(一応)男四人で、一人暮らしの少女の部屋に上がり込むわけにもいかず、経済的に逼迫しているエスメラルダに余計な出費をさせるわけにもいかず、だからといって、こちらが お茶代を出すと、エスメラルダが恐縮する。
――そういう事情で、氷河たちは 児童公園(らしき空間)の脇のベンチに陣取って、善後策を話し合っていた。
規模の大きい児童遊園と違って 専任の監督者がおらず、児童の衛生と安全を考えすぎて、砂場や遊具が すべて撤去されて何もない狭い公園には、子供の姿が一つもない。
監督者を置く予算がないので、遊具の設置もできず、結果として この児童公園(らしき施設)は 児童にも見捨てられてしまったのだ。

「先立つものは金。地獄の沙汰も金次第ってか」
という厳しい現実。
人の世は、世知辛く 侘しい。
いつの世も、弱者にとっては、それが人の世というものなのかもしれなかった。

ベンチに座って俯いていたエスメラルダが、悲しげに首を横に振ったのは、現状を打破する策を思いついたから――ではなかったろう。
もちろん、そんなはずがない。
彼女は、掛けていたベンチから立ち上がり、氷河たちに頭を下げた。

「瞬ちゃん、皆さん。もう、私のことは お気になさらないでください。何の関わりもない私のために、皆さんが 貴重なお時間を割いたり、気に病んだりすることはありません」
エスメラルダの父親が 娘の教育や躾に熱心だったはずはない。
にもかかわらず、高校生らしからぬ しっかりした敬語。
それは十中八九、苦労が身につけさせた敬語と へりくだった態度である。
瞬(と一輝)の仲間たちは、彼女を放っておくわけにはいかなかった。

「何の関わりもないなんてことないぜ。あんた、一輝の彼女なんだろ?」
遠慮も屈託もデリカシーもないのが、星矢の長所(?)である。
星矢に遠慮なく 突っ込まれたエスメラルダは、戸惑ったように小さく横に幾度も首を振り、両肩をすぼめた。

「え、そ……そんな……私 もう……それは無理です。私は一輝のお荷物にしかなれない……」
「そんなことありません! 兄さんはエスメラルダさんのことが好きなんです。エスメラルダさんに はっきり言えないのは、エスメラルダさんが こんな状態の時に告白したら、弱みにつけ込むみたいだからです。兄さん、変なところで堅苦しくて、生真面目だから……」
瞬の懸命のフォローに、エスメラルダが眉根を寄せて、泣き笑うような表情を見せる。
エスメラルダは、一輝がそういう男だということを知っているようだった。
知っているからこそ、甘えられないと思っているのだ。

「つまり、あんたと一輝は彼氏彼女未満で、どっちも告白していない、両片思い中ってことか。一輝の あのツラからは想像しにくいけど、今時 珍しい純愛カップルってやつ?」
「特段 珍しくもないだろう。俺なぞ、もう10年の長きに渡って、瞬に純愛しまくってる」
「んー。なんでだか、おまえのは純愛って感じがしないんだよなー」
遠慮も屈託もデリカシーもない星矢は、嘘をつけないという長所も抱えている。
氷河は 腹の底からむっとしたのだが、ここで 星矢相手に“純愛”についてのレクチャーを始めるほど、氷河も頓馬ではなかった。
とはいえ、それは 氷河がTPOを心得ていたということではない。
氷河は、自分の純愛に絶対の自信があり、疑ってもいなかったので、他人の承認など必要としていなかったのだが、エスメラルダの純愛(というより正気)は、氷河には にわかには信じ難いものだったのだ。

「決して 君の目や価値観や好みを疑うわけではないのだが、君は あの一輝が好きなのか? 本当に? 正気で? 瞬ほどではないが 結構な美少女なのに、何も あんな暑苦しい男に――」
デリカシーのなさでは、氷河も 星矢に負けてはいない。
一輝だけでなく、エスメラルダにも瞬にも 思い切り失礼なことを言って、氷河はエスメラルダに確認を入れた。
エスメラルダは 氷河のデリカシーのなさを、一輝を家族同然と思っている氷河の謙譲と解したらしく、氷河の言葉に 気分を害した様子は見せなかった。
むしろ、一輝に対する氷河の好意を嬉しく感じているように、エスメラルダは その口許に微かな笑みを刻んだ。

「一輝は とても優しくて、まっすぐで――」
「それは知っているが、それがわかる女がいるとは思わなかった」
それが わかるのであれば、エスメラルダは稀有な人材である。
しかも、あの一輝が好意を抱いている。
空前にして絶後、1000年に一人の逸材。
この先、彼女以上の逸材が出現する可能性は限りなく小さい。
氷河は、この得難い少女を 逃すわけにはいかなかったのである。
他でもない、自分の恋のために。

