氷河と星矢と紫龍が黙り込み、大人を代表して 瞬が、
「お……美味しいお酒やジュースを上手に作れることだよ」
という、決して嘘ではない説明をする。
ナターシャは瞬の説明に頷いてから、僅かに首をかしげた。
「マーマは、パパが 美味しいお酒やジュースを上手に作れるから、パパにクッツイテるノ?」
ナターシャの疑念は、瞬には 渡りに船だった。
瞬は、ナターシャの用意してくれた船に 素早く飛び乗った。

「僕が 氷河と一緒にいるのは、絶対に 氷河がテクニシャンだからじゃないよ」
瞬の断言に、氷河は不満げな顔になったが、瞬は、氷河が示した遺憾の念を 綺麗さっぱり無視した。
「おはよう、ナターシャちゃん。起こしちゃって、ごめんね。うるさかった? 一人で ちゃんと お着替えしたんだね。ナターシャちゃん、偉かったね」
瞬に褒められると、ナターシャは嬉しそうに笑って、それから朝の挨拶をするのを忘れていたことに気付いたらしく、慌てて、
「パパ、マーマ、星矢お兄ちゃん、紫龍おじちゃん、オハヨウ!」
と、大人たちに 少し遅れた挨拶をしてきた。

パパたちの前で いい子でいようとするナターシャを見るたびに、瞬が微笑ましい気持ちになるのは、城戸邸では そんな殊勝な態度を見せたことのなかった幼い頃の氷河も、彼のマーマの前では 素直な いい子でいようとしていたのだろうと 思えるからだった。
気に入らない人間は徹底的に無視し、好きな人、愛してほしい人の前でだけ いい子。
自分の好悪の感情を全く隠そうとせず、自分の心に どこまでも正直に振舞う氷河に初めて出会った時、幼かった瞬は、それこそ 天と地が入れ替わる様を目の当たりにするかのような驚きを味わった。
ひどい目に合いたくなかったら、子供は大人の前で正直に振舞ってはならないと信じていた瞬には、氷河は“驚くべき子供”だったのだ。

瞬が、『恐くないの?』と問うと、幼かった氷河は、それが子供の“普通”だと、事も無げに言ってのけた。
「俺だって、俺のマーマの前では いい子だった」
と。
“いい子の氷河”が どうしても想像できず、二度びっくりしたことを、瞬は今でも鮮明に思い起こすことができる。

氷河が ナターシャを自分の許に引き取り、自分の手で育てると言った時、瞬は氷河に、
「氷河は、ナターシャちゃんを、子供の頃の氷河みたいに 正直な子に育てたいの?」
と問うた。
氷河は、
「ナターシャを、俺みたいに可愛げのない子にしてたまるか」
と、瞬の疑念を言下に否定した。
「俺は、ナターシャを、子供の頃のおまえが正直に振舞えていたら、こんなふうになっていただろうと思えるような子に育てるんだ。あの頃、俺が非力な子供でなかったら、子供だった おまえに そうしてやっただろうように、ナターシャを守り、ナターシャに自由を与え、ナターシャに正直でいることを許し――」
幼い瞬に そうしてやれなかったことが 今でも無念でならないと、氷河は瞬に告げた。

「子供の頃の正直な氷河と、正直でいることを許された子供の僕は 違うものなの?」
「全く違う。ガキの頃の俺は、嫌いな奴を嫌いだと言う、可愛げのないガキだった。正直でいることを許された おまえは、好きな人を好きだと言える素直な子供になるはず。俺は、ナターシャを そんな子に育てるんだ」
わかるような、わからないような。
氷河の言わんとするところを 完全に正確に理解したという確信を持てずにいる瞬に、氷河は、言葉を重ねてきた。
「俺は、ナターシャを“幸せな おまえ”にするんだ。そうなればいいと思う」
「……」
わかるような、わからないような――わかってしまうのが切ない。

いずれにしても、氷河が軽い気持ちで ナターシャを育てる決意をしたのではないことが、瞬には わかった。
ならば、氷河の望みを叶えるために協力しないわけにはいかないと、瞬は思ったのである。
最初に氷河の決意を聞いた その時には、『氷河に 子育ては無理』と、ほとんど決めつけるように思ったというのに。


瞬は、いい子で ちゃんと朝のご挨拶ができたナターシャの方に向き直り、その頭を二度三度と撫でた。
そして、言う。
「僕が 氷河と一緒にいる理由は、ナターシャちゃんだよ。ナターシャちゃん、知らなかったの?」
「ナターシャ?」
ナターシャが知りたかったのは、“パパとマーマがクッツイテいる理由”。
ナターシャは、そこに自分の存在を絡めて考えことはなかったのだろう。
不思議そうな顔をしたナターシャに、瞬は微笑を浮かべ 頷いた。

「そう。ナターシャちゃんだよ。氷河が僕をナターシャちゃんのマーマにしてあげるって 言ってくれたのが、僕はすごく嬉しかったの。ナターシャちゃんが とっても可愛い いい子だったから、僕は氷河に釣られちゃったんだ。ナターシャちゃんが可愛い いい子でいる限り、僕は氷河と仲良しでいるよ」
「ソーダッタンダ!」
ナターシャが 本当に知りたかったのは、パパとマーマがクッツイテいる理由ではなく、パパとマーマがずっとクッツイテいてくれるためには どうすればいいのか、だった。
そのために どうすればいいのかが わかったナターシャが、晴れ晴れとした顔でマーマに力強く断言する。

「ナターシャは いつまでもずっと 可愛い いい子でいるヨ!」
「うん。そうしてくれると、僕も 氷河とナターシャちゃんとずっと一緒にいられて嬉しいな」
「ヤッター !! 」
右手を天に突き上げて 勝利のポーズを取ったナターシャは、だが すぐに その手を下ろして、瞬の顔を覗き込んできた。
「ナターシャが可愛いナターシャでいるには、可愛い お洋服もあった方がいい……ヨネ……?」
上目使いに瞬の顔を覗き込むナターシャの瞳は、少しく不安げ。
パパとマーマがナターシャと一緒にいてくれるなら、新しい お洋服など買ってもらえなくても構わないが、それは買ってもらえるに越したことはないのだ。

「そうだね。そろそろ秋冬のお洋服の準備に取りかからなきゃならないね」
瞬の その言葉がナターシャの顔を ぱっと 明るく輝かせる。
「ヨカッター!」
と歓声をあげたナターシャが、瞬の隣りの肘掛け椅子に座っている氷河の膝に よじ登っていくのは、大蔵大臣の決定をパパに報告し、共に喜ぶためなのだろう。
それが この国(この家)のあり方で、その状態に すべての構成員が満足しているのなら、他国の者が外から干渉する権利はないだろう。
それをしてしまったら、内政干渉。
内政不干渉の原則に反することになるのだ。






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