それは夢。 夢のはずだった。 夢以外の何かであるはずがない。 氷河を切り殺す夢。 紫龍を切り刻む夢。 兄を倒し、星矢の存在を消し去る夢。 夢の中で、瞬は冥府の王だった。 にもかかわらず、瞬としての意識はある――それは 明確に存在した。 夢を見ている瞬の意識ではなく、ハーデスに支配されている瞬の意識。 それは確然として、瞬の肉体の中にあった。 ハーデスが、わざと瞬の心を そこに置いたままにしていることに、夢の世界の瞬は気付いていた。 (もちろん、その夢を見ている瞬も、その事実に気付いている) 瞬の肉体の中に 確かに存在している瞬の意識は、だが、その意識と心で 自らの肉体を動かせないのだ。 ハーデスの圧倒的な力に抗うことができず、その圧倒的な力に すべてを抑え込まれて。 なぜハーデスは この心を消し去ってくれないのかと、夢の世界の瞬の心は泣き叫んでいた。 星矢をそうしたように、彼の依り代の心も消し去ってくれと、夢の世界の瞬は冥府の王に懇願し続けている。 紫龍の四肢を切り落としながら。 氷河の身体を 二つに切り裂きながら。 夢を見ている瞬は、そんな夢の世界を俯瞰していた。 夢の世界の瞬の身体の中から。 夢の世界全体も、ハーデスに抑え込まれて悲嘆の声を上げている“瞬”の心も見えている。 すべてが見え、夢の世界の瞬の悲嘆もわかるので――夢を見ている瞬は、自分が その世界の神になったような錯覚を覚えていた。 夢を見ている瞬には、その世界で絶対の力を振るっているハーデスですら、観察対象の一つだったのだ。 もちろん、夢である。 それは ただの夢なのだ。 “現実の世界”では、星矢は生きている。 決して侮っていい敵ではないのに、『俺は手負いの方が怖いんだぜ』などと ふざけたことを言って敵を挑発し、仲間を心配させる 相変わらずの無鉄砲。 星矢は生きて、仲間たちの許に戻ってきた。 “現実の世界”では、紫龍は 天秤座の黄金聖衣を継承し、その上、良き父、良き夫という、アテナの聖闘士――しかも黄金聖闘士――にあるまじき 人生の充実振りを誇っている。 “現実の世界”の氷河は、型通りの常識を軽く無視し、奔放に生きている。 彼を縛ることのできる力は、ただ愛のみ。 母と同じ名の少女を愛し守ることのできている“現実の世界”は、彼が過去に味わった喪失感を補って余りある充足と幸福を、彼に与えてくれている。 “現実の世界”の兄は、今でも 永遠に兄なるもの。 強く、優しく、どうあっても追いつけず 乗り越えられない――だが、追いつけず乗り越えられないことが嬉しい憧れの人。 “現実の世界”は、幸福に満ちているのだ。 まるで夢の世界のように。 どちらが夢の世界なのか わからない。 “現実の世界”が あまりに幸福すぎて、その現実が“悲惨な世界”の自分が見ている夢であるかのように思える。 そんな夢があるだろうか。 そして、そんな“夢のように”幸福な現実世界があっていいものだろうか。 『夢』という言葉は、“つらい現実”と対比されて使われることの多い言葉。 だというのに、夢の世界の方が こんなにつらい――こんなに悲しすぎる――とは。 アンドロメダ座の聖闘士が 冥府の王ハーデスに完全に支配された あの世界、あの光景は、本当にただの夢の中での出来事なのだろうか。 あまりにリアルで――自分の身体の中にある氷河の性器のようにリアルで、瞬は その痛みに陶然となった。 |