“生贄”という言葉を聞いたことはありますか? 生贄というのは、神様への供物として生きた動物を捧げること。または、その動物のこと。 人間を神様への生贄とすることを、特に“人身御供”と言います。 この人身御供という行為は、昔は世界中で行なわれていました。 アジアでは、中国や日本で 山の神、海の神、川の神、あるいは神格化された貴人に恵みを求めて、あるいは 怒りを鎮めてもらうために、多くの人間を生贄として捧げました。 そのため、古代の大きな お墓からは、たくさんの人骨が発掘されます。 アメリカでは、インカやアステカでは、国王や屈強な戦士たちが 自らの高貴な生き血を神に捧げていました。 欧州でも、ローマ帝国では、国家存亡の危機には、神の加護を求めて、幾人もの奴隷を広場に埋めました。 ギリシャのアテナイでも、貧しい浮浪者に 裕福な市民たちの罪をなすりつけ、その浮浪者の命を神に捧げることで、神の許しを得ていたといいます。 そんなふうに、人間を生贄として神に捧げることは 世界中で行なわれていたのです。 ですから、これから私が話すお話の舞台である国を 野蛮な国だなんて思わないでくださいね。 神様に助けてもらうために人間の命を捧げることは、昔は ごく普通のことだったのです。 いいえ、今だって十分に普通のことです。 アテナの聖闘士たちが地上の平和を守るために 命をかけて戦うから、その姿と努力に胸打たれたアテナは、地上世界を救うために、彼女の同胞である神々を倒すこともしてくれるのです。 人間は、アテナに彼女の仲間を殺させているんです。 人間だけが犠牲を出さずに 平和を手に入れようなんて、それは虫のよすぎる話でしょう。 あ、でも、安心してください。 このお話は、とっても賢い王様のお話ですから、とっても賢い王様が、その賢さで平和と幸福を勝ち取るお話です。 当然ハッピーエンドですからね。 はい。 では、本題に入りましょう。 お話の舞台は、うんと昔々、古い古い時代の北の国です。 うんと昔々、古い古い時代の北の国は、一年中、国土のほとんどを雪と氷に覆われている寒い国でした。 国の面積は 世界の陸地の4分の1ほどを占めていて、とても広い国なのですが、なにしろ一年中雪に閉ざされている寒い国では、農作物は ほとんど育ちません。 動物だって、国の南端の一部で山羊が飼われている他は、寒さに強い野生のトナカイやクマやキツネがいるくらいで、豚や羊は飼えません。 海に出れば、魚はたくさんいるのですが、肝心の海面が凍っています。 北の国は、ですから、とても貧しい国でした。 北の国の民は、食べ物も衣服も住まいも質素。 ある事情があって、北の国の王様は、代々 とても美しいのですけれどね。 寒くて、貧しくて、食料もろくにない北の国。 けれど、そんな北の国にも よいところはあります。 北の国はとても寒くて貧しい国でしたので、他国の侵略の標的になることがありませんでした。 北の国に他国の軍隊が攻め入ってきても、北の国の寒さに慣れていない侵略軍の兵士たちは 武器をとって戦う前に凍え死んでしまうのが落ち。 広い国土を侵略し尽くすには、多くの兵士が必要でしょうが、その兵士たちの食料は 北の国の内では決して手に入りません。 そもそも そんな余剰の食料は、北の国にはないのです。 北の国は 自然は厳しく、民は貧しい。 その厳しさ貧しさのせいで、北の国は 争い事のない、とても平和な国でした。 戦乱の打ち続く生国に嫌気がさして、寒くて貧しい北の国に逃げ込んでくる人だっているくらいなんですよ。 そんなふうに 平和なことは平和なのですが、農作物は実らず、家畜も ほとんど飼えず、氷の海での漁は命がけ。 となったら、北の国の民は、毎日のご飯も満足に食べられません。 そんな北の国が 滅びることなく 存在し続けているのは、広い世界の中でも 北の国にしか存在しない、ある資源のおかげでした。 