そこは、瞬たちの他には たった一人の参詣客もいない小さな神社の境内。 空は青いが、古代日本の九州の抜けるような青空に比べれば、21世紀の都会の空が くすんでいることは否めない。 そんな空の下に、瞬たちはいた。 「元の世界……」 今の出来事は何だったのかと、瞬が氷河に尋ねる前に、氷河はナターシャを抱きかかえていた。 「すぐに ここを離れた方がいい。貴鬼たちの やらかしのせいで、この辺りの時空が乱れているようだ」 「時空が乱れてる……って、どうして ここが?」 貴鬼やシオンたちは、日本の有力な神域を起点にして、いろいろなことを“やらかし”ていると、瞬は聞いていた。 この神社も 神域といえば神域だが、熱田神宮や霊峰富士に比べれば ほとんど無名。 その存在を知る者は少なく、当然 信仰する者も少なく、ゆえに影響力も極少の――外部への影響力もない代わりに、外部からの力も素通りする――神域とは名ばかりの神社のはずだった。 氷河が、瞬の疑念に答えを投げてくる。 「スカイツリーは、鹿島神宮-富士山レイラインと金環食の中心線の交点の近くに立っている。それで、この場所にスカイツリーが建てられることになったのは、宗教的な意味合いがあるのではないかと、一部で取り沙汰されているんだ。スカイツリーも とんだ疑惑をかけられたもんだ。問題はスカイツリーではなく、この神社だったんだ」 「え……」 様々の霊力が交差している、この場所。 もしかしたら、神の剣を守ろうとする者たちの力が、この神社に祀られているものを目覚めさせてしまったのかもしれない。 剣の持ち主のヤマトタケルではなく、彼の妻のオトタチバナヒメの神社。 貴鬼たちの“やらかし”の影響を受けて目覚めたオトタチバナヒメが、夫を助けてくれと、時空を超えて アテナの聖闘士たちに すがってきたのだ、おそらく。 だとしたら、一刻も早く この場を離れた方がいい。 へたをすると、この場所にアテナの聖闘士がいることが 悪い方に作用する――。 瞬が そう考えた時。 『あの方を助けてください』 瞬たちが その小さな神域を出る前に、再び あの声が聞こえてきた。 そして、次の瞬間、瞬たちは またしても 古代日本に――否、ヤマトタケルの許に――飛ばされてしまっていた。 ここはどこなのだと 周囲を観察する余裕は、今度は瞬たちには与えられなかった。 そんなことを知ったところで 何になっただろう。 瞬たちは、火の海の中にいたのだ。 「三貴神様!」 数分前に会った時より、ヤマトタケルは少し大人びている。 彼はもう、楚々とした美女に化けられるような少年ではなくなっていた。 では、今は、ヤマトタケルのクマソ征伐のあと。 そして、ここは、クマソ討伐を成し遂げたヤマトタケルが 次に平定を命じられた東の地―― 十中八九、焼津の地。 瞬たちは、ヤマト朝廷に従うことを拒む東方の賊衆による火攻めの ただ中に飛ばされてしまったようだった。 「夫を救うためとなると、人の迷惑を顧みない媛だな……!」 ナターシャを煙から庇うようにして、忌々しげに 氷河が毒づく。 未来の人間が 過去の人間の生死に深く関与するのは まずいが、ヤマトタケルに現況を打開してもらわないと、未来の人間までが巻き添えを食って命を落とす。 聖闘士の力を使うのは問題がありそうで、できない。 だから――氷河は、ヤマトタケルに、大音声で 彼の為すべきことを命じたのである。 「伊勢の斎宮から授かった剣で 草を刈り掃い、迎え火を つけて、逆に敵を焼き尽くすんだ! 急げっ」 「迎え火! 火を火で退散させるのですね!」 西方のクマソ征伐、出雲の制圧、そして東征と、それなりに戦いの経験は重ねているはずなのに、ヤマトタケルの機転の利かなさは 相変わらずらしい。 その分、体力、膂力、武器の扱いの能力は格段に上がったようで、氷河に指示を受けるや、彼は 人間業とは思えない勢いで 周囲の草を薙ぎ払い始めた。 「なるほど、草薙剣に名を改めることになるわけだ」 疲れを見せずに草を薙ぎ倒し続けるヤマトタケルの腕力と速さに、氷河は感心している。――というより、呆れた口調。 火攻めの火は、ヤマトタケルの獅子奮迅の勢いに押されて向きを変え、やがて タケルを焼き殺そうとしていた者たちに向かって襲いかかることになった。 これで未来の人間が古代日本で焼き殺されることはなくなったようだと、瞬たちが安堵した途端、瞬たちの視界にスカイツリーのそびえる青空が飛び込んでくる。 「今度こそ、ここを出るぞ!」 ナターシャを抱きかかえた氷河が、瞬の返事を待たずに一歩を踏み出した、その瞬間に、 『あの方を助けて……!』 三度、あの声。 西のクマソ、東の12国。 夫を窮地から救うために 次から次へと、オトタチバナヒメは 実に人使いが荒い。 父帝に朝敵の征伐を命じられ、席の温まる暇もなく 戦いに明け暮れることになったヤマトタケルの気持ちが、瞬は わかるような気がしたのである。 それでも 瞬と氷河がオトタチバナヒメの懇願を断固として拒もうとしなかったのは、クマソ征伐、焼津の火攻めの次に ヤマトタケルが陥る三度目の窮地は、オトタチバナヒメが身を投げることになった房総の海の嵐以外には考えられないと思ったからだった。 死ぬことが決まっている人間を助ける行為は、歴史を狂わせかねない危険な行為である。 それ以前に、未来の人間に オトタチバナヒメを救うことができるのかどうかも怪しい。 だが、瞬は――瞬と氷河は――本音を言えば、会ってみたかったのだ。 愛する夫のために、アテナの聖闘士を 顎で こき使うオトタチバナという女性に。 たおやかな美女なのか、それとも、鬼神さながらの烈女なのか。 そして、彼女が そこまでヤマトタケルを愛する理由は何なのか。 瞬と氷河は、生きている彼女の心を知りたかった。 だから、氷河と瞬は、三度目の時空跳躍は、これまでより積極的に――ほとんど自主的に――導かれる場所に飛んだのである。 だが――。 |