蘭子から、ナターシャの許に、カーニバルためのコスチュームが届いたのは 翌日の夕刻。 氷河が仕事のために家を出て まもなくのことだった。 赤に水色の水玉の模様の入った きのこの帽子と 純白のレースのスカート。 華やかで 凝ったデザインの洋服を好むナターシャが、きのこのコスチュームなどを気に入るのか、そして それはナターシャに似合うのかと、瞬は案じていたのだが、さすがは蘭子の見立て、これが思いのほか、可愛らしい。 これでコスプレという遊びに目覚められてしまっても困るのだが、可愛らしいものは可愛らしい。 瞬は、ナターシャに、本気の『可愛い』を連発することになった。 「氷河が大喜びで、100枚も200枚も ナターシャちゃんの写真を撮ることになるよ。ナターシャちゃんはポーズをとるのに疲れちゃうかもしれない」 「ウン……」 「パレードの時は、でも、蘭子さんに無理して付き合うことはないからね。ナターシャちゃんはサンバチームのメンバーじゃなく、あくまでもマスコットだから、疲れたら、すぐ合図して。僕か星矢か紫龍が必ず見てるから」 「ウン……」 『氷河が喜ぶ』と言えば、いつもなら 氷河当人より喜ぶナターシャが、今日は なぜか笑顔を見せてくれない。 「ナターシャちゃん?」 奇異に思った瞬が、水玉きのこのコスプレ衣装を着けたナターシャの前に しゃがみ、彼女の名を呼ぶと、ナターシャは その両腕を瞬の首に絡ませて、瞬に抱きついてきた。 「マーマ。マーマはパパが好き?」 「え?」 「マーマはパパが好き?」 「もちろんだよ」 「どうして?」 「どうして……って……」 「パパがカッコいいカラ?」 「そうだね……」 つい小さな笑い声を洩らしてしまったのが よくなかったのだろう。 『そうだね』が『そうじゃない』であることが、ナターシャにばれてしまったようだった。 ナターシャが 瞬の首に絡めていた腕を解き、上目使いに瞬の顔を覗き込んでくる。 ナターシャの瞳が 心配そうに揺れているのを認め、瞬は 氷河か星矢が 何か不用意に ナターシャの乙女心を迷わせるようなことを言ったのだろうと察した。 事情はどうあれ、ナターシャが、ナターシャのパパとマーマとナターシャの結びつきに不安を抱いている状況は 即刻解消しなければならない。 大人が“なあなあ”や ごまかし笑いで片付けてしまいがちな 愛情に関する事柄に対して、ナターシャの心は いつも驚くほど真摯で繊細で、そして揺れがちだった。 そんなナターシャに、ナターシャのマーマは ナターシャ以上に真摯に対峙しなければならないのだ。 「ナターシャちゃんも知ってるでしょう? 氷河は、氷河のマーマを大好きだったんだよ」 「ウン。ナターシャ、知っテル。ナターシャの名前は パパのマーマからもらった名前なんダヨ」 「そう。そして、氷河は、氷河の先生をとっても尊敬してた」 「ナターシャ、知っテル。お酒の名前の先生ダヨ。えくすとらおーるどダヨ」 「ナターシャちゃんは、氷河の言ったことは何でも ちゃんと憶えてるね。そう……でも、氷河の大切な人たちは みんないなくなってしまった。氷河はね、大切な人がいないと頑張って生きていこうって思えない人なの」 「パパはマーマをとってもアイしてるヨ。パパはマーマがいないと、頑張って生きていこうって思えないんダヨ」 自分のいないところで、そんなことまで氷河はナターシャに語っているのか。 ナターシャは、氷河が口にした言葉を決して忘れないので、子供だから 理解できずに すぐに忘れるだろうと油断していると、いつか慌てる日が来ることになるかもしれない。 あとで氷河に釘を刺しておこうと、瞬は思った。 「そうだったかもしれない。僕は、ずっと氷河の心を支えてあげられる僕になりたかった。僕にとっての兄さんが そうだったように。僕には マーマがいなかったから、僕は、子供の頃からずっと、マーマを大好きな氷河を羨ましいって思ってたんだよ」 「マーマは、今は、パパをササエテあげられるマーマでショ? パパは、いつも そう言ってるヨ。瞬がいるからオレは安心、瞬がいるからオレはダイジョウブって」 「え……」 思わぬところから思わぬ情報を得られるものである。 ナターシャの機密漏洩に、瞬は 我知らず微笑してしまった。 「そうなの? そうなのかな? でも、僕はちょっと強くなりすぎちゃって……。氷河は僕じゃ駄目なんだよ。でも、今はナターシャちゃんがいてくれるから、僕も安心。“ナターシャちゃんがいてくれるから安心”、“ナターシャちゃんがいてくれるから氷河は大丈夫”だよ」 「……」 氷河が『安心』『大丈夫』と言うのを聞いた時、ナターシャは、自分も“安心”で“大丈夫”な気持ちになった。 同じ言葉なのに、瞬が言うと、なぜか安心できず、大丈夫な気持ちにもなれない。 パパは、『瞬がいるから安心』『瞬がいるから大丈夫』と言っていたのに、マーマは『(僕がいなくても)ナターシャがいれば安心』『(僕がいなくても)ナターシャがいれば大丈夫』と言っているのだ。 “安心”などできるわけがない。 ナターシャがいると、マーマは“安心”して パパと“クッツイテ”いるのをやめてしまうのだろうか。 それで構わないと、マーマは言うのだろうか。 だが、ナターシャには、“マーマのいないパパ”も“マーマのいないナターシャ”も“マーマのいない毎日”も考えられないし、嫌だった。 そんなことは、ちっとも“安心”できないし、“大丈夫”でもない。 ナターシャは、もう一度、瞬の首に きつくしがみついた。 「マーマ! ナターシャは、1年中 おんなじ お洋服でもイイヨ。お洋服なんか、どうでもいいヨ! だから、マーマ、パパとずっと仲良しでイテ!」 綺麗な お洋服がたくさんあっても、パパとマーマがいてくれないのでは 少しも嬉しくない。 ナターシャが新しい お洋服を たくさん欲しいのは、何よりもまず、パパとマーマに『可愛い』と言ってもらえるからだったのだ。 「ナターシャちゃん……?」 いったいなぜ、誰に、何を言われて、ナターシャの心は これほど不安定になっているのか。 “なぜ”にも“何を”にも全く心当たりはなかったが、“誰に”に該当するのが誰なのかということだけは、瞬には わかっていた。 「僕と氷河とナターシャちゃんは、ずっと いつまでも一緒だよ」 と繰り返し告げ、指切りげんまんをして、何とかナターシャを落ち着かせると、瞬は“誰に”に該当する者たちに招集をかけた。 |