が いきり立って、阻止しようとする。 氷河の阻止は、だが、デスマスクによって拒絶(?)された。 「『送り込んでください。お願いします』だろ」 「なにっ」 氷河の態度と口調は、到底 人様に労を取ってもらう人間のそれではなかったのだが、命令を懇願に変更しろというデスマスクの命令に、氷河は、自分の無礼を棚に上げて、思い切り むっとした顔になった。 その上、怒りの小宇宙まで燃やし始める。 氷河に対抗して、デスマスクまでが小宇宙を燃やし始め――そんな二人の様子が、瞬の“決意”を“他に選択肢のない必然”に変えたのである。 こんな二人にナターシャの救出を任せられるわけがないではないか――と。 「僕が行くよ。この二人に へたに動かれるより、僕が行く方が安全で確実だから」 氷河とデスマスクを無視して 星矢と紫龍に、瞬が告げる。 「それは そうだろうが――」 「だからってさぁ……」 瞬の判断は 至極妥当なもの。 そう言いたくなる瞬の気持ちは、星矢にも紫龍にも 痛いほど わかるのだが、だからといって、これは『行ってらっしゃい』と快く送り出していい事態ではない。 なにしろ 冥界では、ハーデスが舌なめずりをして瞬を待ち受けているかもしれないのだ。 ナターシャ救出にデスマスクと氷河が赴くよりは はるかに ましだが、瞬が危険なことに変わりはない。 「こうしている間にも、ナターシャちゃんが どんな目に会ってるか わからない。ぐずぐずしてられないんだ。僕が行く」 それが最終結論。 有無を言わさぬ強い口調で 瞬が断言した、まさに その瞬間だった。 ナターシャの姿が消えた光が丘公園に、どこからともなく、あの男が現われたのは。 |