正義の味方とチンピラについて






光が丘公園のちびっこ広場で いちばんの人気遊具はターザンロープ。
滑車に取りつけられたロープにしがみついて、ジャングルを移動するターザンのように 滑空を楽しむ遊具である。
大抵の公園にあるターザンロープは、まっすぐに張られたワイヤーに滑車が取りつけられており、一直線に すべり下りるものが多いのだが、光が丘公園のそれは ロープが楕円型のレールにつけられていて、カーブを曲がる際に遠心力が働き、子供の身体が大きく振り回されるようになっている。
正式名称は、エンドレス・ターザンロープ。
半端なジェットコースターより はるかにスリルが味わえるため、それは、未就学の幼児はもちろん 小学校高学年の児童ですら夢中になるほどの人気遊具だった。

嵐の日でもない限り、そこには毎日、常に、10人以上の待ち行列ができている。
ターザンロープは、もちろんナターシャも大好き。
その日も、ナターシャは、ターザンロープの待ち行列に1秒でも早く並ぼうと、ちびっこ広場の入り口で、氷河と繋いでいた手を解き、ターザンロープのある場所に向かって 一目散に駆け出した。
けれど、ナターシャは、10歩も走らないうちに、ちびっこ広場の周辺を包む異様な空気を感じて 途中で立ち止まることになってしまったのである。

いつもは大勢の子供たちと その子供たちと同じ数の保護者がいて、幼い子供特有の甲高い歓声が あちこちで弾けている ちびっこ広場が、今日は異様な静けさに包まれている。
子供がいないわけではないのだが、彼等は広場の縁で その保護者と一緒に、恨めしそうな目で 広場を見詰めていた。
その原因に気付くと、ナターシャもまた、彼女のあとから ちびっこ広場の中に入ってきた氷河の許に逃げ戻った。
今日はターザンロープで 最低でも10回は回るのだと勇んでやってきたのに、ぶつかるほどの勢いで逆走してきたナターシャの身体を受けとめ、氷河は 僅かに肩眉をひそめたのである。

「どうした。ターザンロープは」
「パパ。広場に変な人たちがいるヨ」
「変な人たち?」
氷河が広場の方に視線を巡らせると、ナターシャの言葉通り、確かに そこには“変な人たち”がいた。
目付きも 着衣の趣味も 姿勢も 所作も 身辺に漂わせている空気も変。
一言で言うなら、“柄が悪い”男たち。
柄の悪い人間の宿命なのか、頭も あまりよろしくなさそうに見える20代30代の男たちが 5、6人、そこにはいて、彼等は ちびっこ広場の雰囲気を これ以上ないほど極悪にしていた。
彼等は 見るからに異質だった。
アテナの聖闘士の敵としても、一般人としても、公園で遊戯に興じる人間としても。
どう見ても、彼等は いわゆる反社会的勢力の一員、もしくは それに準ずる人間たちである。

「……一輝並みに柄が悪いな」
片方だけ ひそめていた眉は そのままに、氷河は うんざりしたように短く吐息した。
ちびっこ広場に人がいないのは、いつも通りに 広場にやってきた親子のほとんどが、“変な人たち”を恐れて逃げ帰ったか、あるいは、今日の遊び場を公園の他の場所に変更したせいなのだろう。
公園管理所か交番への ご注進に及んだ親子も幾組か いるのかもしれない。
遠巻きに ちびっこ広場を見詰めている者たちは、誰かが――公園の管理責任者か警官が――異質で柄の悪い男たちに退去を命じてくれるのを待っているのかもしれなかった。

しかし、1人2人なら ともかく、この人数では、警官が1人駆けつけたくらいのことではどうにもならないだろう。
どうにかするために、公園管理者や警官が応援を集めているのなら、異質な男たちを ちびっこ広場から退去させるには 時間がかかる。
こんな男たちのために ナターシャの時間が無駄に費やされることを許容できなかった氷河は、ナターシャのために、手っ取り早く 障害物を片付けることにした。
「ここにいろ」
「ウン」

