「ナターシャちゃん。知らない人についていっちゃ駄目だよって言ったでしょう」
「知らない人じゃないヨ。知らないネコさんダヨ。ナターシャが、お月様を見るためにベランダに出たら、お月様の方からゴールディちゃんが空を走って飛んできて、ナターシャに『乗ってもいいよ』って言ってくれたノ。ゴールディちゃんは、優しい お目々をしてて、牙がぴかぴかして綺麗で、身体も ふかふかで あったかそうだったから、ナターシャ、乗せてもらうことにしたんダヨ!」
霊的な力が増幅され、あの世と この世の境が曖昧になる満月の夜。
魂が世界に固着されていない 自由な子供と動物だったから、二人(一人と一頭)には そんな出会いを出会うことも可能だったのだろうか。
知らないネコさんと黄泉比良坂に来ることになった経緯を語るナターシャの言葉は、マーマの言いつけを守らなかったことへの言い訳ではなく、今夜 自分の身に起こった素敵な出来事の報告だった。

「んぎゃおーん」
瞬の すぐ横では、ゴールディが 盛大に喉を ごろごろ鳴らしながら、瞬との再会を喜び、その喜びを全身で示している。
無邪気なナターシャと無邪気なゴールディを責めることもできず、瞬がゴールディの頭を撫でてやると、ゴールディは ますます嬉しそうに、
「ぎゃおおぉぉぉーん」
と、黄泉比良坂の空に 歓喜の咆哮を響かせた。

それで、瞬は 心底から困ってしまったのである。
顔の無い者とハーデスの間には 何らかのつながりがあるのではないかと、瞬は それを案じていたから。
以前 シュラが冥界に引きずり込まれそうになった時、顔の無い者の手の者が 黄泉比良坂で冥界の門番をしていたと、デスマスクは言っていた。
冥界は、ナターシャにとって危険な場所。
それだけでなく、ハーデスの依り代だった者にも危険な場所。
瞬は、ナターシャには ハーデスの力が漂っている冥界には 近付いてほしくなかったのである。
だが、ナターシャを叱ることのできない瞬は、憂い顔で、
「ナターシャちゃん、あんまり冥界に来たがらないで」
と言うのが精一杯。
しかし、ナターシャには屈託がなかった。

「ここは広いから、ゴールディちゃんに乗って、いっぱい走ったり飛んだりできるんダヨ! おうちの上を飛びまわっていたら、チジョーセカイにいるフツーノヒトタチが びっくりしちゃうでショウ?」
ナターシャも 一応、ゴールディが“普通の”人間たちが営む世界において 尋常な存在でないことは わかっているらしい。
その上で、チジョーセカイにいるフツーノヒトタチを驚かせることがないよう、ナターシャなりに考え、気を遣って、彼女はゴールディと共に黄泉比良坂にやってきたらしい。

普通の人間が“恐い”と感じる氷河が、実は誰よりも優し(く甘)い人間であることを看破するナターシャ。
そんなナターシャには、その恐ろしげな外見にもかかわらず、ゴールディもまた 誰よりも心優しい獣だということが、容易に わかったのだろう。
ナターシャの判断は正しいし、人(と猫)の本質を見抜くナターシャの素直な心を損なうようなことは、瞬とて したくはなかった。
しかし、ナターシャを危険から遠ざけたい。
瞬は本当に困ってしまったのである。
ナターシャが、なぜ マーマが困った顔をしているのか わからない――と言いたげな目で、瞬を見詰めてくる。

「それに……ゴールディちゃんは、マーマが大好きなんだっテ」
「ナターシャちゃん、わかるの?」
「ナターシャ、わかるヨ。ゴールディちゃんは、マーマが大好きダヨ。パパとおんなじダヨ」
「こんな化け猫と一緒にされたくない……」
ナターシャを その腕で抱きかかえている現水瓶座の黄金聖闘士が、口の中で ぶつぶつ文句を言い、
「ゴールディちゃんには、マーマがとっても優しくて、キヨラカなココロを持ってることが わかるんダヨ。ゴールディちゃんは、マーマの小宇宙が大好きなんだって。側にいると、スゴク幸せな気持ちになって、自分も優しいネコさんになれるんだって」
「どうせ俺は刺々しい殺伐男だ」
先々代の獅子座の黄金聖闘士が、でかい図体で大人げなく拗ね始める。
二人の黄金聖闘士の思惑をよそに、ナターシャは、優しい目をしたゴールディの心を瞬に伝えようと必死だった。

