「俺は、好きで王家に生まれたわけじゃない!」
氷の国の王城に、まもなく、炎の国の王女を乗せた馬車が到着する。
新妻との初めての対面に臨む王の怒声に、星矢と紫龍は どんな反応を示すこともできなかった。

『この期に及んで往生際が悪い』と叱責することはできる。
『国のため、地上世界の存続のため、この地上世界に生きている すべての命のために我慢しろ』と諭すこともできる。
『壮麗な宮殿に住み、綺麗な服を身にまとい、美味いものを食う生活は、王としての務めを果たすことで得られるものなのだ』と 理を説くこともできる。

だが、望んで得たわけではない力に付随している義務に 氷河が がんじがらめに縛りつけられていることは、紛れもない事実なのだ。
その義務は、氷河の言動がもたらしたものではなく、氷河の あずかり知らぬところで定められたもの。
氷河が自らの運命と境遇を嘆く気持ちは――もとい、氷河が自らの運命と境遇に憤る気持ちは――わからないでもない。
氷河には怒り嘆く権利があると、星矢も紫龍も思っていた。
その運命を拒む権利は ないにしても。

「おまえの割り切れない気持ちはわかるが、おまえと炎の国の王女の婚姻は、世界中の人間が望んでいることなんだ。氷の力を押さえる力を持つ者が氷の国にいることが大事。それで 民は心を安んじることができ、世界は滅亡の危機から逃れることができる」
「おまえ、別に、他に好きな子がいるわけじゃないんだろ? 麗しのマーマ以上の女性が この世にいるなんて思ってないし、そんな人がいたらいたで腹を立てるだけに決まってる。押しつけられた花嫁かもしれないけど、自分で探す手間は省けた。押しつけられでもしなきゃ、おまえは一生 マーマの面影を追ってるだけだったに決まってる」
「ああ。貴様等は いくらでも気楽に好き勝手なことが言える。貴様等が結婚するわけじゃないからな」

花嫁だけでなく、王としての仰々しい正装を強いられたことが、氷河の不機嫌に拍車をかけていた。
氷河とて、これは避けられない宿命なのだから 諦めるしかないのだと、懸命に自分を説得し続けてきたのだ、これまで ずっと。
たった今も 説得し続けている。
氷河の苛立ちは、その説得が実を結ばないことへの苛立ちだったかもしれない。

「案外、ものすごい美少女かもしれないぞ。この世界が恐怖の坩堝(るつぼ)と化すことを防いでくれた救世の姫君。両親を早くに亡くした妹姫を、一輝は 風にも当てぬように蝶よ花よと育てたらしいし」
氷河への 紫龍の慰撫(?)は、逆効果だったろう。
蝶よ花よと育てられた人間が、蝶や花のように美しく育つとは限らない。
そもそも氷河は、政略結婚の相手というだけで、自分の妻に好意を抱けそうになかったのだ。
氷河が、自分の妻になる姫の兄を知っているせいもあって、氷河は 妻の容姿に期待はできないと思っていたし、実際 期待してはいなかった。

「あの一輝の妹が 美少女のはずがないだろう! 世界中の人間の希望と期待を一身に受けて生まれ育った一国の王女が、肖像画の一枚も公開していないことからして、そのツラの出来は“お察し”だ。それは 皆、わかっているんだ。あの一輝の女版だと わかっているから、これまで 誰も文句を言わずにいたんだ。王女の肖像画一枚 公開されることがなくても、王女が公式の場に姿を見せることがなくても。この先も、王女の肖像画が描かれることはないだろう。民衆をがっかりさせないために」
「まあ、それはそうなんだが……」