異質な男たちは6人。
ターザンロープのロープを掴んでいる男が1人。その脇に もう1人。
ザイルクライミングの柱の横に2人。
滑り台の下に1人。
ネットツリーの前に1人。

いわゆるヤンキー座りで、ターザンロープのロープを掴み、ぶらぶら揺らしている異質な男の前に立った氷河は、心の底から不本意だったが、彼のために言葉を作った。
「おまえら。ここは子供の遊び場だ。いい歳をした大人が たむろしていていい場所じゃない」
「なにぃ。誰に向かって、口 きいてるんだ、てめぇ、コラァ」
言葉使いからして、目眩いがするほどの雑魚臭がする。
これほど正統派のチンピラが 現代に生き残っていることに、氷河は感動すら覚えていた。

「俺は、一応、忠告したぞ」
氷河が言い終わるなり、異質な男たちは、その全員が ほぼ同時に その場に前のめりに倒れ伏していた。
遅れて6人分の呻き声が地面を這う。
やがて、彼等が1人2人と、腹部を手で押さえて 身体を伏臥態勢から仰臥態勢に変えていったのは、その方が なぜ痛むのかわからない腹部の痛みが薄らぐから――のようだった。
氷河は、そんな男たちを ひと渡り 見まわし、低い声で彼等に命じた。

「邪魔だ。立てるだろう、さっさと出て行け」
氷河に そう言われても、男たちが誰一人 立ち上がろうとしなかったのは、肉体の痛みのせいではなく、我が身に何が起きたのかが理解できない混乱のせいだったのかもしれない。
彼等の脳が、自分はどう振舞うべきなのかを決めかねていたのかもしれなかった。
氷河が、
「30秒以内に 俺の視界から消えないと、次は大腿骨を折る」
と告げて、彼等が為すべきことを教えてやる。
幸い 足は無傷だった男たちは、よろよろと立ち上がり、()()うの(てい)で ちびっこ広場から逃げていった。
彼等が全員 氷河の視界の外に消え去るまでには 1分近い時間がかかったが、彼等は彼等なりに頑張ったのだろう。
追いかけていって、宣言通りに 大腿骨を折ってやるのも面倒だったので、氷河は それをしなかった。

「ナターシャ。もう、いいぞ」
「ワーイ!」
歓声を上げて、ナターシャは、誰も遊んでいないターザンロープに飛びついた。
誰も遊んでいないということは、他の順番待ちの子と交代することなく、エンドレス・ターザンロープをエンドレスに使えるということ。
こんなことは滅多にない事態なので、一人占めできるうちに 可能な限り 一人占めしようと、ナターシャの心は逸っていた。

変な男たちに占領されていた ちびっこ広場を遠巻きにしていた親子連れも、やがて 広場の中にやってくるだろうと、ナターシャは――氷河も――思っていたのである。
が、案に相違して、彼等は なかなか広場の中に入ってこなかった。
ちびっこ広場は、半ばナターシャの貸し切り状態。
氷河が異質な男たちを追い払ったにもかかわらず、広場の縁で 騒ぎを見ていた親子連れは結局 全員が広場に入ることなく、どこかに消えてしまった。
彼等は、異質な男たちの報復を恐れて、自分たちが その場にいなかったことにしようとしたのかもしれない。

15分ほど経ってから、やっと 騒ぎを知らない親子連れが ちびっこ広場にやってくる。
彼等は、平素より 人影の少ない ちびっこ広場の様子を訝っているようだったが、1時間もすると、ちびっこ広場は いつも通りに 子供たちの歓声であふれることになった。
そして、空白の15分の間に、待ち時間なく ターザンロープのスリルを堪能しまくったナターシャは、いつもの10倍も ご機嫌だった。






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