少し髪を乱して――氷河に乱されたのだが――アテナの聖闘士とは思えないほど深い眠りの渕に沈んでいる瞬の裸の細い肩を 視界に映しながら、氷河は 瞬の無防備に感動し、また感謝もしていた。 その感動と感謝の気持ちが、 「何が敏感すぎ、繊細すぎるだ!」 吐き出すような瞬の声で、瞬時に霧散する。 氷河は、一度、深い嘆息を洩らした。 それから、少し――少しだけ、身構える。 彼は、今夜も機嫌が悪そうだった。 「私には、全く理解できない! 瞬はなぜ 君のような欲望丸出しの愚かな男を、愛情深く優しい男だと信じ込んでいるんだ。どれほど好意的に見ても、君は ただの ど助平だ」 改めて腹を立てる気にもならないほど、言われ慣れた罵倒。 だが、全く無反応でもいられない。 彼は、反論すると機嫌を悪くするが、無反応でいると、もっと機嫌を悪くして 更なる罵倒を繰り出してくるのだ。 彼が 氷河の前に その存在を示すのは、瞬が 自分の意識を手放している時。 瞬が眠りに落ちると、瞬の中の彼が目覚め、瞬のものとは思えないほど 思い遣りのない声で、彼は 氷河に文句を言ってくる。 瞬の顔で、瞬の身体で。――大抵の場合、全裸で。 瞬の中にシャカがいることに 氷河が初めて気付いたのは、アテナと聖域とアテナの聖闘士にとって最大の戦いであるハーデスとの聖戦を終えて間もなく。 瞬と 初めて共に過ごした夜。 その夜の終わらぬうちだった。 そんなふうに“二人の夜”を過ごせるようになるまで、氷河と瞬の周囲では様々な出来事が起こり、氷河と瞬の上には 次から次へと幾つもの試練が降ってきた。 二人は 多くの試練を乗り越えてきた。 その長い試練の時の果てに、ついに迎えた記念すべき夜。 永遠に そんな夜を過ごすことはできないのかもしれないと、幾度も諦めかけた夜。 だが、その夜の時は ついに訪れた。 氷河は夢かと思い、夢なら覚めぬうちにと、少々――否、大いに――焦り、気負い、怒涛の勢いで、それをした。 アテナの聖闘士である瞬が 自分の意識を 自分の許に引き留めておけなくなるほど――つまり、氷河は やりすぎたのだ。 氷河は 瞬を愛していたし――でなければ、そんなことはしない――、誰よりも何よりも瞬を大切に思っていた――当然である。 こんなことで 瞬の中に恐れの気持ちを植えつけてはならないと考えて、これからも二人の夜を過ごせるようにしたいと願い、氷河は できれば今夜のうちに瞬に自分の乱暴な振舞いを謝罪したいと思った。 瞬は失神しているだけで、眠りに落ちたわけではない。 氷河は注意深く 瞬の頬に手をのばし、触れ、可能な限り 優しく 瞬を揺り起こそうとしたのである。 瞬の身体を、まるで“もの”のように扱ってしまったのは、それでも愛ゆえのことなのだと、瞬に わかってもらうために。 「瞬。すまん。怒らないでくれ。俺は おまえを――」 『愛しているんだ』と、氷河は瞬に告げるつもりだった。 残念ながら、その言葉は、 「事後に謝るくらいなら、まず 加減を覚えたまえ、キグナス」 という瞬の声に遮られてしまったが。 「まったく、君が ここまで常識を欠いた男だったとは、完全に想定外だった。まさか、このような暴挙に及ぶとは。瞬は君と同じ男子なのだぞ。わかっているのか!」 それは瞬の声――瞬の身体が作っている音なのだから、当然である。 だが、瞬の声が作り出す それは、瞬の言葉ではなかった。 裸の瞬が、瞬の目ではない目、瞬の表情ではない表情で、やたらと偉そうに 氷河を見据えている。 氷河は、自分の前で いったい何が起きているのか、すぐには理解できなかった。 やがて、瞬の中に、瞬ではない誰かがいることに気付く。 気付いて、氷河は愕然とした。 氷河は、最初は“それ”をハーデスだと思ったのである。 瞬の身体を我が物とし、その意識を支配したがる存在といえば、まず冥府の王を思いつく。 口調も不遜、態度も傲慢。 これは神のものだろうと、氷河は思ったのだ。 氷河の推察は、半ばは当たり、半ばは外れた。 瞬の中にいるそれは、“神”ではなく“最も神に近い男”だったのだ。 呆然としている氷河の前で、シャカ(瞬の身体)(しかも裸)は ベッドの上に起き上がり、何を考えたのか、その場で結跏趺坐を組もうとし始めた。 それも、よりにもよって 悪魔を退散させる力を持つという吉祥坐。 瞬の左足を 瞬の右腿の上に乗せ、瞬の右足を 瞬の左腿上に乗せようとする瞬の手。 その手を動かしているのは、シャカの意思。 瞬の身体の そこここには氷河の愛撫の跡が はっきりと残っている。 氷河が、頼むから それだけはやめてくれと泣きつくと、シャカは、意外にも あっさりと氷河の願いを聞き入れてくれた。 シャカは、それだけは やめてくれた――それしか やめてくれなかった。 つまり、それ以外のことは やりたい放題になってしまったのである。 その当然の帰結として、氷河は 瞬との“情事のあとの余韻の時”を持つことができなくなった。 |