「私は、遺書を書きます。私がどんな死に方をしても、それは私の自死だと。氷河さん。私を殺してください。でなければ、ご希望の死に方を指示してください。この命で、私は 私が犯した罪を贖います」
私が この世界に存在できる最後の日。
城戸邸の広い庭の上には、穏やかな秋の水色の空が広がっている。
12日間のトライアルの、それが私の結論、私の贖罪だった。
瞬の身体の中に、瞬の心ではなく私の心があるというのは、そういうことなのだ。
私は、自分の罪を贖えることに 深い安堵と、ある種の喜びさえ感じて、氷河さんに己れの決意を告げたのに、氷河さんが私に与えてくれたものは、いわく言い難い眼差し。

どう表すればいいのだろう。
ボタンを掛け違えた上着を来て平然としている人間を見る目というか、捧腹絶倒のナンセンスコメディを観て 感動の涙を流している人間を見る目というか、そういう目で、氷河さんは私を見おろしてきた。
そして、眉をひそめて、私に尋ねてくる。

「おまえが、どんな罪を犯したというんだ?」
私(瞬)が記憶を失っていることは知っているはずの氷河さんが 私にそんなことを訊いてくるのは、彼が私を許そうとしているから――なのだろうか。
私が記憶を失っているから、氷河さんは、私に罪を贖わせることはできないと考え、そうすることを諦めていたのだろうか。
私は私の犯した罪を贖いたいのに、そのために必死の思いで――文字通り、必ず死ぬ覚悟で――贖罪を申し出たのに、その覚悟を軽く あしらわれ、いたたまれない気持ちになった。
泣いてしまいそうになり、だが 氷河さんに涙を見せるわけにはいかないので、顔を俯かせる。
それで いくらか私の覚悟を察してくれたのか、氷河さんは 少し真剣味のある声音になって、私を諭してきた。

「死で、罪は償えない」
と。
だから?
だから、罪を贖うことを諦めろと、氷河さんは私に言うのか?
それとも、死以外の方法で、地獄に墜ちることも許されない大罪を贖えと?

「私が生きて苦しみ続けることが、氷河さんの望みですか」
「おまえが生きて幸せになることが、俺の望みだ」
「そんな無理を言わないで」
自分の犯した罪を贖えない人間が 幸福になることなどできるわけがない。
もし幸福になれたとしても、それは 偽りの幸福でしかない。

「なぜ無理なんだ」
「無理です。贖えない罪を抱えたまま――あなたに憎まれたままでは」
「俺は、おまえを愛しているが」
「そんなこと、あり得ません。あるはずがありません」

どうして、そんな残酷な嘘をつくの。
僕を苦しめたいの。
『悪い人間でなくても、悪いことはする』
一輝さんが言っていたのは、こういうこと?
氷河さんは、その優しさで 僕に ひどいことをしている。

「信じられないか」
「そうだったらいいと思います。でも――」
でも、きっと嘘だ。
氷河さんは優しいから、僕を苦しめないために、そんなことを言ってくれているんだ。
「僕は、あなたの恋人を殺したんでしょう?」
「そうかもしれんが……取り戻すこともできる。おまえが生きていてくれさえすれば」

氷河さんは はっきり『そうだ』とは言わなかったけれど、僕が犯した罪というのは、やはり それだったらしい。
僕は、氷河さんの愛する人を殺したんだ。
苦しくて、鋭いナイフを刺されでもしたかのように、胸が痛む――苦しい。
でも――氷河さんは、今、何て言った?
僕が殺した人を取り戻す?
そんなことができるの?
そんなことができるのなら、僕はどんなことだってするよ。
僕が殺した氷河さんの恋人を取り戻して、それで 氷河さんが僕以外の人を優しい目で見詰めるのはつらいけど、そんな氷河さんを見たくはないけど、でも、僕は必ず それをする。

「どうすれば、そうできるの?」
どうすれば、僕は 氷河さんの恋人を 氷河さんの手に取り戻させてあげられるの?
その方法を、氷河さんは知っているような口振りだったのに、彼の答えは、
「わからん」
だった。
「ただ、おまえが死んでしまったら、俺は 俺の欲しいものを永遠に取り戻すことができなくなる。それだけが、俺にもわかる確かな事実だ」

それは どういうこと?
氷河さんが失ったものを取り戻す方法を、僕が知っているということ?
僕は、自分の過去の記憶と一緒に、その方法も忘れてしまったの?
だから 僕は生きていて、その方法を思い出さなければならないの?
けれど、今日は 僕のトライアルの最後の日。
僕にはもう時間がない。
僕が そう言おうとした時、氷河さんが、ふいに思いがけないことを僕に尋ねてきた。

「おまえ、俺を嫌いなんじゃないのか」
氷河さんに問われたことに、僕は、
「いいえ」
と答えるだけで精一杯だった。
僕が氷河さんを嫌いだなんて、絶対に そんなことはない。
少なくとも、今の僕は――ううん、以前の僕だってきっと、氷河さんを嫌っていたはずなんかない。
僕は、確信を持って 断言できる。
それだけが、今の僕にわかる確かな事実だ。
でも、僕に残された時間は もうあと僅か。

「なら、ただ生きていてくれるだけでいい。二度と死で解決しようとしないでくれさえすれば」
二度と?
僕は、以前にも、何かを死で解決しようとしたの?
そうだというのなら――なら、きっと氷河さんが僕を見てくれないのが つらくて、僕は正気を失っていたんだよ。
そして、正気を失った僕は、氷河の傍らから氷河さんの恋人を消し去ろうとして、実際に そうした。
あげく、そのことで 氷河さんに憎まれることに耐え切れず、自分自身をも消し去ろうとした。
そうすることで、自分の罪から逃れようとした。
人を愛するがゆえに、愛されている人を消し去り、愛する人を不幸にした。

きっと、そういうことなんだ。
僕が犯した“地獄に墜ちることも許されないほどの大きな罪”というのは、愛ゆえに罪を犯したこと。
愛を汚したことなんだ。

「自分が愛されないから、氷河さんに愛されている人を消し去ろうとするなんて、僕は どうして そんなひどいことができたの……」
どうして そんなひどいことができたのか、今の僕には わからない。
でも、それが 僕の犯した罪だというのなら、僕は やっぱり、氷河さんの手に掛かって 僕という存在を消されるべきだと思う。
12日間の期限切れで消えるのではなく、氷河さんの手で。
それで少しでも氷河さんの気持ちが安らぐなら――贖罪っていうのは、そういうものだろう。
犯された罪のせいで苦しんだ人の心が 少しでも安らげるのでなければ、罪を犯した者が 罪を贖うことに意味はない。

「氷河さんには、僕の存在を消し去る権利がある。その権利を行使してください」
12日の期限。
僕は、期限切れで消えるわけにはいかない。
僕は、氷河さんのために、氷河さんの手で 断罪されなければならない。
それこそが、僕が為すべき唯一の贖罪だ、
僕は、再度 氷河さんに 訴えたんだ。
けれど、氷河さんは何も言ってくれなかった。
僕が俯かせていた顔を上げると、氷河さんは、どこか緊張感を欠いた ぽかんとした顔で、僕を見詰めていて――。






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