「挙動不審な客?」
氷河の店に、そのバーテンダーとバイトの男以上に挙動不審な人間がやってくることがあるのだろうか。
人様を挙動不審人物呼ばわりする権利が、氷河にあるだろうか。
そう思いながら、瞬は、氷河が口にした言葉を そのまま復唱した。
(瞬が そう思っていることは承知の上で)氷河が、瞬に頷き返してくる。
「支払いは ちゃんとするし、騒ぐわけでも暴れるわけでもないんだが」

そんな客の どこが不審なのか。
娘のピンチを察知するなり、突然 店内から消え去るバーテンダーの方が よほど挙動不審ではないか。
そう思いながら、瞬は、視線で、続く言葉を氷河に促した。
(瞬が そう思っていることは承知の上で)氷河が、挙動不審客の不審振りについての説明を始める。
「週に2回ほど、律儀に規則正しく通ってくる。ロブ・ロイ、マンハッタン、たまにゴッドファーザー。ウイスキーベースのカクテルを2、3杯、1時間ほどかけて飲んで、店を出ていく」
「いいお客様じゃない。氷河の作るお酒を気に入ってくれたんでしょう」
「……」

氷河の話を聞いた限りでは、その客の挙動に不審なところはない。
上客どころか、優等生といっていいような客である。
いったい氷河は、そんなに行儀のいい客の何が不満なのか。
眉根を寄せた瞬に、氷河は 思い切り不本意そうに、彼の不満を口にした。
「不味そうに飲むんだ」
氷河は、提供される酒の味が気に入らないのなら 来なければいいのに――と言いたげである。
一人のバーテンダーとして、氷河が抱いている不満は 極めて自然なもの――当然と表していいもの。
瞬は――瞬も、そう思いはしたのだが、とはいえ、バーは、人によっては酒を飲むだけの場所ではない。

「お酒は苦手だけど、お店の雰囲気が好きだとか、氷河が好きだとか」
「気持ちの悪いことを言うな。確実に30は過ぎた不細工な男だ」
「氷河に比べたら、大抵の人は――」
つい 『不細工に分類されるでしょう』と言いそうになり、瞬は慌てて言いかけた言葉を途中で途切らせた。
そんな分類と推測は、せっかくの優等生客に対して失礼だろう。

「人となりも 掴みにくい。傲慢なのか、卑屈なのか。まあ、その二つは どちらも根は同じものだろうが、とにかく、人を愛せないタイプだな、あれは。自分以外の人間には心を許さないタイプだ」
「氷河に比べたら、大抵の人は――」
つい『情熱的に人を愛せない人に分類されるでしょう』と言いそうになり、瞬は再び言いかけた言葉を途中で途切らせた。
今度は、そういう分類そのものが誤りだと思ったから。
「そんな決めつけはよくないよ。人への接し方、人の愛し方は 人それぞれでしょう。愛していることが傍目には わからないほど 静かに穏やかに人を愛する人もいれば、自分が人を愛していることに気付かない人もいる」

熱狂的と言っていいほど情熱的にしか 人を愛せない氷河が、瞬への反駁に及ばなかったのは、『人の愛し方は 人それぞれ』という瞬の言に対しては、彼も異見を持っていなかったからだったろう。
愛し方は人それぞれ。
深く愛しているのに 独占を望まず、愛する者の側にいることさえせずにいる瞬の兄のような男もいる。
彼の愛し方が そうであるおかげで、氷河は多大な恩恵を被っているのだ。
確かに、人の愛し方は 人それぞれ。
氷河は、挙動不審客の人となりへの言及はやめた。

「不味いなら、不味いと言われた方がましだ」
「本人に、訊けばいいでしょう」
「……」
瞬のその言葉に、氷河が無言になる。
どうやら 氷河は、自分が好意を抱けない相手に 関心を抱いていること、その状況、そんな自分が気に入らないでいるらしい。
いろいろなことが わかりやすすぎる(瞬にとっては わかりやすすぎる)氷河に、瞬は短く吐息したのである。
妙な こじらせ方をしている氷河のために、ここは自分が一肌脱ぐしかない――ということを悟って。

「週に2回、いつ来るの」
「水曜と金曜の夜。水曜は早いな」
「水曜日に早いのは、ノー残業デーだからだろうね。公務員か、営業やサービス系以外の仕事をしている人なんだ」
「おそらく」
「明日がちょうど水曜だから――僕がお店に行って 訊いてあげるよ」
「マーマ、パパのお店に行くノッ !? 」

ナターシャが それまで氷河と瞬のやりとりを静かに聞いていたのは、パパが作ってくれたタピオカミルクティーのタピオカを スプーンで掬うのに精魂を傾けていたから。
そして、“キョドウフシン”の意味がわからなかったからだった。
だが、事が パパのお店へのオデカケとなると、タピオカと格闘してばかりもいられない。
ナターシャは 元気に右手をあげて、同伴希望の意を瞬に示してきた。

「ナターシャも! ナターシャも、パパのお店に行く!」
「そうだね。じゃあ、ナターシャちゃんは、明日は氷河と一緒にお店に行ってて。僕は、お仕事が終わったら、病院から直接 行くよ」
「ワーイ!」
ナターシャはオデカケが大好きで、数あるオデカケの中でも 氷河の店に行くのが特別に好きである。
色とりどりの壜や 綺麗で ぴかぴかのグラスが並んでいて、パパがカッコよくて、本来は 大人だけに入ることが許されている場所。
そんな特別な空間に入ることに、ナターシャは わくわくするらしい。

もちろん、会社帰りの客が増える7時以降は 引き上げさせるが、これはナターシャが飲酒など考えられない未就学児童で、氷河の店がホテルバーではなく町場のバーだから できること。
それが 今だけできるオデカケなのだということを感じ取っているのか、ナターシャはパパのお仕事参観が大好きだった。






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