瞬の兄―― 一輝さんが、
「氷河はどうしてる」
と、私に尋ねてきたのは、私が瞬の身体の中に閉じ込められてから7日目の午後のことだった。

私に与えられた時間は12日。
もう5日しか、猶予はない。
だが、私は焦ってはいなかった。
瞬を愛する人たちの前に 瞬の姿で存在することは、私には つらく苦しいことでしかなく、私は 少しでも早く この状況から逃れることを望むようになっていたから。
自身の罪を贖う方法を探し出し、自身の存在を保持したいとは思わない。
私の贖罪は、私自身の存在が消滅することで為されるべきだ。
私は、そう思うようになっていた。

「どういう意味ですか?」
一輝さんの質問の意図が わからず、私は彼に問い返した。
一輝さんが おかしな答えを返してくる。
「いじめられたり、無理を言われたりはしていないか」
いじめられたり、無理を言われたり?
いじめられたり、無理を言われたり――って、まるで 氷河さんを いじめっ子みたいに。
氷河さんが、そんな子供じみたことをするはずがないのに。
私は、首を横に振った。

「いえ、普通に……」
普通に?
自分で選んで発した言葉だというのに、私は その言葉に引っ掛かりを覚えた。
私は、氷河さんに、普通に接してもらっていない。
とはいえ、私は氷河さんに いじめられたり、無理を言われているわけでもなく――こういう場合、どう 答えるのが適切なのだろう。
暫時 迷ってから、私は、
「普通に 避けられています」
と答えた。

とても奇妙な答えだったと思うのに、一輝さんは その答えを奇異に思わなかったらしい。
彼は、それが“正しい”答えであるかのように、
「そうか」
と言って、頷いた。
いじめられたり、無理を言われたりせず、避けられているのが“正しい”二人。
それは、どういう関係なのだ。

「あの…… 一輝さん。私と氷河さんは そんなに仲が悪かったんですか」
つまり、そういうことなのだろうか。
私と氷河さんは、“争ってさえいなければ 上出来”な関係だった――ということ?
もし 一輝さんから、『その通りだ』という答えを与えられていたら、私は そのことを残念に感じつつも、得心することはできていただろう。
もともと仲の悪かった二人の人間の一方が その記憶をなくし、二人の仲が悪かった原因を忘れてしまったので、その原因を記憶している氷河さんが、私に どう接したものか戸惑っている。
そう考えれば、氷河さんの私への態度は さほど不自然なものではない。

だというのに、一輝さんから返ってきたのは、
「……知らん」
という、素っ気ない言葉。
一輝さんは、本当のことを言いたくないから――私と氷河さんの不仲の事実を 私に知らせて、私を悩ませたくないから――そんな言葉でごまかそうとしているのだろう。
けれど、それで片付けられてしまっては――私の中には いつまでも 本体を掴めない わだかまりが残ることになる。
一輝さんの気遣いは 有難かったが、私は 一輝さんに食い下がった。

「瞬は善良な人だったと、星矢さんや紫龍さんは言います。私を避けている氷河さんですら、そう言う。ですが――そんな善良な人が、氷河さんを嫌うでしょうか。少なくとも、私が接した限りでは、氷河さんは 悪い人ではないように感じられました。少し……ご自分を卑下している きらいはありますし、わかりにくくて、誤解されやすいところはあるようにも見受けられましたが、でも、決して悪い人では――」
『ない』と言おうとした私を、一輝さんが、
「悪い奴でなくても、悪いことはする」
という言葉で遮る。

一輝さんの口調が あまりに迷いなく断固としたものだったので、私は何も言えなくなってしまった。
「氷河がおまえを避けているのなら、それでいい。無理に近付こうとするな。兄として、おまえのために忠告する」
「はい……」
一輝さんに それ以上の抵抗ができなくて、私は 力なく彼に頷いた。


一輝さんが 瞬のために そう言うのなら、そうした方がいいのだろう――そうした方がいいのかもしれない。
『悪い人間でなくても、悪いことはする』
そういうことは、確かにあるだろう。
イエスは、イスラエルの民人を救うために生きた人間であるはずだが、その名のもとに命を落とした人間の数は 100万200万程度のものではない。
そんなふうに、善意から出たことが よい結果を生むとは限らないのだ。
もし ダンテがキリスト教徒でなかったら、彼が著わした『神曲』で 地獄の最下層に墜ちていたのは、イエスその人であったのかもしれない。
人の世の善悪や正邪は、それほどに あやふやなものなのだ。
悪い人ではない氷河さんが、結果的に悪いことをしてしまうことがないとは言えない。
そして、それは、氷河さんだけに限ったことではないだろう。

それにしても。
『悪い人間でなくても、悪いことはする』とは、何と奇妙な示唆を含んだ言葉だろう。
この言葉を 妙に意味ありげなものと感じる私は――もしや、私自身が そういうものだったのだろうか。
『悪い人間でなくても、悪いことはする』
それは、氷河さんだけでなく、私のことでもあるのか?

大きな罪というものは、イエスのように、悪いことをしようと考えていない人間こそが犯してしまうものなのかもしれない。
氷河さんも そうなのだとすれば(彼が大罪を犯したとは、私には どうしても思えないのだが)、私もそうなのかもしれない。
そして、だから――似た者同士だから、私は氷河さんが気になるのかもしれない。
似た者同士だから、私と氷河さんは 反発し合っていたのかもしれない。
私は今日も 氷河さんの視線を感じる。






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