「マーマのために我慢しなさい」
お姫様のドレスより、お城のような おうちより、マーマと一緒にいたいと告げたナターシャに、パパンドレウ氏は そう言ったのだそうだった。
そうすることが“マーマのため”なのだと。
「マーマのため?」
「そう。マーマの幸せのために」

「でも、マーマは パパとナターシャが大好きなんダヨ。マーマは いつもそう言ってる。パパとナターシャが いい子でいるのが いちばん嬉しいって」
マーマが嘘をつくはずがない。
そう信じているナターシャに、パパンドレウ氏は、
「それは、ナターシャちゃんの おうちの中だけの話だよ」
と、事も無げに言った。
「瞬さんが 私の許にくれば、瞬さんは大金持ちになる。欲しいものが何でも手に入るんだ」
「マーマの欲しいもの……? マーマは世界の平和が欲しいんダヨ。世界の平和がマーマのものになるノ?」
ナターシャのマーマが欲しているものを知らされると、パパンドレウ氏は 暫時 驚いたような顔になり、しかし、彼は ナターシャに頷いた。

「もちろんだ。争いというものは、利害の衝突によって起こるものだ。だが、俗に、『金持ち喧嘩せず』と言う」
「カネモチ、けんかセズ……?」
それは どういう意味なのか。
初めて聞いた奇妙な言葉の意味が わからず、ナターシャは 瞬きを繰り返した。
パパンドレウ氏が、その言葉の意味を解説してくる。

「お金がいっぱいあれば、人は他人と争う必要がなくなるということだ。瞬さんが お金持ちになれば、世界は平和になるんだ」
「マーマがパン屋さんの子供になれば、世界の平和がマーマのものになるノ? マーマは幸せになるノ? ナターシャといるより? パパと一緒にいるより?」
ナターシャの人生を変える(かもしれない)その問い掛けに、パパンドレウ氏は どんな権利があってか、
「もちろんだ」
と答えたらしい。
その答えを聞いて、ナターシャは、自分の幸せを諦める決意をしたのだ。
何よりも世界の平和を願う、大好きなマーマのために。






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