それは、星矢との再会で 心に憂いがなくなったから――幸せすぎるから――見た夢だったのだろうか。 その日から、瞬は夢を見るようになった。 暗い夢である。 もちろん、夢は夢にすぎず、だから、それは 現実のことではないのだが。 最初に その夢を見た時――瞬は、夢のせいで うなされたわけではなかった。 それは、うなされるような夢ではなかったのだ。 暗くはあったが、恐ろしい夢ではない。 落ちる夢でも、溺れる夢でも、死ぬ夢でも、追われる夢でもない。 夢の中で、瞬自身は安全な場所に――誰よりも安全な場所に――いた。 それでも 氷河は 瞬の異様な夢に気付いたらしく、夢の中にいた瞬を現実の世界に連れ戻してくれた。 「瞬」 メインの照明は消してある。 部屋の四隅にあるナイトライトと、窓からの月光。 室内に、灯りは それしかないのに――それしかないからこそ? ――氷河の青い瞳が 内側から光を生んでいるように輝いて見える。 氷河は 仲間の夢の内容まで見通しているだろうか。 自ら 光を放っている青い宝玉のような氷河の瞳に見詰められ、瞬は、ふと そんなことを考えてしまった。 十代の頃には――まだ 二人が青銅聖闘士だった頃には、幾度も氷河の夢に感応して、母のいない浜辺や雪原に一人で立つ 幼い氷河の気持ちを味わったことがあった。 あの頃は、氷河も瞬も――夢を見る側の人間も、その夢の中に引き込まれる側の人間も――あまりに急激、あまりに急速に 強さや大きさを増していく自身の力に 制御力が追いつかない状態にあった。 二人は二人共、未熟な子供だったのだ。 自身の力の制御ができるようになり、その不安定が解消されると、制御できない力で 仲間を自分の夢の中に引き込んでしまうことも、制御できない力で 仲間の夢の中に入り込んでしまうこともなくなった。 『あの頃は、凍気や小宇宙より 夢を制御する力をマスターすることこそが、俺の最優先課題だったんだ。俺は、おまえに知れては困るような夢ばかり見ていたからな』 と、大人になってから氷河に告白された。 見る夢を制御する必要など感じたことのなかった瞬は、その時 本当に 氷河の“おまえに知れては困るような夢”が どんな夢なのかがわからず、首をかしげたのである。 大人になっていたので――1分後には、理解したが。 そんなふうだったので――瞬は これまで、自分の夢を制御しようとしたことも、実際に制御したこともなかった。 今になって、『早急に その技を体得しなくては』と思うことになるとは 考えてもいなかった。 が、当座の問題は、たった今 自分が見てしまった夢である。 たった今 自分が見ていた夢を 氷河に見られてしまったのかどうか。 たかが夢の話、さりげなく尋ねればいいだけのことなのに、瞬は 恐くて確かめることができなかった。 乙女座の黄金聖闘士になってから、恐怖という感情を言葉や表情に表したことはない。 今、自分は それを隠しきれているだろうか。 氷河の瞳に映っている自分が、アンドロメダ座の聖衣をまとっていた頃の 未熟で不安定な子供の姿をしているようで、瞬は泣きたくなった。 『夢を見た』と氷河が言い出すことを、瞬は恐れていたのだが、氷河は その言葉を口にしなかった。 代わりに、彼は 眠れないなら付き合えと言って、指を瞬の肌に絡めてきた。 その手指が熱いことに――冷たくないことに、瞬は、安堵と恐れの感情を覚えたのである。 この氷河は生きている。 生々しく、熱く、たくましく、この氷河は生きている。 生きているということは、死ぬことができるということでもある。 その事実を認識した途端に、瞬の背中を ぞくりとしたものが駆け抜けた。 氷河が生きていることが、自分の中に 痛みに似た快楽を呼び覚ます――そう感じる。 一瞬 触れられただけで、官能の波に さらわれそうになっていることを隠すため、瞬は、 「どうして、氷河、こんなに元気なの」 と、からかうように言ってみた。 責めるつもりはなかったのだが、氷河から返ってきたのは 弁明(おそらく)だった。 「俺が盛っている時には、必ず おまえも盛っていることを忘れるな」 まるで その弁明を事実と証明しようとするかのように、氷河の愛撫が巧妙になる。 日常の大抵のことを 大雑把に片付ける男が、どうして こんなことにだけ、これほど巧妙で精緻なのか。 他意はなく 純粋に不思議で、氷河に その訳を尋ねたことがある。 その時の氷河の答えは、 「巧みなのではなく、優しくしているんだ」 だった。 では、今も そうなのだろう。 氷河は、乙女座の黄金聖闘士の夢のかけらに接して、何かを察している。 あるいは、すべてを瞬と共に見てしまった。 だから、瞬が その夢に怯えぬよう、彼は かつてのアンドロメダ座の聖闘士を抱きしめてくれている。 それは 氷河の優しさなのだ。 瞬は、氷河の背に腕をまわし、絡め、しがみついた。 氷河の優しさが、瞬の意識を奪うために 容赦なく、瞬の中に押し入ってくる。 刺し殺そうとする人間と 絞め殺そうとする人間の戦い。 その戦いが 相打ち以外の形で 決着がつくことはないのだと、瞬は ずっと信じていた。 それが 実は 氷河の巧手のたまもので、多くの人間は それほど性的歓喜の一致を見ることはないという事実を 瞬が知ったのは、瞬が本格的に医学の道を志すようになってからだった。 そんな喜びを知らない者たちが多いのだということを知ったあとも、瞬は、理屈では わかるのだが、実感としては もちろん、そういう状況を想像することすらできなくて、大いに 戸惑ったものだった。 現実には、共に死ぬことができず、一方が一方を殺して終わることが多いのが 人間のセックスであるらしい。 一方が一方を殺して終わるのが。 瞬は、そういうセックスを経験したことがなかった。 他の戦いでは ともかく、セックスでだけは。 |