それはそうなのである。
実は、誰も、氷の国の新王妃に 美しさを期待してはいなかった。
新王妃の兄である炎の国の王 一輝は、亡き前王に似て、極めて男らしく野性的な容貌の持ち主で、炎の国の王に ふさわしい彼の押し出しは 万人の知るところ。
兄王の肖像は年に1作の割合で公開され、いかにも それらしい風情が人気を博しているのだ。
氷河自身、過去に二度―― 炎の国の王の戴冠式に招待された際と 氷河の戴冠式に炎の国の王を招待した際、一輝には直接 会っていた。
その時にも、氷河は 彼の婚約者に 一目会うことすら叶わなかったのである。
婚約者同士の対面は、炎の国の王によって 問答無用で阻止された。
その姫が美少女かもしれないなどという期待は、抱くだけ空しい。
一輝の妹姫が美しいなら、その肖像画が公開されているはずだという氷河の考えは、妥当なものといえた。

「けど、俺、一輝の顔、結構 好きだけどなー。骨太で、胆が据わってる感じ。暑苦しい印象はあるけど、顔の部品の配置は綺麗で、歪んでない。一輝って、一応、美形だぞ」
星矢の発言は、氷河を慰めるためのものではなかっただろう。
彼は彼の思うところを率直に口にしただけで、それ以上の何かではなく、それ以下の何かでもなく――その発言内容には どんな他意もない。
氷河にとって 女性は“マーマ”と“マーマ以外”の2種類に分類され、“マーマ以外”に分類される女性は、氷河には どんな意味も意義も価値もない存在であることを、星矢は よく知っているのだ。

ちなみに、星矢と紫龍は、氷河の元ご学友。
氷の国の王宮内で 最も王位王権に敬意を払わず、氷の力を持っている氷河に対して腫れ物に触るような接し方をせず、言いたいことを言いまくるところが気に入って、氷河が採り立てた近習だった。
暫時 城の外に出るのにも 厄介な手順を踏まなければならない氷河の手足代わり。そして、耳目代わり、口代わりでもある。
二人は“公の場では滅多なことを言えない氷河に代わって 言いたいことを言う”という、重要な役目を担っている氷河個人の侍者だった(禄は与えられているが、官位や身分は与えられていない)。

「男の顔としてなら、俺も一輝のツラに難癖をつけようとは思わん」
16歳になった時点で 氷河の許に輿入れするはずだった一輝の妹姫との婚礼が 1年以上遅れたのは、姫の16歳の誕生日前後に 氷河の父母が 事故と病で相次いで亡くなったからである。
そのため、未来の氷の国の王妃との対面の場となる この玉座の間に 氷河の両親の姿はなく、そこには、10名の国務大臣と 新王妃に仕える予定の女官長、及び 星矢と紫龍の姿があるだけだった。
そうしようと思えば、百人を超える官吏や臣僕を この場に並べることもできたのだが、新王妃との初対面は内々で済ませたいという氷河の考えに異議を唱える者はいなかった。

新王妃の素顔を知る者は少なければ少ないほどいいというのが、新王妃を受け入れる氷の国の王と重臣たちの共通した認識だったのである。
世界を滅亡から救う救世の姫君が、口さがない者たちに その容姿を こきおろされる事態は避けなければならない――というのが。
氷の国では、新王妃の姿を神秘のヴェールに包み、下級の臣僕や国民の目には触れさせないでおくつもりでいた。
氷河の母である前王妃が美貌だっただけに――それは新王妃のための配慮だった。

その配慮は 炎の国側の者たちも了承しているようだった。
人前に顔を見せたことがないという炎の国の姫君は、美々しく飾り立てた馬車の窓から 沿道で歓喜の声をあげている民に顔を見せることをしなかったし、氷の国の王宮への入城後もずっと、二重三重のレースのヴェールとフードで全身を隠していた。
対面の場である玉座の間に入るまで、城内の衛兵や従僕たちが その目で確かめられたのは、姫君の靴のみ――足のみ。
小さな足と軽やかな足取りから、新王妃が ほっそりした体型の姫だということは察せられたが、どんなドレスを身につけているのかということさえ、新王妃を迎えた氷の国の人間は誰一人、確かめることはできなかったのである。
今日の主役であるはずの姫君に代わって、城中の者たちの注目を集めたのは 姫の従者の方だった。






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