「なんで そうなるんだよ!」
僕と氷河の間に 突然 割り込んできた大きな声は、星矢の声だった。
穏やかな秋の水色の空の下。
星矢の隣りには 紫龍と もう一人、長い髪の女性――少女が立っている。
星矢は その少女に悲鳴じみた怒声を叩きつけた。
「沙織さん、どうにか なんないのかよ! 瞬の記憶を取り戻す方法はないのかっ!」
「もちろん、方法はあるわ」
そう告げる少女の声に、僕は聞き覚えがあった。

「あんのかよ! どうすればいいんだ !? 」
僕に12日間の贖罪トライアルを命じた天の声。
あの声の主が地上世界にいて、僕から ほんの数メートル離れたところで白い花を咲かせている銀木犀の木の横に、困惑顔で立っている。
まるで 普通の人間みたいに。
といっても、もちろん 彼女が普通の人間であるはずがない。
そうでないことは、僕には すぐにわかった。
普通の人間は、こういう時、
「王子様のキスで思い出すことになっているわ」
なんて答えることはしないだろう。

「は……?」
星矢が 間の抜けた声を洩らしたけど、僕だって、『この人は何を言ってるんだろう』って、本音を言えば、思った。
それは何かの冗談なのか、って。
でも、それは冗談でも何でもなかったらしくて、随分と軽い口調だったけど(声は確かに僕が聞いた天の声なのに)、彼女は氷河にそれを命じた。
「あなたが こんなに忍耐強いなんて想定外だったけど、たった12日で、瞬は また恋に落ちてくれたようだし、そうしたって 何の問題もないでしょう? とにかく事態を丸く収めたいから、氷河、瞬にキスしてちょうだい」
天の声の命令に、氷河が躊躇する。

「いくら俺でも、アテナの前で、それは……」
「いいから、さっさとしろよ! 一輝が来ると 妨害されるぞ。きっと、永遠に妨害し続ける。そうなったら、瞬は いつまで経っても 元に戻らないんだぞ!」
うん。
きっと 星矢の言う通りだ。
それをすれば 僕の記憶が戻るとわかっていても、兄さんはそれを邪魔する。
僕は焦って――いつまでも動こうとしない氷河に焦れた。

「氷河。僕は氷河が好きだよ。以前も好きだったの? 氷河も? 氷河も僕のこと、嫌ってない?」
「当たりまえだ」
氷河が、本当に当たりまえのことみたいに、『当たりまえだ』と答える。
僕は、氷河の その当たりまえの答えに どきどきして――このまま待たされ続けると心臓が破裂してしまうと思ったから、自分から氷河に飛びついて、彼の唇に僕の唇を押しつけていったんだ。
そして、僕は、思い出した。






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