夢にしてはリアルすぎる夢。
瞬は、それを ただの夢として忘れてしまうことができなかった。
忘れられるはずがない。
仲間たちの身体と命を切り刻んだ感触と感覚が、あまりに生々しく残っている。
手と心に刻み込まれたように残っている、その不気味な重さの感触と感覚を 忘れるには、あるいは 夢の中での出来事にすぎないと割り切るには、瞬には仲間たちの言葉が必要だった。

「氷河。僕がまだアンドロメダの聖闘士だった頃――僕がハーデスの力に抗いきれず、ハーデスに完全に支配されていたら、そうして、みんなの命を奪っていたら、この世界はどうなっていたと思う? 僕が、氷河も紫龍も星矢も一輝兄さんも殺してしまうの」
自分の胸の内に収めておくことができなくなって、瞬が ついに夢の話を始めたのは、毎日の習慣に抗い切れなかったナターシャが 眠りに落ちていったから――だった。
瞬は休日で、氷河も店に行く必要がない、日曜の午後。
星矢たちが遊びに来ているのに お昼寝はしたくないと駄々をこねて頑張っていたナターシャは、折りかけの折り紙を握りしめたまま、瞬の膝で眠ってしまった。

ナターシャが(眠っているとはいえ)ここにいてくれれば、それが抑止力になって、話が暗く重く深刻になりすぎないだろうと、瞬は思ったのである。
もとより 暗く重く深刻になりすぎるはずはなかったのだが。
何はともあれ、それは夢の話。
ただの夢の話にすぎないのだから。

氷河は笑うのか、それとも、縁起でもないと怒るのか。
そのどちらかなのだろうと思っていたのに、瞬の予想は外れた。
氷河は、笑うことも怒ることもしなかった。
ナターシャの お昼寝を妨げないため――というのでもなさそうだったが、彼は 瞬に尋ねられたことに 実に淡々と、だが、大真面目に答えてきたのだ。
「俺は、他の誰かに殺されるのは我慢ならないが、おまえに殺されるのなら本望だ。俺が 今 生きているのは おまえがいてくれたからだ。俺は むしろ、おまえ以外の誰にも殺されたくない」
――と。

それは、瞬には あまり愉快な答えではなかった。
瞬は、そういう答えを期待していたわけではなかったのだ。
瞬が欲しかったのは、『おまえになら、殺されてもいい』という寛恕や許容ではなく、『そんな事態は起こりようがない』という確約確言。
あるいは、起こらなかった過去を案じて何になるのかと言って笑い飛ばすこと。
実際、それは、『僕たちが聖闘士になっていなかったら、この世界は どうなっていたと思う?』という質問と同じレベルの“例え話”にすぎないのだ。
考えるのも馬鹿らしいと、言下に切り捨ててほしかった。
『おまえになら、殺されてもいい』
そんな答えなど、欲しくはない。
欲しくはないのに。

「俺も ハーデスの剣で 死にかけたところを、おまえらに救ってもらったからなー。瞬に殺されるんなら、文句はないかな。平和を乱す敵に敗れて死ぬくらいだったら、瞬に殺してもらう方がずっといい。まあ、肉まんか カツ丼あたりを食いすぎて死ぬのが第一希望だけど」
「俺は、ギャラクシアンウォーズで一回死に、巨蟹宮で黄泉比良坂に落とされかけ、シュラとのバトルで宇宙で燃え尽きかけ、前聖戦では 大往生しかけ――何度 死んだか、死にかけたか、自分でも よく憶えていないほどだから、本当の最期は、自分が死んだことを忘れないような死に方をしたいな。仲間に殺してもらうというのは、いい死に方かもしれない」
そんな答えなど欲しくはないのに、氷河だけでなく 星矢や紫龍までが そんなことを言う。

「ああ、だが、俺は氷河の手にかかるのだけは、断じて御免被るぞ。生きている間、散々 迷惑をかけられて、その上 命まで取られていたら、“殺してもらった”というより、“いつもの迷惑の延長線上で うっかり命まで取られた”ような気になるからな。その点では星矢も似たようなものだし、やはり適役は瞬か」
星矢も紫龍も、結局は同じだった。
『おまえになら、殺されてもいい』

彼等の気持ちは、瞬にも わからないではなかったのである。
瞬とて、世界の平和を乱す敵に負けて死ぬくらいなら、仲間の手にかかって死にたい。
考えようによっては それは、アテナの聖闘士には 最高最善の死に方だった。
命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間に、自分の命を(つまりは、戦いを)終わらせてもらう。
他の誰かなら嫌だが、仲間ならいい。
氷河なら、星矢なら、紫龍なら、そして、兄ならいい。

しかし、他の誰かの手にかかって死ぬのは嫌。
たとえ仲間の姿をしていても、その身体を動かしているのがハーデスだというのなら、瞬は 断じて、そんな死は受け入れられなかった。
それは氷河たちも同じだろうと思う。
であればこそ、あの悪夢は 最悪の夢だったのだ。

だから、今は――あの悪夢を見たばかりの今だけは、『おまえになら、殺されてもいい』とは言わないでほしい。
――と、瞬は 仲間たちに 本気で訴えそうになってしまったのである。
夢の話――ただの夢の話だというのに。
それを、直前で止めてくれたのはナターシャだった。






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