「氷河は僕に指輪をくれたよ。忘れたの」 黙り込んでいる氷河に、瞬が告げる。 一瞬 驚いたように瞳を見開き、氷河は視線を瞬の方に巡らせてきた。 「……おまえが憶えているとは思わなかった」 「忘れるわけがないでしょう。僕は あの指輪で、好きっていう気持ちは形にすることができるんだって、初めて知ったんだ」 もちろん忘れるわけがない。 氷河も 本当に“覚えているとは思わなかった”はずはない。 それは二人にとって忘れられない――忘れることは不可能な思い出だったのだ。 カトリーヌが、氷河と瞬のやりとりに にわかに色めき立つ。 彼女は それを、彼女の目的のものだと思ったようだった。 「それじゃ! ノストラダムスが言っていた魔法の指輪というのは、きっと、それじゃ! その指輪を わらわに渡すのじゃ!」 「いえ、あれは違う……と思いますけど……」 「なぜ違うと言い切れるのじゃ! 隠すな! 一人占めするな! 愛する者に愛されている そなたには、その指輪は もう無用のものであろう!」 カトリーヌのそれは、“お願い”ではなく“命令”。 彼女は、掛けているベンチから立ち上がろうともしなかった。 いつもなら、傍らに控えている侍従か衛兵に命じて、自身の望みを叶えようとするのだろう。 命令に従う者がいないと、彼女は何もできない。 「マーマ。パパがマーマにあげた指輪って、どんな指輪なの? 綺麗なの? ナターシャ、見てみたいヨ!」 ナターシャが 瞬に そうおねだりをしてきたのは、自分では何もできないカトリーヌに ナターシャが同情したから――だったのかもしれない。 ナターシャ自身は自覚していないだろうが、ナターシャはカトリーヌを ひどく気の毒な人だと感じているようだった。 だが、ナターシャの優しいおねだりに、瞬は応えてやることができなかったのである。 「とっても綺麗な指輪だったよ。でも、もうないんだ」 「ドーシテ? パパの願いが叶ったから、魔法の指輪は消えちゃったノ?」 「ちょっと違うかな」 氷河とカトリーヌの視線を肌に感じているのが気恥ずかしいので、瞬はナターシャを抱き上げた。 右腕を椅子代わりにしてナターシャを座らせ、ナターシャに、氷河の指輪の話をする。 「氷河は僕に白詰草の指輪を作ってくれたんだ。小さな頃、氷河は 氷河のマーマに、指輪の作り方を教わったんだって。でも、僕が氷河に初めて作ってもらった白詰草の指輪は、いつのまにか 外れてどこかに行っちゃってた。それで がっかりしてたら、氷河は 次の日 また、二つ目の指輪を作ってくれた。それも1日が過ぎる頃には しおれてしまった。氷河は、しょんぼりしている僕に、毎日 指輪を作ってくれるって、約束してくれたんだ。約束通り、氷河は 毎日 作ってくれたよ。花の季節は白い花の指輪。花が見付からない秋から冬は、葉っぱの指輪。四葉の指輪の時も何度かあったな。本当に、とても綺麗な指輪だった」 「ワア……!」 つまりは、どこにでもある野草で作った指輪である。 だが、その価値が、ナターシャには ちゃんとわかったらしい。 パパがマーマのために 毎日 作り続けた指輪。 その正体を知らされると、ナターシャは頬を上気させ、嬉しそうに瞳を きらめかせた。 瞬がアンドロメダ島に送られる最後の日まで、氷河は約束通り 毎日、瞬に白詰草の指輪を作ってくれた。 アンドロメダ島に送られる その日、何も言わず、歯を食いしばって、いつもの倍の時間をかけて瞬の指に緑の輪を結んだ氷河。 これが氷河に作ってもらう最後の指輪になるかもしれない。 そう思うと、瞬は 涙が止まらなかった。 氷河が作ってくれる草色の指輪には魔法の力などなかった。 すぐに しおれ、枯れ、切れた。 だが、その指輪には、確かに価値があり、確かに力があったのだ。 であればこそ、瞬は アンドロメダ座の聖衣を手に入れ、生きて、仲間たちの許に帰ってくれた。 「氷河が僕に作ってくれた指輪は、どんな宝石より、金や銀より、綺麗だった。あの指輪は、僕に力をくれた。僕に、勇気と希望をくれた。あの指輪は、氷河の心でできていた。僕は――」 何年も振り向いてもらえず、ずっと片思いをしていた――と 氷河は言うが、事実は違う。 瞬は いつでも氷河が好きだった。 ただ、その『好き』という気持ちに、“友情”“信頼”という名をつけていただけで。 その『好き』が、兄や星矢や紫龍への『好き』とは違うということに気付くのに長い時間がかかっただけで、毎日 白詰草の指輪を作ってくれた氷河を、瞬は いつも 大好きだったのだ。 そういう意味でなら、確かに、あの指輪は魔法の指輪だったろう。 あの指輪が、瞬の心を氷河に結びつけてくれたのだ。 「ダカラ、マーマはパパと一緒にいるんダネ。パパ、よかったネ」 「ナターシャちゃんも一緒だしね。本当によかった」 今は もうない氷河の指輪。 しおれて、枯れて、消えてしまった白詰草の指輪。 それは魔法の指輪ではなかったが、パパとマーマを結びつける力を持った指輪だったことは わかったのだろう。 瞬の腕に抱きかかえられていたナターシャは、氷河の髪に手をのばして、パパのお手柄を喜んだ。 |