「僕みたいになれば、氷河に好きでいてもらえるとナターシャちゃんが考えるのは、一人になることが恐いからなんだと思うんだ」
「そうか?」
「だから、何があっても 氷河はナターシャちゃんの味方なんだって、疑うこともできないくらい信じられるようにしてあげなきゃならないんだよ、氷河は」
「ナターシャは わかっていると思うが」
「……」

話を持ちかけるタイミングを誤ったと、まるで気のない氷河の返事を聞いて、瞬は自分のミスを悔やんだのである。
誤ったのは、二人の寝台という場所ではなく、深夜という時刻でもなく、タイミング。
事後の方が、氷河は優しい大人になってくれるのだ。
瞬を その気にさせるために 辛抱強く 瞬の話に付き合い、瞬の機嫌を取るようなことを、氷河はしない。
氷河は、事前のサービスより 事後のサービスの方が行き届いている、ある意味 稀少な男だった。
それでも大抵の場合、結局 氷河は瞬に折れて、瞬に付き合ってくれるのだが、それは そうした方が 事の最中の瞬のサービスがよくなることを、彼が知っているから。
互いを深く知れば知ったで、そんな駆け引きを始める。
瞬は、そんな自分たちが一般的なのかどうか、実は よくわかっていなかった。

「僕たちには 両親はいなかったけど、その代わりに、何があっても どんなことになっても疑うことなく信じていられる仲間がいた。僕たちは幸運だったんだろうね。世の中には、血の繫がった実の親を信じることのできない子供だっているのに」
氷河は未練がましく――というより、その時に 備えて? ――愛撫の手を止めない。
むしろ 軽く触れるだけの愛撫を重ねた方が 瞬には効果があることを、氷河は知っているのだ。

溺愛することが許されるナターシャという娘を手に入れたら、氷河はナターシャに夢中になり、他のことは おざなりになるに違いないと思っていた瞬には、氷河のマルチタスク振りが意外だった。
氷河は ナターシャを得て、あらゆることに―― 一社会人としての仕事や アテナの聖闘士としての務めに関しても――意欲的 かつ 精力的 かつ 勤勉になったように見える。

「そうだな……」
鎖骨から肩に繋がるラインをなぞっていた氷河の指が、ふっと止まる。
愛撫を止められたことと、皮肉の色を帯びた声と、微かな冷笑――に、瞬の背筋は ぞくりとした。
触れられていない場所に刺激を感じる錯覚は、実際に触れられて感じる刺激より 煽情的で、瞬は、氷河の愛撫に影響を受けていない振りをするのに、かなり苦労した。
氷河が見透かしていることは わかっているのだが、瞬にも守りたい立場や体面というものがあるのだ。

「なに?」
「いや……。俺は、おまえがナターシャを深く愛していることは信じている。アテナの聖闘士同士、仲間としての俺たちの間にある絆や信頼も信じている。だが、恋人としての おまえは信じていないのかもしれない。仲間としての信頼が強固すぎて、俺たちが離れることは決して ない。だから、時々、おまえは 俺たちの間にあるものが 恋でなくてもいいと思っているのではないかと疑うことがあるぞ」
「それは、穿(うが)ちすぎ。あ、誤用の方の“穿つ”ね」
恋人の身体の そこここに情欲の火を灯しながら、平然と そんなことを言ってみせるから、氷河という男は(たち)が悪い。

「俺はおまえがいないと生きていられないのに、おまえはそうじゃない」
ナターシャがいる今は、瞬なしでも生きていかなければならず、実際に生きていられる自分に気付いているくせに、そんなことを同情を引こうとするから、氷河という男は油断がならない。
「そうかもしれないけど、でも 氷河が側にいてくれなかったら寂しくて、きっと僕は泣くよ」
そして、
「本当か」
「ほんと」
「そうか」
それらのことを すべて無自覚に行ない、時に 子供のように邪気のない笑顔を見せる氷河は、本当に卑怯な男だと思う。
幼く素直な子供のように嬉しそうな笑顔を見せる氷河に、瞬は 負けることしかできないのだ。
癪でならないが、こればかりは どうしようもない。

「ナターシャちゃんに訊かれたんだ。氷河のどこが好き? って」
「どこが好きなんだ?」
「こんなふうに、天然で ずるいとこ」
瞬が ナターシャへの答えとは別の答えを告げると、氷河は 真顔で、
「どういう意味だ」
と問い返してきた。
氷河の(たち)の悪さは、天然のものではないかもしれないと 瞬が思った時には、
「瞬。好きだ」
瞬の唇は、氷河の それで ふさがれてしまっていた。






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