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ナターシャは、城戸邸が大好きだった。
「ナターシャは、沙織サンのおうち、大好きダヨ! 探検しても探検しても、まだ知らないお部屋があるんだモノ。トレーニングジムもあるし、階段は横幅があって長くて 舞踏会する お城の階段みたいだし、プラネタリウムもあるし、お庭も広くて、おうちに公園があるみたいダヨ!」
という、実に明快な理由で。
ナターシャにとって城戸邸は、冒険心をくすぐる未知の場所と運動場、おとぎの国の壮麗なお城とプラネタリウム、更には公園までをも兼ね備えた、大きなテーマパークのようなものだったのである。

その日の瞬たちの城戸邸訪問の目的は、一応 新年の挨拶ということになっていた。
社会的地位のある一般人の年始回りの客で立て込むだろう松の内を避けての訪問。
沙織と魔鈴は慣れたもので、ナターシャが城戸邸に来る時には、邸内の労使を問わない すべての住人の私室や執務室、貴重品や機密情報のある部屋等、子供に入られると まずい部屋への施錠を徹底するよう、事前に指示済み。
城戸邸の対ナターシャ迎撃態勢は完璧だった。

「沙織サン、魔鈴お姉ちゃん、こんにちは! ナターシャは元気だったヨ! 沙織サンは今日も綺麗。魔鈴お姉ちゃんは 今日も男前ダヨ! ナターシャは、オトナのお話の邪魔はしないヨ! ナターシャは こないだの探検の続きをするヨ!」
沙織の家に来たら、まず探検。
お茶とケーキは、探検をして おなかをすかせてから。
必要な挨拶を済ませて、客間を出ていこうとしたナターシャを、瞬は慌てて引き止めた。
ナターシャの前にしゃがんで、彼女の視線を捉え、城戸邸探検時の注意事項を確認する。

「ナターシャちゃん。早く探検に取りかかりたい気持ちは わかるけど、入っちゃ駄目なお部屋と しちゃいけないことは わかってるね? それから、物を壊さないこと、汚さないこと」
「ナターシャが入っていいのは、お庭と 廊下とホールとジムと 1階の鍵がかかってないお部屋ダヨ。2階は みんなのお部屋があるから入っちゃダメ。銅像に よじ登っちゃダメ。プラネタリウムは、沙織サンか魔鈴お姉ちゃんが一緒の時だけ。階段の手擦りを滑り台にしちゃダメ。人や物に衝突したら危ないから、廊下は走らず ゆっくりと! ダヨ」
これまで瞬に言われたことのある注意事項を全部 復唱して、ナターシャは自信満々で頷いた。
「ナターシャは、いいつけを守る イイコだから、全部OKダヨ。ナターシャは、魔鈴お姉ちゃんに怒られたことないヨ。怒られるのは、星矢お兄ちゃんダヨ」

早く探検を始めたくて、ナターシャは気が急いているのだろう。
自分が いい子であることを早口で繰り返し強調し、ナターシャは 大人からの『よし』を待った。
「確かに、星矢に比べれば、ナターシャは100倍も いい子だ」
魔鈴から “いい子”のお墨付きをもらって、ナターシャは得意顔。
瞬は、その場に立ち上がって 沙織に会釈をしてから、ナターシャに『よし』を与えた。
「じゃあ、気をつけて。誰かに会ったら、ちゃんと ご挨拶をするんだよ。喉が渇いたら、この部屋に戻ってくること」
「ハーイダヨ!」

大きな声で返事をし、客間のドアまでは駆け足で、走ってはいけない廊下に出た瞬間から 大股で歩き出すナターシャは、確かに 言いつけを守る いい子である。
ナターシャが探検から戻ったら、『お部屋の中も走らずに』という言いつけを追加しなければなるまい。と、瞬は思った。
「すみません、沙織さん。お転婆で、元気があり余っていて……」
「私が ナターシャちゃんの頃には もっと じゃじゃ馬だったもの。叱る資格は私にはないわ」
「あ……」

沙織の寛大な言葉に、瞬の胸中を 冷や汗が伝う。
そこに畳みかけるように、
「ナターシャのお転婆を叱る権利と資格を持っているのは、この場には おまえしかいないな」
笑いもせずに真顔で そう言ってのける氷河の恐れ知らずに、瞬の全身の血一瞬で凍りついてしまったのだった。



いつもは30分ほどで、大人たちの許に戻ってくるナターシャが、
「マーマ、ナターシャ、喉が渇いたヨー!」
と言って客間に飛び込んできたのは、彼女の探検が始まってから1時間以上が経ってからだった。
いかに探検好きでも、ナターシャが一人で遊んでいられるのは30分が限度――と思っていたので、瞬は ナターシャの記録更新に 少なからず驚いたのである。

「随分、長いこと 探検してたみたいだけど、今日はどこを探検してきたの? まさか、門の外には出ていないよね?」
「あちこち、イッパイ。お外には出てないヨ。オトナじゃないナターシャくらいの女の子に会ったんダヨ。ナターシャとおんなじで、探検が大好きなんだって。二人でかくれんぼをしたヨ」
「え? ナターシャちゃんと おんなじくらいの女の子?」
「ウン。パパとマーマを探してるんだっテ。でも、ナターシャと会ったから、パパとマーマを探すのは ちょっと中断して、二人で遊んだんダヨ」
「……」

100人の子供たちが 聖闘士になる修行のために この屋敷を出発した日以降、城戸邸に沙織以外の子供が暮らすことはなかった。――と、瞬は聞いていた。
もちろん、子供を伴ってやってきた客人や 子供を育てながら城戸邸で働いていた人間は多くいただろうが――と 考えて、前者のパターンであるところの瞬は、後者のパターンの可能性を、沙織に問うた。
「こちらに、お子さんと一緒に住み込んで お勤めの方がいらっしゃるんですか?」
「そんな小さな子供のいる使用人は、今は いないはずだけれど……」
人事を含む屋敷の管理は すべて魔鈴に泣かせているのだろう。
今ひとつ確信を持てていない様子で 沙織が魔鈴を見やり、魔鈴は彼女の女主人に首肯した。
「はい」
「今、庭の木に寒肥の作業をしてもらっているから、その職人さんが お子さんを連れてきたのかもしれないわね」

客間の窓の向こうには、沙織が――当然、瞬たちも――幼い子供だった頃から 変わらず同じ場所に立っているニレの巨木が見える。
そんなものに感傷を感じようもない魔鈴は、沙織の推察に苛立ち気味。
「だとしても、私に無断で邸内に子供を入れるとは。あとで注意しておかなければ」
彼女は厳しい口調で ほぼ独り言のように そう言って、拳を握りしめた。
ここで沙織と共に感傷に浸ってしまう人間では、今の沙織のボディガードは 務まらないのだろう。
それは わかっているので――瞬は、沙織と、少しく寂しい気持ちで 目配せをし合ったのだった。






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