翌日、午前6時。 氷河のマンションのリビングルームの三人掛けソファには、氷河と星矢と紫龍が並んで腰掛けていた(腰掛けさせられていた)。 センターテーブルを挟んで、向かいの肘掛け椅子には瞬。 ナターシャはまだ就寝中である。 「人を呼びつけるにしても、普通、こんな朝早くに呼びつけるか? 俺たちの中で いちばん常識を わきまえてるのが、おまえの売りじゃなかったっけ?」 “誰に”の最右翼、最重要参考人である星矢は、瞬の非常識な振舞いに不満たらたらだったが、瞬は その不満を、 「ナターシャちゃんのためです」 の一言で一蹴した。 「この時刻が 誰の仕事にも支障の出ない時刻なの! 本当は12時間前に みんなを呼びつけたかったのを、12時間も我慢したのは、僕の常識ゆえです!」 仲間に対して丁寧語になっている瞬に逆らうのは、生きていたい人間のすることではない――という仲間内の常識を発動させた星矢が、大人しくなる。 代わって 口を開いたのは、星矢の右隣りに座って(座らされていた)氷河だった。 「俺は、おまえの常識家振りには いつも一目置いているし、おまえの細やかな気配り、温かい思い遣りの心には、いつも感謝している。しかし、俺は、少なくとも直近1週間に おまえに叱られるような悪さをした覚えはないぞ。ママとの喧嘩は、俺が折れて、一応 決着がついている」 「氷河は、自覚なく不用意なことを言って、ナターシャちゃんを不安な気持ちにさせることがあるから、氷河の『覚えがない』なんて、信用できません!」 “誰かに”の もう一人の最重要参考人の言い分も、瞬は ぴしゃりと切り捨てた。 続いて、紫龍が、不本意そうに 瞬にお伺いを立ててくる。 「俺が呼ばれたのは なぜなんだ? 俺は何もしていないぞ」 言って、ちらりと横目に星矢を見る。 仮にも黄金聖闘士でありながら、紫龍は 彼と同じ黄金聖闘士の動体視力を見くびっていたのか、失念していたのか、あるいは それは罪悪感の為せるわざだったのか。 紫龍の その一瞬の動きで、瞬には犯人がわかった。 「紫龍がついていながら! 星矢を止められなかったのなら、紫龍も同罪です!」 「そんな横暴な!」 「何か申し開きしたいことがあるんですか!」 「う……」 申し開きしたいことは いくらでもある。 いくらでもあったが、丁寧語の瞬に そんなことができるほど、紫龍は強い心臓の持ち主ではなかった。 紫龍の心臓は繊細なのだ。 その上、彼は、氷河や星矢に比べれば 比較的多めの常識を持ち合わせている。 紫龍は、瞬の前で大人しく頭を垂れることになった。 氷河が意気揚々と参考人席を立ち、瞬の隣りの裁判官席の肘掛け椅子に移動する。 参考人席から被告人席に変わったソファに残された星矢と紫龍は、そうして 結局、洗いざらいを瞬の前で白状させられてしまったのだった。 なぜ瞬が氷河とくっついているのか、その謎の解明を ナターシャに依頼したこと。 その際、氷河の稼ぎの悪さに言及し、その謎が解明されなければ ナターシャの洋服に危機が訪れるかもしれないと脅したこと。 すべては、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間としての熱き友情から出たことで、氷河への悪気は 少しあったが、ナターシャを不安にするつもりはなかったこと――等々。 参考人席から意気揚々と裁判官席に移動したはいいが、途端に、“稼ぎの悪いパパ”という有難くない芳名を拝することになった氷河は、思い切り渋い顔になった。 「俺の店は流行ってるし、休みも好きなだけ取れるし、ママの気まぐれに付き合うたび 手当てが増えていくし、俺は一応 店長だし――」 やる気のないサラリーマンよりは よほど稼いでいる――と、黄金聖闘士らしからぬ言い訳を連ねたあと、氷河は、 「瞬が稼ぎすぎなんだ」 で、言い訳を締めくくった。 