それまで週に2回だった彼女の来店頻度は、それ以降 週3回に増えてしまったのだそうだった。
「わざわざ 瞬ちゃんに お出まし願ったのに、とんだ計算違いだったわ。まさか、あの女が あれほどの うぬぼれ屋だったとはね。あの女、瞬ちゃんを見て、かえって発奮しちゃったみたい」
と、蘭子は ぼやいた。

瞬の再度の来店は逆効果になると考えたのか、蘭子は瞬に重ねての来店を求めてはこなかった。
蘭子は 彼女の 不屈の闘志(?)が不愉快でならないらしいのだが、彼女は蘭子にとって不愉快なだけで、他の客に迷惑行為を働くわけでも、犯罪行為に及んでいるわけでもない。
“不愉快”を理由に 店への出入りを禁止することの理不尽は 蘭子も承知しており、そのため、さすがの蘭子もお手上げ状態。
最近、蘭子は、
「いっそ 無銭飲食でもしれくれたらいいのに」
と、彼女らしくない弱音を吐いているそうだった。

蘭子の不愉快は解消してやりたいが、罪のない人を(?)店の客にすぎない瞬が排除するわけにはいかないし、できない。
氷河から 蘭子の様子を知らされて、瞬は嘆息した。
蘭子の不愉快を解消できるのは、結局、無遠慮な客の目当てであるところの氷河だけなのだ。

「氷河なら、彼女がお店に来ないように仕向けることなんて簡単にできるでしょう」
なぜ そうしないのかと、視線で問う。
店のオーナーを不愉快なままにしているのは、どう考えても、蘭子に雇われ、彼女の店の管理と運営を任されているバーテンダーその人なのだ。

ナターシャは、部屋で お昼寝中。
彼女のパパとマーマが何を話していても、彼女に聞かれる心配はない。
氷河が『面倒だ』『どうでもいい』等の言葉を口にしても、ナターシャに『パパは蘭子ママを助けてあげないの?』と責められることはない。
面倒くさがって 困っている人を助けてあげないパパの姿をナターシャに見せないために、瞬は ナターシャの就寝中を選んで 氷河に尋ねたのだが、氷河の答えは 思いがけなく建設的なものだった。
つまり、『面倒だから』ではなかった。
「俺も、ママ以上に あの女を不愉快に思っているんだが」
そう前置きをして、自分が無遠慮な客の来店を阻まない理由を、氷河が瞬に語り始める。

「本当に 何もかもが気に入らないんだが、あの女、酒の味だけは わかるんだ」
「お酒の味?」
「ああ。あの女は、店に来ると、必ず1杯、お任せのオーダーをするんだ。『いらいらしているから、落ち着けるものを』とか、『暑いから 爽やかなものを』とか。俺は、既存のカクテルを出すこともあるが、俺のオリジナルのものを出すこともある。酒へのコメントは的確だ。この間、ピーチリキュールを使ったオリジナルのカクテルを出したら、ピーチリキュールの半分をライチのリキュールに変えてみてはどうかと言われて――その通りにしたら、一味違った」

「あ、そういうこと」
少々 騒がしくても、自分の腕に それなりの自負のあるバーテンダーにとって、酒の味のわかる客の来店は嬉しいものだろう。
「僕には協力できない分野だ」
瞬は、得心して首肯した。
蘭子には申し訳ないが、彼女が案じているような“氷河が彼女に誘惑される”事態が起きることはないのだから――瞬は この件から手を引くことにしたのである。
あの無遠慮な女性が どれほど氷河を誘惑すべく手練手管を用いても、興味のあることにしか興味を示さない氷河の、ある意味 頑迷に、一般人の範疇に収まる彼女が 太刀打ちできるわけはないのだ。
氷河の言動の偏向に、瞬は それほどの信頼を置いていた。






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