翌々日、ナターシャを城戸邸に連れてくるようにと、魔鈴から指示があった。
アクエリアスの氷河やバルゴの瞬への指名はなく、ナターシャ。
『氷河は 今ひとつ頼りにならないので、瞬に連れてきてほしいんだが、瞬には仕事があるだろうから、瞬が無理なら 氷河でも構わん』
という指示の仕方をされたのでは、瞬が行かないわけにはいかず、氷河は氷河で、頼りになるところを見せなければならないので、当然 ついていくと言い張る。
幸い 準夜勤明けで時間は取れたので、瞬は 氷河とナターシャを伴って――もとい、瞬と氷河は ナターシャのお供をして――再度 城戸邸に向かったのだった。


城戸邸が大好きなナターシャは、中一日での城戸邸再訪問に大喜びだったが、客間で魔鈴の険しい顔(仮面)を見た途端、今日は探検をして遊べそうにないことを、ナターシャは勘良く感じ取ったようだった。
ソファに掛けている氷河と瞬の間で しばし悩んでから、ナターシャは 最終的に氷河の膝の上に上った。
今日の“オトナのお話”が 瞬と魔鈴の間で為されると判断してのことだったろう。
オトナのお話の邪魔をしないのが いい子であり、大人の都合を忖度できるナターシャは もちろん とても いい子なのである。
ナターシャの予想通り、今日のオトナのお話は 魔鈴と瞬の間で始まった。

「単刀直入に言う。庭の手入れをしている造園業者は 子供など連れてきていないと断言した。この屋敷が そんなことの許される場所でないことは承知していると」
『こんにちは』も『よく来たな』もなく、本題開始。
(おそらく)魔鈴の険しい声と態度を和らげるために、彼女の隣りで 沙織が小声で、
「ナターシャちゃん、いらっしゃい」
と言って、微笑を作ってくれた。
いい子のナターシャも、小声で、
「沙織サン、こんにちはダヨ」
と、ご挨拶をする。

「それで、無断で邸内に子供を入れた者を突きとめて注意しようと思ってね、ナターシャが一緒に遊んだという子供が どんな子なのかを、防犯カメラの映像で確認したんだよ」
「映っていたんですか?」
それで侵入者の面通(めんとお)しをするために、唯一人の目撃者であるナターシャを呼び寄せた――ということなのだろうか。
だが、防犯カメラの映像があるのなら、ナターシャの証言は必要ではないし、ナターシャに その映像を見せたところで、その子供の保護者がわかるわけでもない。

では、何のためにナターシャを呼んだのか――。
瞬が首をかしげると、魔鈴は 仮面の向こうで(おそらく)ひどく深刻な顔になった。
「防犯カメラに映っているのは、ナターシャ一人だけだった。無論、全方位撮影の防犯カメラにも 死角はある。隠れんぼをしていたというのなら、二人がいつも同じ場所にいたわけでもないだろう。たまたま ナターシャしか映らなかっただけということも、かなり無理をすれば考えられなくはない。だが、映像のナターシャは 確かに誰かと至近距離で話をしているようなんだ。しかし、その相手の姿が映っていない」

沙織にどんな被害も及んでいないのに、魔鈴がここまで厳しい様子でいるのは、もしかすると、城戸邸への不法侵入者を確かめるためではなく、ナターシャの心を案じてくれてのことなのかもしれない。
――と、瞬は思ったのである。
魔鈴は、ナターシャ自身を危険な存在と思っているわけではないだろう。
それなら 彼女が、沙織のいる城戸邸に ナターシャを連れてこいと命じるはずがない。

「ひょっとしたら……小さな子供が よく作る 空想の友だちなのかもしれません」
最近は、ナターシャの身体の傷を見ても 特段 意識することもなくなったが、ナターシャの肉体とその命は 普通の子供のそれと同じではない。
だが、ナターシャの心は いたって普通。
普通どころか、就学年齢にも至っていない幼い少女とは思えないほど、ナターシャは人の気持ちを慮ることができるし、知能も高い。
もし 魔鈴が それを病気として案じているのなら、それは普通の子供にも よく起きる事象であり、決して病気ではないのだと知らせるつもりで、瞬は言ったのである。

「イマジナリーフレンドというやつか」
氷河が 横から口を挟んだのは、アクエリアスの氷河レベルでも知っているような事柄(事象)を魔鈴が知らないことがあるだろうかと、彼が訝ったからだったらしい。
幼い子供が作り出す空想の友だちについての知識を、魔鈴が有していたかどうかは 定かではないが、それは大きな問題ではなかった。
魔鈴が案じていたのは、ナターシャにだけ見えるナターシャの友だちのことではなく、第三者にも感じ取れるナターシャの友だちのことだったのだ。

「カメラの映像には、確かに 人間の姿は映っていない。だが、何かあると感じられるんだ。私やアテナには。小宇宙のような、小宇宙とは異なる何らかの熱量のような、空間の歪みのような――」
「何かがある……?」
「ああ。しかし、映像では、そこに何かがあることしか感じ取れないので、実際に あれと接したナターシャに確かめたくてな」

氷河の膝の上に座っているナターシャは、大人たちの話を聞いて、自分が昨日 遊んだ友人の実在と素性が疑われているのだということを、しっかり理解しているようだった。
が、ナターシャ自身は、自分の友だちに対して いかなる不審も感じていないし、いかなる不信感も抱いていないのだろう。
「おまえが会った子供は どんな子供だったのだ? 女の子だと言っていたな。歳は? 名前は? どんな格好をしていたか、憶えているか?」
魔鈴の質問へのナターシャの答えは、幼い子供の目撃証言としては かなりしっかりしたものだった。