「いや、俺が聞きたいのは、おまえの稼ぎの実情じゃなく、なんで 瞬が おまえなんかと くっついてるのかってことなの!」 被告人席に座る被告人の方が、裁判官に証言を求めるという逆転現象。 しかし、氷河には それは、稼ぎの実情を語るより はるかに語りやすい内容だったらしく、彼は実にあっさりした顔で、被告人の証言要請に答え始めた。 「それは、俺の先見の明と それに基づく長期計画が実を結んだだけのことだ。俺は瞬が強くなる前に――瞬がアンドロメダ島に送られる前に、さっさと瞬のファーストキスを奪い、人はファーストキスの相手と いつまでも一緒にいなければならないんだと教え込んだんだ」 「は?」 氷河は いったい何を言っているのか。 被告人席の二人は、一瞬――もとい、1分強の長きに渡って 呆けてから、何とか気を取り直した。 氷河の隣りにいる瞬が 反論に及ぼうとしないところを見ると、それはどうやら事実であるらしい。 「しゅ……瞬、おまえ、そんな嘘八百、信じてたのかよ? いや、ガキの頃には信じてたにしても、大人になったら、そんなルールはないんだってこと、わかるだろ! おまえ、頭いいんだから! いや、んなこと、馬鹿でも わかるだろ!」 「僕だって、いつまでも信じてたわけじゃないよ。でも、氷河は、僕が信じてるって信じてたみたいで、だから僕、もう そんなの信じてないって、氷河に言おうとしたら――」 裁判長だったはずの瞬が、なぜか 今は、その場にいる聖闘士たちの中で最も その身体を縮こまらせている。 言葉を詰まらせた裁判長に代わって、証言の続きを語ったのは、つい先刻まで参考人席に着いていた氷河だった。 「そうと察した俺は、瞬が何か言う前に、口を封じ、足を封じ――」 「寝技に持ち込んだんだな?」 嫌なら言わなければいいのに、紫龍が嫌そうな顔で そう言ったのは、氷河の選ぶ言葉に信用が置けないからだった。 氷河は、無駄に具体的な描写をしたがる。 同じ事実を告げるなら、氷河ではなく氷河以外の第三者の方が 瞬の立場を失わせずに済むと、紫龍は考えたのだ。 紫龍の気遣いに気付いているのか いないのか、氷河が、 「よくわかったな。おまえも同じ手を使ったことがあるのか」 と、とんでもないことを訊いてくる。 「おまえと一緒にするな!」 瞬への気遣いは 氷河への気遣いでもあるのに、恩を仇で返された紫龍は、むっと顔を歪ませた。 「って、冗談でなく、まじで そうだったのかよ? この馬鹿、ほんとに寝技に持ち込んだのかーっ !? 」 気遣いなどというものを使ったことも作ったこともない星矢が、裁判長の発言許可も得ずに、被告人席から立ち上がり、氷河を指差して 大声を張り上げる。 「え……と、うん……」 頷く代わりに これ以上ないほど小さく身体を丸めた瞬に、星矢は髪の毛を逆立てた。 「なんで、ぶっ飛ばさなかったんだよ!」 「僕、人を傷付けるのが嫌いだから……」 「そんな、言い訳、通用するかよ!」 その出来事は、いったい いつ起こったのだろう。 二人がまだ青銅聖闘士だった時か、黄金聖闘士になってからのことなのか。 それが いつのことだったとしても、氷河と瞬が聖闘士になってからのことなのであれば、瞬が氷河に力負けすることは考えられない。 つまりは、そういうことである。 なぜ瞬が氷河とくっついたのか。 それは、氷河が瞬を好きで、瞬が氷河を好きでいるから。 それ以外の理由は あり得ないことだった。 「瞬が俺にくっついているのは、あえて言うなら、俺がテクニシャンだからだな」 稼ぎの悪いパパが得意顔で言うのが、癪で仕方がない。 「ふざけんな! このど阿呆!」 神経がぶち切れかけた星矢は、ぶち切れそうな勢いのまま、氷河に殴りかかっていっていたかもしれなかった。 もしかしなくても 星矢の大声のせいで目覚めてしまったらしいナターシャが リビングルームにやってきて、『おはよう』の挨拶より先に、 「てくにしゃんって、ナニー?」 と、大人たちに尋ねてこなかったら。 |