「つまり、二人の恋の障害は借金だけということだな? 恋の障害である借金がなくなったら、君は 一輝の彼女になってくれるんだな?」
「え……あの……」
エスメラルダが頬を上気させて、もじもじする。
清く正しく美しく。瞬に勝るとも劣らないほど――今時 時代錯誤といっていいほどの 清純派。

氷河は、心の中で、エスメラルダという少女に感嘆していた。
瞬と同い年ということは、高校1年、16歳。
社会的に見れば、十分に子供である。
その若さ(むしろ、幼さ)で、しかも女子の身で 一輝のよさがわかるとは、好みが渋いにも程があるというもの。
氷河は、何としても、彼女と一輝を結びつけなければならなかったのである。
彼女を逃せば、一輝には永遠に彼女などできまい。
一輝に永遠に彼女ができないということは、一輝が いつまでも 彼の弟の恋を邪魔し続けるということなのだ。
それだけは避けたい。
そんな悪夢のような事態を避けるために――氷河は、何としても、エスメラルダと一輝の恋を実らせなければならなかったのだ。

「諦めるな! 絶対に諦めてはならん! 諦めは愚か者の結論だ!」
エスメラルダのため、瞬に恋する男のため――否、むしろ 地上世界の平和のため、エスメラルダと一輝は結ばれなければならない。くっつかなければならない。必ず、くっつける。
“くっつける”と決めたら、くっつけるのが 氷河という男だった。

「瞬の兄のためだ、俺も協力を惜しまない。こういう時、手っ取り早く金を儲けるには――」
「ベーリング海にカニ漁にでも行くか? 噂じゃ、2ヶ月で2000万くらいは稼げるって聞くけど」
「2ヶ月もベーリング海に出稼ぎに行っていたら、グラードの奨学生資格を失うだろう」
「ほう……」
半ば本気、半ばは冗談の星矢の提案を、氷河が 長期的展望に立った 極めて真っ当な理由で却下するのに、紫龍が短く感嘆の息を洩らす。
普段は 本能と感性に任せて、快適であることを最重要視して生きている氷河が、こんなふうにまともな判断ができるのは、彼が本気モードに入っている時に限られている。
氷河は 本気で 一輝とエスメラルダの恋の障害を取り除く作業に取り掛かることにしたのだ。
その事実に、紫龍は感嘆の息を洩らしたのである。

いくら自分の恋のためといっても、エスメラルダが気に入らなかったら、氷河は本気モードに入ることはないだろう。
氷河は、外見だけでなく内面も瞬に似ているエスメラルダが 不遇の中にいることが許せないようだった。
そして、本気モードのスイッチが入った時の氷河は、普段の彼からは想像できないほどクールである。

「今時、最も手っ取り早く金を儲ける手段といえば、ユーチューバー 一択だ」
「は? ユーチューバー? 何だ、そりゃ」
ベーリング海でのカニ漁のことは知っているのに、ユーチューバーを知らない星矢も 大概だが、クールな氷河は 星矢の無知ごときに いちいち腹を立てるようなことはしないのである。

「ユーチューバーというのは、動画をWeb上で公開し、その動画再生数によって広告収入を得る者たちのことだ。ベーリング海にカニ漁に出て、その動画を公開するのも悪くはないが、それは既にディスカバリーチャンネルで やっているし、時間がかかる。二番煎じでアクセス数を稼ぐことはできない。短期間で大量のアクセス数を稼ごうと思ったら、多くの人間が興味を持つ 新しいコンテンツを提供しなければならん」
多くの人間が興味を持つ 新しいコンテンツ。
それを簡単に思いつけたら、苦労はない。
が、氷河には どうやら策があるようだった。

「瞬、おまえ、一輝とエスメラルダのために、力を貸してくれるか」
「もちろんだよ」
「少し無茶をさせるかもしれんが」
「ミスコンに出ること以上の無茶なんかない。何だってするよ」
確かに正真正銘の男子がミスコンに出場し、グランプリに選ばれること以上の無茶はない。
その無茶を既に経験済みの瞬が、氷河の借金返済計画への協力要請を快諾したのは 自然な流れだったかもしれない。

「おまえが女子高生ミスコンで優勝するドキュメンタリーでも、アクセス数は相当 稼げるだろうが……」
恐ろしい呟きを呟く氷河の目付きが、異様なほどクールである。
クールな氷河は、それから 僅か2週間で、エスメラルダの借金返済の目途を立ててみせた。






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