葦舟に乗ってやってきた可愛らしい赤ん坊。
氷河の妹になるはずだった赤ん坊は、その日のうちに氷河の弟に変わってしまったが、氷河には それはどうでもいいことだった。
氷河は自分が見付けた宝物を手放さずに済むのなら、それで満足だったし、嬉しかったのである。
瞬と名付けられた赤ん坊は、神に守られているように、病気一つせず 健やかに成長した。
もちろん 氷河も同じだけ歳を重ねた。

赤ん坊は、不吉な予言のせいで捨てられたのでなさそうだった。
もし そうだったとしたら、予言の方が間違っていたことになる。
瞬が氷河の家にやってきてから、氷河の家には よいことしか起きなかったのだ。
少なくとも、神や神の支配する自然が、瞬と瞬の家族に不運や不幸を運んでくることはなかった。
瞬が氷河の許に来てから、テッサリアの国は 毎年 天候に恵まれたわけではなかったが、氷河たちの村だけは悪天候のために実りが減るということはなかった。
嵐や日照りといった自然の災害は、氷河たちのいる村だけを綺麗に よけていった。

氷河の家に不運や災厄が降りかかる時、それは必ず 人の手によるもので――たとえば、氷河の母が納めた布や糸に 行商人が約束の代価を支払わなかったとか、氷河が瞬だけを見ていることに嫉妬した村の娘たちが 瞬の出自を悪意をもって言い立てるとか、そういったことだけで――瞬は神には愛されているようだった。
氷河などは、そろそろ恋の一つや二つを経験していい年頃になっても、
「きっと瞬が葦舟に乗せられたのは、瞬が世界一 綺麗な子になると予言があったからだったんだろう。瞬は、不細工な女たちに妬まれて、葦舟に乗せられることになったんだ」
と 半ば以上 本気で言い張って、瞬を困惑させていたが、瞬以外の村人たちは誰も――瞬の出自を悪く言う娘たちでさえ――氷河の その主張に異を唱えることはしなかった――できなかった。

瞬が 氷河に拾われた日の山羊に始まって、瞬には 天からの恵みが 常に ついてまわったのだ。
瞬が山に行けば、必ず イチゴやキノコの群生が見付かり、川に行けば 面白いほど魚が取れる。
瞬が家計の一助になればと考えて 家の周囲に植えた綿花の種は、この土地の気候が合わないはずなのに 問題なく育ち、大量の綿毛の収穫に至った。
村の気候にも土にも合う野菜や花等は 言わずもがな。
村の大人たちも、瞬には よほど有力な神の加護があるのだろうと噂するほどだった。

氷河が激しい気性だから 瞬が大人しくなるのか、瞬が大人しい性格だから、氷河の我の強さが助長されるのか、氷河と瞬は 性格の凹凸が ぴたりとはまるような二人で、二人一緒にいさえすれば すべてのことが順調に運んだ。
その分、離れていると、自己主張が強すぎたり 弱すぎたりすることで、騒動が起きたり、物事の進展が滞ったりするのだが、そういう時には すぐに片割れが飛んでいき、不都合を丸く治める。
家長である氷河の母が 人が好すぎるせいで、氷河の家は いつまでも つましいままだったが、それでも一家は幸せだった。

氷河の激しい気性は、人の好い母と大人しい瞬を守るためのものだということを 瞬は知っていたし、瞬の穏やかで優しい(たち)は 激しやすい氷河が敵を作らないために養われた性質だということを、氷河は知っていた。
二人は、二人揃っての自分たちだということを確信しており、氷河は 瞬の美しさが、瞬は 氷河の美しさが自慢だったのである。
二人が二人でいるためになら――マーマと三人で いつまでも共に慈しみ合って暮らすことができるのなら、他に望むことはない。
家の外の――他の誰かとの恋すら いらないと――氷河と瞬は思っていた。
それこそが恋だということも知らずに――知っていても言葉にはせずに――二人は思っていたのである。






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