ある人間のクローンは、自身のオリジナルである個体に対して どのような思いを抱くものなのか。
生命倫理上の問題が解決されず、人間のクローンを作ることが禁止されている現状では、その答えを過去の事例に求めることはできない。
クローンとオリジナルの どちらか一方だけが、極めて豊かで恵まれた人生を謳歌し、もう一方は そうでない場合は、両者の間に 羨望や妬み、憎悪、恐れ、侮り、もう一方の消滅を願う気持ち等が生まれる可能性があるだろう。
もちろん、深い愛情や親近感が生じることもあるに違いない。
それは クローンが作られた目的や経緯、環境、二人が その事実を知らされていたのか、知らずにいたのか、二人が共に過ごしていたのか、離れて生きていたのか等の要因によって違ってくるだろう。

瞬が 自分のクローンに対して抱いた最初の思いは、『僕のせいで申し訳ない』だった。
できる限りの償いをしたいと思った。
彼が 幸福になることを願った。
瞬が そう思ったのは、瞬が自分を幸福で幸運な人間だと思っているからだった。
そして、瞬の価値観では、スキアを 幸福な人間だと思うことができなかったから。

だが、氷河は、それをナンセンスだと言うのだ。
「おまえは いつも社会から虐げられてきた。幼い頃は、生きているのに精一杯。聖闘士になってからは、毎日 死線の上を綱渡り。それに比して、あいつは どんな憂いもなく、毎日 お花畑で のほほんとしていたんだぞ」
と、スキアのいるところで 大声で言う。

氷河が そんなことを言うのは、優しさからだということは わかっているのである。
心から信じられる仲間たちに巡り合えたという、その一事だけで、瞬は誰よりも幸福な人間だった。
瞬が そう思っていることを、氷河も知っている。
氷河は、瞬が負い目を持たないようにするため、スキアが、瞬を妬み 憎む事態を回避するため、スキアを幸運幸福と見る見方もあることを スキアに知らせるため、あえて皮肉な大声で、そんなことを言うのだ。

しかし――それが氷河の優しさだということが わかるのは、氷河という男の人となりを知っている彼等の仲間たちだけで、氷河を知らない人間は――スキアは――氷河を非情で 思い遣りのない冷血漢と思うだろう。
そう思うような人間には そう思わせておけばいい――というのが、氷河のスタンスである。
“誤解を恐れない”と言えば聞こえがいいが、要するに、氷河は面倒くさがりで不親切なのだ。
氷河が優しいことを知っている瞬は、氷河が誤解されるのが嫌だった。

スキアが口をきかないせいで、彼の価値観や性格が わからないことも、瞬を不安にした。
氷河が懸命に『瞬より おまえの方が はるかに恵まれている』と スキアを挑発・鼓舞しても、氷河の狙い通り、スキアが元気に(?)反発してくれるとは限らない。
氷河の言葉を、言葉通りに受け取って、スキアは 自分の幸福を負い目に思うかもしれない。
自分だったら そう考えるだろうと思えるから、瞬の不安は募った。


物事を考えたり、物事に感情を動かす術を知らないのではないかと思うほど 無表情無感動に見えていたスキア。
そのスキアが、不思議な目をして、氷河を見詰めている場面を、瞬たちが しばしば目にするようになったのは、スキアが城戸邸に来てから、1週間ほどの時間が過ぎてからだった。
瞬は、ひたすらスキアに気を遣い、星矢はスキアを元気づけようと明るく陽気に彼に接し、紫龍は 誰に対しても公平そして穏やか。
氷河だけが、スキアを敵視し、突っかかっていく(ように見える)。

スキアは、なぜ自分が氷河に冷たくされるのかが わからず、戸惑っているようだった。
星矢が派手に道化ても、紫龍に気遣いを示されても、表情や感情の動きを見せてくれなかったスキアが 初めて示した“感情らしきもの”が それ。
瞬は、その事態を放っておくことはできなかったのである。






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