「なーに。何なの。そんな非の打ちどころのない人はいないなんて、他人の価値を認められない人ね。度量が狭いっていうか――人間の器が小さい」 「?」 瞬を横から さらわれて、(無表情で)呆然としていた氷河を我にかえらせたのは、先に来店していた無遠慮な客の刺々しい呟きだった。 彼女が瞬を狭量だと非難しているらしいことは わかるのだが、彼女の中に なぜそんな考えが生じることになったのかが、氷河には わからなかったのである。 瞬は ただ謙虚なだけだというのに。 しかし、どうやら彼女には 瞬の言動が謙虚なものには思えなかったらしい。 「お堅い職業の人に多いわよね。夢のために努力するなんて無駄、現実を見て 堅実に生きろ――なんてことを、分別顔で言うのって。私の高校の時の進路指導の先生が あんなふうだったな」 服田女史の『瞬せんせ』で、瞬を教師とでも思ったのか、彼女は瞬を勝手に“お堅い職業”に従事している人間と決めつけている。 ある職業を、“お堅い職業”とそうでない職業に分ける要因は 何なのか。 医師は“お堅い職業”なのか否か、アテナの聖闘士は“お堅い職業”なのか否か。 その点からして、氷河は判断できなかったのだが、あえて『違う』と言うのも面倒なので、彼は黙っていた。 が、彼女は黙っていない。 「そういう人たちって、自分は さっさと夢を諦めたから、夢の実現のために頑張ってる人間を妬んで、下に見ようとするのよね」 「……」 やはり 彼女が何を言わんとしているのかが わからない。 氷河は、自分が突然 日本語を理解できなくなったような錯覚に捉われ始めていた。 「ああいう ひがみっぽい人は、いくら綺麗でも、人に嫌われるのよ」 「……」 “ああいう ひがみっぽい人”というのは、瞬のことなのだろうか。 なぜ そうなるのだろう? 氷河は つい、それこそ無遠慮に、彼には理解できない日本語を並べ立てる客の顔を まじまじと見詰めてしまったのである。 氷河の視線を自分に向けることに成功したのに気をよくしたのか、彼女の舌は いよいよ なめらかになっていく。 「その教師にむかついて、私、絶対に 大学になんか行くもんかって思ったのよ。それ以来、自分の夢を叶えるために頑張ってる。おかげで、つい この間まで、私は 親に勘当されたも同然の身だったんだから」 そこまで聞いて、やっと氷河にも、彼女が何を考えて そんなことを言っているのかがわかったのである。 彼女は、自分こそが、“思い遣りの心を持っていて、その心を行動にすることができる人。優しくて、強くて、他人の言葉や社会通念、いかなる権威にも屈することのない、確固たる意思と理想を持ち、自分の理想や夢の実現のために努力を惜しまない。もちろん、美しい心に ふさわしく、容姿も美しい人間”だと思っている――のだ。 そんな自分を妬んで、瞬が“そんな非の打ちどころのない人”の存在を否定したのだと、彼女は勝手に一人で決めつけている。 彼女の勘違いに、氷河は 暫時 あっけにとられた。 瞬の前で これほど自信家でいられる女に、感嘆せずにいられない。 だから、氷河は感嘆したのである。 言うべき言葉を思いつけないほど――心から 感嘆した。 「誰に何と言われようと、絶対に 自分の夢を諦めずに努力してる人間は たくさんいるんだから。社会的に認められた定職に就いてないだけで 見下される いわれはないわよ」 「そ……そうだな」 氷河の喉の奥から やっと出てきた言葉がそれ。 それは、言葉というより ほとんど意味のない合いの手だったのだが、彼女は それで氷河の賛同を得られたと、またしても勘違いしたらしい。 留飲を下げたように晴れやかな顔になり、彼女は氷河にキール・ロワイヤルをオーダーしてきた。 |