ナターシャちゃんは死にかけ、消えかけていた。 僕と氷河の、小さな可愛い娘。 自分の死を知った時、ナターシャちゃんは、僕が いつもナターシャちゃんに話していた“最高の日”を氷河にあげられないことを悲しんで、だから、あんな夢を作ったんだろうか。 20数年間、僕たち親子が幸せに暮らす夢。 最高の日を 大好きなパパにあげたくて、そのために、僕と氷河を巻き込んで、ほんの一瞬の間に、ナターシャちゃんは あんな長い長い夢を作った。 僕と氷河が若いままなのも道理。 ナターシャちゃんの彼の顔を思い出せないのも道理。 彼がナターシャちゃんの身体の傷について、説明を求めることはおろか、言及さえしなかったのも、そういうことだったんだ。 ナターシャちゃんは、氷河を悲しませたくなかった。 大好きなパパが、自分のせいで泣くのが嫌だったんだね。 ナターシャちゃんは、それくらいパパが大好きだった。 そんなにも パパを愛していた。 こんなに小さいナターシャちゃんの愛の力の強さ、大きさ。 どうして こんなに健気で優しいナターシャちゃんが死ななければならないの。 ナターシャちゃんの小さな亡骸の前で、僕は涙が止まらなかった。 涙のせいで、しばらく気付かずにいた。 ナターシャちゃんの小さな亡骸を 腕に抱いた氷河が、涙を流すこともできずにいることに。 「許さん。ナターシャが死ぬ世界など 許さん。俺は もう失いたくない……二度も失いたくない……」 氷河の小宇宙が異様に増幅していた。 冷たく――冷たく、負の方向に、死の方向に、憎の方向に、恨の方向に。 氷河の頬に血の気はない。 青い瞳が、すっかり灰色。ううん、濁った氷の色に近い。 僕は、自分の悲しみや ナターシャちゃんの健気に涙している場合じゃなかったんだ。 僕よりずっと、ナターシャちゃんの愛と死を悲しみ、苦しみ、傷付いている人がいる――。 「氷河! 氷河、落ち着いて。氷河、正気に戻って……!」 氷河、かわいそうに……かわいそうに。 かわいそうな氷河。 幼い頃、お母さんを失った時にも、氷河は悲しかったろう。苦しかったろう。 氷河のマーマは、ただ 氷河への愛ゆえに死んでいった。 そして また、氷河は“ナターシャ”を失う。 しかも逆縁で。 二度目の喪失で、幼いのは氷河ではなく、死んでいくナターシャちゃんの方。 ナターシャちゃんも、氷河のマーマ同様、氷河を誰より愛していた。 氷河も誰より愛していた。 ナターシャちゃんも、氷河のマーマ同様、罪なくして死んでいく。 かわいそうに。 氷河、かわいそうに。 氷河が悲しむ姿は、僕だって見たくない。 どんなことをしても、僕は氷河の幸福を守るよ。 氷河の幸福を願って、氷の海に自分の命を沈めた氷河のマーマのために。 『パパを悲しませたくない』の一心で、あんな幸福で悲しい夢を作ってみせたナターシャちゃんのために。 そのためになら、僕は、僕の中にある力のすべてを使う。 たとえ、その力が、自然に逆らい、道理に背くものであっても、僕は必ず氷河を守る。 |