「ンートネ。歳と身長は ナターシャとおんなじくらいダヨ。デモ、髪は、春麗お姉ちゃんみたいに 一つにまとめて編んでタ。水色のワンピースの上に 袖なしの白いレースの短い上着を着てた。オシトヤカに見える可愛い服だっタヨ。名前はナターシャ」
「名前がナターシャ?」
「魔鈴さんが訊いているのは、ナターシャちゃんじゃなく、ナターシャちゃんが会った女の子のお名前だよ」
「ウン。ナターシャだって言ってタ」
「それは……二人のナターシャちゃんがいたということ?」
念のために、瞬がナターシャに確認を入れると、ナターシャは力強く頷いた。

「それはナターシャの名前ダヨって言ったら、そんなことないって。ナターシャの名前は、パパのマーマからもらった名前だから、それだけでもう ナターシャは二人いるでショ? だったら、ナターシャが世界に一人だけってことはないカナって、ナターシャ、思ったノ。デモ、ナターシャも あの子もナターシャだと コンガラガッチャウから、だから、区別するために、ナターシャがナタちゃんで、あの子をナーちゃんって呼ぶことにしたんダヨ」
「ナタちゃんとナーちゃん? 考えたね」
ナターシャという名の子供が この屋敷の中に本当に二人いたのなら、ナターシャの言うことは 極めて筋が通っている。
少なくとも、その場にいる大人たちは、ナターシャの説明に論理的な矛盾は見い出せなかった。

「その子は、誰に連れられてきたのか、言っていなかったか」
「このおうちに住んでるみたいだったヨ。毎日、このお屋敷を探検してるって言ってたカラ」
「毎日?」
「ウン。ナーちゃんは、このお屋敷で、ナーちゃんのパパとマーマを探してるんだって言ってタ。もうずっと長いこと探してるんだっテ。ナーちゃんのパパとマーマは、世界の平和を守るために悪者を退治しに行ったんだヨ。ナーちゃんは、いい子で待ってるって、パパとマーマに約束したノ。……ナーちゃんのパパとマーマは、まだ戦ってるのカナ……? ほんとは帰ってきてるんじゃないかって、ナーちゃんは疑ってるみたいだッタ。だから、ナーちゃんは、ナーちゃんのパパとマーマを探してるんだと思ウ」

昨日 初めて知り合って、ほんの1時間ほど 一緒に遊んだだけの少女の気持ちを、ナターシャは かなり深いところまで把握できているらしい。
ナターシャは、それを、彼女の理性と知性で 観察し判断して掴んだのだろうか。それとも、二人の少女の感性や心が共鳴し 自然に感じ取れてしまったのか。
いずれにしても、二人のナターシャが出会ったのは、どんな繋がりもなかった二人の男女が偶然 出会って恋に落ちるような現象とは、出会いの質が違うようだった。

「ナーちゃんは、ナーちゃんのパパとマーマが 帰ってきてくれないんじゃないかって不安ナノ。ほんとは 帰ってきてるのに、ナーちゃんに会いに来てくれないだけなのかもしれないって、不安ナノ。ナーちゃんのパパとマーマも ナーちゃんを探してるのかもしれないって、不安ナノ。大きなおうちだから、ナーちゃんも ナーちゃんのパパとマーマも みんな迷って、会いたい人を見付けられないでいるのかもしれないって。ダカラ、ナーちゃんは 毎日パパとマーマを探してて、その途中で、ナターシャを見付けたんだっテ。それで、パパとマーマを探すのを中断して、ナターシャと遊んダノ。ナーちゃんは、ずっと一人でパパとマーマを待ってたカラ、誰かと お話するのもヒサシブリだって言ってたヨ」
「……」

世界の平和を守るために 悪者退治に向かった、ナターシャのパパとマーマ。
パパとマーマに、いい子で待っていると約束したナターシャ。
だが、彼女のパパマーマは帰ってこない。
ナターシャを迎えにきてくれない。
帰ってこないパパとマーマが、もしかすると本当は帰ってきているのかもしれないと疑って、邸内を探しているナターシャ。

瞬と氷河は、顔を見合わせた。
瞬と魔鈴は、顔を見合わせた。
沙織も氷河も――大人たちは、それぞれに顔を見合わせて、自分たちが おそらく同じことを考えているだろうことを確認し合ったのである。
ナターシャが出会った、もう一人のナターシャこと ナーちゃんは、おそらく異世界のナターシャである。
そして、その世界では、この世界とは違う戦いがあった。あるいは、同じ戦いが 違う結末を迎えたのだ――と。

氷河の膝の上に座っているナターシャを抱き上げて、瞬は彼女を自分の膝の上に横に座らせた。
そして、彼女の顔を覗き込む。
「ねえ、ナターシャちゃん。ナーちゃんが いそうなところはわかるかな? ナターシャちゃんは、ナーちゃんを見付けられる? 僕たち、ナーちゃんが ナーちゃんのパパとマーマのところに帰れるようにしてあげたいんだ」
「ンー……。ナーちゃんは、かくれんぼ、すごく うまいんダヨ……」

ナターシャは、あまり自信はないようだった。
それでも ナターシャが、
「でも、ナターシャ、絶対にナーちゃんを見付けるヨ!」
と宣言して 瞬の膝から飛び下りたのは、“ナーちゃんを、ナーちゃんのパパとマーマの許に帰す”という、ナーちゃん捜索の目的を聞いたからだったろう。
我が身をナーちゃんに置き換えて考えたら―― ナターシャは 何としてもナーちゃんを見付け出し、彼女を彼女のパパとマーマの許に帰してやらなければならないと思わずにいられなかったに違いなかった。






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