その資源を外国に売り、そのお金で食料を買いつけて、北の国の民は 何とか命を繋いでいたのです。 他国から買いつけた麦やトウモロコシやジャガイモは、北の国の民の食料にもなりましたが、ウィスキーやウォッカの材料にもなります。 北の国の民は、寒いところにしかいないトナカイやヤギの乳で北の国特製のチーズやバターも作ります。 北の国には薬効のある温泉が多いので、その温泉水を沸騰させて作った温泉粉を薬として売ることもできました。 外貨を手に入れることのできる北の国の輸出品は、でも、それくらい。 北の国の民が、自分の家族のために 自分の家族の分だけ、お酒を造ったり、乳製品を作ったり、温泉水で薬を作ることは、それぞれの家でできますが、商売として国外に輸出して外貨を稼ぐには 大掛かりな施設が必要。 そんな施設を建てるには お金がかかりますし、大きな施設には維持費もかかります。 そのお金を捻出するのは、北の国では なかなか困難なことでした。 なにしろ貧乏国ですから。 そのためのお金を手に入れられる、北の国のとっても重要な資源――唯一といっていい資源。 その資源というのは、北の国の氷の大地の地下深くに埋まっている、不思議な光る石でした。 奇跡の石、万能の石と呼ばれる、稀少で高価な宝石。 透き通った薔薇色のとても美しい石です。 それこそ一国の王や ものすごい お金持ちが、高い地位や権力、財力を象徴する宝飾品として これ以上の石はありません。 奇跡の石は、石自体が美しいだけでなく、その石を身につけている人を美しくし、病を治し、健康にする力を持っている、まさに奇跡の石でした。 奇跡の石を持つ人間は、美貌、若さ、健康を手に入れることができる――大きな石を手に入れられれば 不死の命をさえ我が物にできると言われていました。 実際には、奇跡の石は 砂粒ほどの大きさのものしか、市場には出回らないのですけれどね。 その奇跡の石を輸出して外貨を得、その外貨で 国の民のための食料を入手するのが、北の国の経済活動。 奇跡の石のおかげで、北の国は、貧しいながらも何とか立ち行くのです。 その奇跡の石は、北の国でしか採れません。 そして、奇跡の石を手に入れられるのは、北の国の王だけ。 管理するのも、北の国の王の務めです。 北の国の王が 奇跡の石を他国に売らず、すべてを自分のものにすれば、北の国の王は 世界の王になることもできるでしょう。 ですが、北の国の王は、そんなことはしません。 そんなことをすれば、北の国の民が飢えて死んでしまいます。 民のいない国の王様になったって、悲しいだけですからね。 それ以前に、奇跡の石は、北の国の王が自由に採掘できるものではないのです。 北の国の王は、石の管理を任されているだけ。 氷の大地の地下深くに埋まっている奇跡の石を地上に運ぶことができるのは、北の国を守護する神だけでした。 北の国の王は、奇跡の石を神から受け取り、その管理をしているだけなんです。 ちなみに、貧しい北の国には王冠などというものはありません。 王の印は奇跡の石のペンダントです。 形も大きさも そら豆そっくり。 石の端に小さな穴が開いていて、そこに麻で作った丈夫な紐を通して、国王の印のペンダントの出来上がりです。 『そんなのが、王冠の代わりなの? ビンボーくさーい』なんて言ってはいけませんよ。 そら豆くらい大きい奇跡の石には、国を幾つか買えるくらいの価値があるんです。 日本なら3つくらい、オーストラリア大陸なら 丸ごと買えるかもしれません。 北の国の王の印である そら豆大の奇跡の石は、世界でいちばん大きな奇跡の石です。 そのペンダントをしている北の国の王様は、とても美しくて、とても健康で、北の国の王でいる限り死ぬこともありません。 北の国の王は、まさに無敵。(最強ではなく)無敵の王でした。 健康で不死といっても、貧しい北の国の王は、何かと心配事や気苦労が多くて、日々のストレスが半端じゃないんですけどね。 |