関東甲信地方の梅雨は、例年 6月初旬に始まり、7月下旬に明ける。 そして、瞬は、かれこれ3日、明るく からりと晴れたナターシャの笑い声を聞いていなかった。 梅雨の季節は、日照時間が短くなり、梅雨前線で気圧が下がり、湿度の上昇に伴って不快指数も高くなる。 かてて加えて、野外で運動する機会も減る。 そのため、体調を崩し 自立神経のバランスを崩す人間は多く、また それらの要因で、鬱を発症したり、症状が重くなったりする人間も多い。 俗に言う、季節性鬱。季節性情動障害と呼ばれる病気である。 最初、瞬は、ナターシャが沈んでいるのは そのせいかと案じたのである。 梅雨の晴れ間には必ず、 「公園に行こうか?」 と声をかけるようにしたのだが、ナターシャからは そのたび、 「行かナイ」 という、気のない答えが返ってくる。 雨が降っていても お出掛けしたがっていたナターシャの豹変。 当初は季節性鬱を疑ったのだが、医師の目で見ると、ナターシャに病気の症状はなく――彼女は 体調や神経とは無関係に 気持ちが沈んでいるようだった。 そして、思い起こせば、ナターシャの消沈は 星矢が紫陽花を一口で食べた日から始まったように思う。 だが、あの日、ナターシャの心が沈むような出来事があっただろうか? 新しいオレンジ色の傘とレインブーツ。 綺麗な季節の和菓子。 アテナの聖闘士ではない本物のアンドロメダ姫の話。 氷河の親馬鹿の話。 そんなことを、いつものメンバーで、いつもの調子で語っただけ――だったように思う。 しかし、どう考えても、ナターシャの消沈は あの日から始まったのだ。 「俺たちが目を離した隙に、星矢の奴がナターシャの分の菓子をかすめ取ったんじゃないか?」 「まさか、そんなことで……」 こっちは真面目に心配しているのだから、氷河にも真面目に ナターシャの消沈の原因を考えてほしい。 瞬が そう言って責めると、無駄に行動力だけはある氷河は、ナターシャの消沈の原因が自分と瞬にあるはずがないという決めつけに基づいて、星矢と紫龍を自宅に招集した。 そして、 「すぐさま 自分の悪行を白状し、ナターシャに謝れ」 と、彼等に命じたのである。 命じられた星矢と紫龍は(もちろん、自分の悪行に心当たりはない)、突然 藪の中から飛び出てきた棒を、払いのけるべきか、叩き折るべきか、それとも無視すべきかを迷っているようだった。 とりあえず 棒を引っ込めるよう 言ってみることにしたらしい紫龍が、溜め息を一つ 洩らして、態勢を整えた時。 梅雨の季節だというのに、真夏の夕立のような勢いで 対決モードの大人たちの間に割り込んできたのは、それまで沈黙を守っていたナターシャだった。 「パパ、マーマ、ごめんなさい! 悪いのはナターシャなの! パパがカッコよくて、マーマが綺麗だから、パパとマーマがカイジューのイケニエにされちゃうノ。ナターシャが間違っちゃったノ。ごめんなさい!」 「え?」 「なに?」 夕立ちには雷鳴がつきもの。 雷鳴のように 悪いのは自分だと訴えるナターシャの声は、ほとんど涙声。 パパにすがることも、マーマにすがることもせずに(できずに?)、三人掛けソファに掛けている氷河と瞬の間で、ナターシャは小さく丸めた身体を小刻みに震わせている。 ナターシャの心を沈ませている原因がナターシャ自身にあることだけは考えていなかった氷河は、咄嗟のリアクションを思いつけず、それは他の三人も同様。 瞳を涙でいっぱいにしたナターシャが、 「パパとマーマを助けて! ナターシャのせいで、パパとマーマがカイジューのイケニエにされちゃう!」 と稲光のように 星矢と紫龍に訴えるに及んで、大人たちの混乱は頂点に達した。 |