優しい手紙を ありがとう。 氷河のことさえなければ、あなたほど 俺を思い遣り、俺の心を慰めてくれる人は 他にいない。 いや、皆が気遣ってくれているんだろうとは思うんだが、その気遣いを言葉にして手渡してくれる人は、あなた以外にいない。 皆が俺を気遣ってくれていると思うのも、もしかしたら、俺の希望的観測にすぎないのかもしれないが。 そういえば、俺自身、誰かに慰撫や気遣いの言葉を伝えたことはないな。 ……今、突然 反省した。 そして、気付いた。 俺は与えないのに、あなたは くれるから――その手間を惜しまないから、誰もが あなたを“優しい”と言うのかもしれない。 優しさなんてものは、言葉なり 行動なりにして表わさなければ、無いも同然だ。 優しさ それ自体は、形も質量も温度も持っていないものなんだから。 シュラは、バイトを始めるなり、岩手に旅行に行ったとか。 氷河の店のオーナーさんは優しい方のようだが(その方は、優しさを行動にしているな)、本当に大丈夫なのか? 氷河の育児手当は無理だが、シュラやアイオリアの生活費くらいなら、聖域からでもグラード財団からでも出してもらえると思うんだが。 あれから、あなたに送った手紙に書いた内容を思い出して――その内容を訂正しようと思う。 他でもない、俺が氷河に憧れていたという、あの件。 俺が憧れていたのは、氷河ではなく、あなた方だ。 俺は、あなた方と あなた方の強い絆に憧れていたんだ。 星矢の 迷いのない まっすぐな眼差し。 紫龍の 絶妙な 情と義のバランス。 一輝の 圧倒的な存在感。 あなたの 優しさ、温かさ。 氷河も憧れの対象ではあったが、氷河のどこに憧れる要素があったのか、今となっては思い出せない。 氷河が俺の憧れの人(の一人)だったということは、本当は公言したくない。 無論、それは紛れもない事実で、事実は事実として 認めざるを得ないが、それは過去の過ちというか、若気の至りというか。 ともかく、あなたたちという目標があり、理想があったから、俺は迷うことなく努力を続けることができた。 黄金聖衣を授かることもできた。 だから、世界の平和を守るために あの人と戦うこともできると思う。 氷河が幼い子供を育てることには、俺は まだ反対だ。 相手が氷河では、ある程度 歳のいった聖闘士志願の弟子を取ることだって不安だ。 『ききのえ』のせいじゃない。 そのことは 根に持ってなどいない。 しかし、氷河が幼い子供――それも女の子を育てることを容認する気にだけはなれない。 俺は、決して、闇雲に反対しているんじゃない。 俺は、俺自身の経験に基づいて、それは よくないことだと思っているんだ。 きっと、俺が氷河に対して間違った憧憬を抱いてしまったように、ナターシャも間違いを犯すだろうと思うから。 きっと、ナターシャも、氷河を立派な父親だと誤認する。 それはそれで幸せなことなのかもしれないが、ふと我にかえった時に、今の俺が そうであるように、きっとナターシャも絶望的な気持ちになる。 俺は、ナターシャに 俺の二の舞をさせたくないんだ。 氷河は、聖闘士としても、社会人としても、難ありの男だ。 そして、人を愛する才能にだけ、誰よりも恵まれている男。 その才能を いかんなく発揮して、氷河はナターシャを愛するだろう。 報いを求めない無償の愛を、惜しみなく、際限なく、氷河はナターシャに注ぐに違いない。 そうして ナターシャは、世界でいちばん 父親に愛されている娘になるだろう。 だが、あなたたちと ナターシャは違う。 あなたたちは永遠に仲間同士だ。決して離れることはない。 物理的に距離を置くことはあっても、あなたたちの心はいつも一つ。 ナターシャは、氷河に愛され、氷河を愛し、だが、決して あなた方の仲間にはなれない。 ――いつか別れの時が来るような気がするんだ。 その時、最も傷付くのは――。 いや不吉なことは もう言うまい。 瞬は いつも優しい。 あなたの優しさには、心から感謝している。 あなたは優しいだけでなく、強く――そうじゃないな。 あなたは、強いから優しいんだ。 その強さ、優しさの恩恵を 最も享受しているのが氷河だということが、きっと 俺は癪なんだ。 氷河の子育てに あれこれ言うのは、これで やめることにする。 俺は、どうあっても賛成できないが、俺の憧れの人たちが こぞって氷河に力を貸すと言っているんだ。 俺に、その壁を突破することはできまい。 たとえ、俺の方が正しくても。 何より 氷河には あなたがついているんだ。 どんなことになっても大丈夫だろう。 ところで。 俺には、俺が皆のおまけの子供だった頃から ずっと気になっていることがあって――いや、やめよう。 いつも ありがとう。 だが、もう心配はしないでくれ。 俺は大丈夫だ。 俺はもう、あの人の おまけだった子供ではないから。 今の俺は、あなたの――あなたたちの同志です。 そうであると、信じています。 聖域にて
貴鬼
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