「瞬のあれは、注察妄想なのではないか」 紫龍が 氷河に そう言ってきたのは、瞬が仲間たちにストーカー被害(の可能性)を相談した日の1週間後。 1週間の間があったのは、氷河と瞬が一緒にいない機会に 紫龍が なかなか遭遇しなかったからで、紫龍の声が低く抑えられているのは、それが他聞を はばかる話だからのようだった。 注察妄想――『人に見られている』という感覚がずっと消えないこと。 統合失調症の症状として知られ、脳や脊髄等の神経系に生じる慢性の病気である。 星矢が いつもの調子で、『注察妄想って、何だよ !? 』と訊いてこないのは、その病気の原因と症状について、彼が事前に紫龍から知らされていたからのようだった。 「これまで 俺たちは戦いに次ぐ戦いの日々だった。特に 瞬は、望まぬ戦いを強いられて、精神的に まいっているに違いない。ハーデスとのこともあったし、罪の意識もあるだろう。場合によっては、沙織さんに相談して、休養をとることを考えさせた方がいいかもしれない――と思うのだが」 「さ……沙織さんに…… !? 」 氷河は慌てた。 大いに慌てた。 星矢と紫龍だけなら、何とかごまかして シャカの存在を隠し通すことは可能だろう。 だが、アテナが真面目に事態の究明と解決に乗り出したら、それは いつまでも隠しておけることではない。 瞬のセックスの感想を聞きたくて、シャカの存在を知りながら、その存在を放置していることを、もしアテナに知られてしまったら。 その時、白鳥座の聖闘士は アテナの聖闘士のままでいられるのか。 聖衣の剥奪とて あり得ないことではない。 氷河は 背筋が凍りついてしまったのである。 だが、それより何より。 瞬が戦いの中で その心を病んでしまったのではないかと、深刻な面持ちで瞬の身を案じている仲間たち。 星矢と紫龍は、瞬のために、瞬が聖闘士でいることをやめ 戦列を離れることを、かなり本気で考えているようだった。 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちに、そこまで沈痛な面持ちで 瞬の身を案じられてしまっては、さすがの氷河も 事実を仲間たちに白状しないわけにはいかなかったのである。 無論、氷河は、なぜ自分が決然として瞬の中からシャカを追い払うことができないのかまでは語らなかったのだが、さすがは 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士というべきか。 氷河は巧みに誘導され、矛盾を突かれ、結局 紫龍たちに 洗いざらいを白状させられてしまったのだった。 「しゅ……瞬が、気持ちよくて喜んでるかどーかって、んなこと確かめられることが、そんなに重要なことなのかよ!」 と呆れ、怒り、責めてくる星矢に、氷河は ほとんど開き直って、 「当たりまえだ!」 と、怒声で応じた。 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちの冷たい軽蔑の視線。 それは もしかしなくても、絶対零度の数百倍 冷たい。 「幾度か追い出そうとはしたんだ。だが、敵は 最も神に近い男と言われていた元黄金聖闘士、なかなか手強くて……」 言い訳がましい口調で、言い訳以外の何物でもない言い訳を、ぼそぼそと口にした氷河を、 「見苦しい言い訳すんなよ、このド助平!」 星矢は 一刀両断してくれた。 「それは手強いだろうな。最も神に近い男が、今は 人間の身体から解放されて 意思だけの存在になっているんだ。あの性格だけの存在。本物の神より質が悪いかもしれない」 激した口調でない分、紫龍の遠回しの非難は、冷たさが尋常ではない。 星矢と紫龍は、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間であるにも かかわらず、完全に氷河を軽蔑しているようだった。 だが、とにかく、瞬が神経系の病気ではなかった事実は、彼等の心を安んじさせたられしい。 氷河への軽蔑と非難は さておいて、二人は、 「とにかく、事情は わかった。そういうことなら、俺たちもフォローしとく」 と言ってくれたのだった。 言うまでもなく、氷河を許す気になったからではなく、瞬のために。 そして、氷河には それで十分だった。 「よろしく頼む。瞬が乙女座の黄金聖闘士になりさえすれば、あの傍迷惑男も消えると思うんだ」 「だといいけどな」 「不吉なことを言うな……!」 星矢の不吉な言葉が、氷河の背筋を凍りつかせる。 瞬と共に生きることができるなら 他のことは二の次三の次と言っても、この先 何十年もシャカとの三人暮らしを続けることは御免被りたい。 氷河は、厄介な小姑は一輝だけで十分だった。 「瞬には、絶対にシャカの存在を知らせたくないんだ。まさか、夜な夜な あの男が、俺との行為の感想を言ってるなんてことを知ったら、瞬は羞恥のせいで 世を儚みかねない」 「シャカに、んな感想を言わせてるのは、どこの誰だよ」 皮肉を言いたくなる星矢の気持ちは わからないでもないが、氷河にも(一応)言いたいことはあったのだ。 否、申し開きは できたのである。 「俺が強要しているわけじゃないぞ。シャカが勝手に言うんだ」 「それって、要するに、おまえがシャカに見透かされてるってことだろ」 「うむ。シャカは、おまえが情交の感想というエサで手懐けられる男だということを知っているんだ」 全く星矢たちの言う通りだったので、氷河は それ以上、自分を弁護することはできなかった。 とはいえ。 シャカが与えてくれる、『あの瞬が、君と交わっている時は、このまま死んでもいいと本気で思っているのだ。私には到底 理解し難い』という情報には、千金の価値があるのだ。 千金どころか――氷河にとって それは、へたをすると地上の平和より価値のある貴重な宝石のようなものだった。 |