「ゴールディちゃんは、マーマに会いたくて、ずっと泣いてたの。マーマに会えなくて、ずっと寂しかったんダヨ!」
ナターシャは、ゴールディの心が すっかり わかるらしい。
思いを言葉にできないゴールディは、自分の思いを瞬に伝えてくれるナターシャの言葉を聞いて(?)、くんくんと鼻を ひくつかせていた。

「ゴールディちゃん……」
ゴールディの一途と ナターシャの優しい心に 胸を打たれ、瞬は、今は 困るのをやめようと思ったのである。
ナターシャは、既に こうして黄泉比良坂に来てしまったのだ。
そして、今のところ、ナターシャの心と身体はハーデスの力の影響を受けていないのだから――と。
そう思い直した途端、瞬は、優しく素直なナターシャとゴールディの横で、カイザーが憮然とした表情を浮かべていることに気付いたのである。

ゴールディとカイザーの絆は 深く強いものであろうが、であればこそ、ゴールディが自分以外の人間に尋常でない好意を示すことが、カイザーには不快に感じられるのかもしれない。
それは、ゴールディの主人としてのカイザーの誇りを傷付けることでもあるのかもしれない。
そう考えて、瞬は、
「あの……すみません……」
と、カイザーに謝ったのである。

瞬に謝られると、カイザーの顔は――普通にしていても 相当の強面だというのに――ますます 険しいものになった。
瞬は、自分の存在がカイザーの気分を害しているのだと察して 彼に謝罪したのだが、それは全くの逆効果。
瞬に謝られることで、カイザーのプライドは更に傷付いてしまうのだ。
ゴールディが喜んでいるのがわかるから、ゴールディが瞬を慕うことを我慢しているというのに。
ゴールディのために 怒りを爆発させず 我慢できていることが、カイザーのプライドを かろうじて保たせているというのに。
瞬の謝罪は、カイザーの最後のプライドを打ち砕いてしまうのである。

「貴様は、相変わらず、無意味に下手(したて)に出て、人の心を ぐさぐさと傷付けるのが得意のようだな」
「は?」
自覚のない瞬には、カイザーの忌々しげな悪態の意味がわからない。
自分が瞬のせいで傷付いていることを認めたくないカイザーは、その視線を あらぬ方向に飛ばして、自身が つい口にしてしまった愚痴を ごまかそうとした。

「ところで、俺の後継者はどこだ」
「一輝は来ないぞ。瞬がピンチに陥ってないんだから」
胸中密かにカイザーに同情していた氷河が、そう答えることで、カイザーの ごまかし作業に力を貸す。
「……そうか」
ごまかし作業のために持ち出した話題にすぎなかったのだろうが、それでも カイザーは 一輝に会えないことを かなり本気で残念に思っているようだった。
瞬とは会いたくない(ゴールディに会わせたくない)が、一輝ならゴールディ(の心)を奪われることはないから、会ってもいい――という理屈らしい。
カイザーの いじましい焼きもちに、デストールは呆れた顔になった。

「アンタ、可愛くないんだから、仕方ないでしょ。ゴールディは可愛子ちゃんタイプが好きなのよ。で、いい男はアタシに まわしてくれる。ほんと、気の利いた猫よね、ゴールディは」
好みのタイプが真逆なので、絶対に同じ相手を好きにならない――二人(一人と一頭)が ライバル同士になることはない。
だから、デストールはゴールディの悪趣味(?)を歓迎しているようだった。
二人(一人と一頭)は、いわゆる WinWinの関係にあるのだ。
当事者の一人(一頭)であるゴールディは、そんなことは考えたことはなく、これからも永遠に考えることはないだろうが。






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