「で、結局、プラネタリウムじゃなく、お弁当を作って、公園に行ったんだ。行ってかったよ。次の日からまた、ずっと梅雨空が続いたから」
それは今日も続いている。
『梅雨空が鬱陶しいから、遊びに行く』と星矢からの連絡を受けた瞬は、慌てて お茶請け用のお菓子を調達に出たのだが、その時も しとしとと 冷たい雨が降っていた。
氷河に留守番を任せ、おろしたてのオレンジ色の傘とレインブーツでオデカケしたいナターシャと一緒に買ってきたのは、ピンク色と紫色の餡で飾られた“紫陽花”と、薄い朱色の練り切りでできた“なでしこ”。

綺麗で可愛らしすぎて食べられないと、ナターシャが口にするのを ためらっていた紫陽花を、情け容赦も趣もなく 丸ごと口中に放り込んでから、星矢は、
「近所の公園で そこまで満足してくれるなんて、安上がりでいいな。今時、遊園地だのテーマパークだのに出掛けてくと、入場料だけで数千円、家族連れだと普通に万単位で 金が飛んでくんだろ」
と、情緒も 季節感も何もない感想を述べてくれた。
和菓子を ここまで豪快に食することのできる星矢に、いっそ感心したように、紫龍が 口許に乾いた笑いを浮かべる。
「ナターシャが満足したのなら、それが いちばんだろう。プラネタリウムに行くのは、白鳥座メインのプログラムのある夏か、アンドロメダ座メインのプログラムのある秋の方がいいのではないか」

菓子で季節感を味わうような雅の心を最初から星矢に期待していなかった氷河は、季節感無視の星矢の食欲になど、今更 感動もしなければ、呆れもしない。
氷河は、季節感を無視した星矢の振舞いを無視した。
そして、季節感を考慮した紫龍の提案は、半分 却下。
「白鳥座メインのプログラムは、ナターシャの教育上 よろしくない。行くなら、秋だな」

星矢の豪快な菓子の食べっぷりに触発されたのか、あるいは、綺麗だからといって いつまでも食べずにいると 星矢に横取りされてしまうという危惧を抱いたのか、ナターシャも ついに黒文字を手に取った。
一口食べて、満足げな笑顔になる。
「パパは、水瓶座の聖闘士になる前には白鳥座の聖闘士だったんでショ。それで、マーマはアンドロメダ座聖闘士だったんだヨネ? 白鳥座はドーシテ、キョーイクジョーよろしくないノ?」
「――」

教育上よろしくないことは、説明もしたくないらしい氷河が黙り込む。
仕方がないので、氷河に代わって紫龍が、説明(という名の ごまかし作業)を始めた。
「いや、ナターシャには お姫様の星座の方が楽しめるだろうということだ。ナターシャは、アンドロメダ姫の話は知っているのか?」
「ンート、鎖を振り回して戦う お姫様……?」
それは、一部地域では正しいが、一般的には間違った理解である。
普通、お姫様は 鎖を振り回して戦わない。

「いや、それは……。アテナの聖闘士ではない本物のアンドロメダ姫は、エチオピアという国のお姫様なんだ。とても綺麗なお姫様だったので、お姫様のマーマの女王様が『ウチの娘は、海の女神たちより美しい』と自慢した。それを聞いて怒った海神ポセンドンは、『エチオピアの国を海の底に沈められてしまいたくなかったら、自慢の娘を海獣の生贄に差し出せ』と、アンドロメダ姫のパパとマーマに命令した。本物のアンドロメダ姫は、鎖を振り回して戦ったわけではなく、海獣の生贄にされるために 鎖で海辺の岩に繋がれた、気の毒な お姫様なんだ」
「エ……」

ナターシャは おそらく、アンドロメダ姫を鎖を振り回して悪者と戦う美少女戦士のように思っていたのだろう。
紫龍の説明を聞いて驚いたナターシャは、それでなくても大きな瞳を更に大きく見開いた。
ナターシャの驚きは当然のことだと、その場にいた大人たちは、今更ながらに思ったのである。
そんな お姫様をモチーフにして戦うための鎧を作ることを思いついた人物(神話の時代のアテナなのだろうか?)の発想力が常軌を逸しているのだ。

「フツーに、ウチの娘は綺麗だって言ってるだけならよかったんだ。他の誰かと比べて 『ウチの娘の方が綺麗』はよくないよな。比べた相手に、『アンタはウチの娘より綺麗じゃない』って言ってるようなもんだろ。喧嘩 売ってるのと同じ。反感も買うし、罰も受けるさ」
「アンドロメダ姫は、たまたま通りかかった英雄に助けられて、海の怪物に食べられずに済んだんだが、人を褒めたり 身内の者を自慢する時には、気をつけなければならないということだな。誰かと比較して、一方を貶めるのは、むしろ もう一方の褒められた人間の立場を悪くする」

紫龍は、カシオペアの無思慮な傲慢を語ることで、氷河に忠告を垂れたつもりだった。
我が子可愛さの氷河の親馬鹿振りは、その表現方法を間違えると、我が子を窮地に追い込みかねないもの。
ナターシャへの氷河の愛情の深さ強さは疑いようもないが、愛情は 深く強ければいいというものではない。
それは 正しくなければ、彼の愛する者に害薬や災厄となって降りかかってくることもあるのだ。
――と、そういう意図での紫龍の婉曲的な忠告と懸念は、だが 徒労と杞憂にすぎなかった。
氷河の親馬鹿振りは、カシオペアの傲慢など はるかに凌駕したものだったのだ。

「俺は、ナターシャを海の女神ごときと比較するようなことはしない。比べるまでもない」
「は……」
紫龍は、『よその家の子供とナターシャを比べて ナターシャを褒めるようなことはするな』と忠告したつもりだったのだが、そもそも“よその家の子供”などは 氷河の視界に入ってもいなかったらしい。
氷河の この突き抜けた親馬鹿振りは、ご町内のママやパパはもちろん ポセイドンを敵に回すこともなさそうだと安心していいものだろうか。
その判断ができずに 言葉を詰まらせた紫龍の向かいの席で、なぜかナターシャが ひどく不安そうな目をして、食べかけの紫陽花を見詰めていた。






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