「どうして 他国を侵略しようなんてことを考えたんです」
浜で氷河に尋ねてくる瞬の声に、罪を咎める響きはなかった。
恨みの色も、憎しみの響きもなかった。
それは、恨んでも憎んでも どうなるものでもないこと、取り返しのつかないことだから。
瞬の穏やかさは、氷河の心臓を優しく鋭く切り裂く短剣のようだった。
痛みも感じないのに、人の心を着実に死に向かわせる刺傷。
瞬に そのつもりはないようだったが。

「強い王になれば、マーマ――母が喜ぶと思ったんだ。生きている花を見たことのないマーマに、花を見せてやりたかった」
『そんなことのために、あの子たちの親の命を奪ったのか』と なじられるのを覚悟して、正直に答えたのに、瞬の短剣は あくまでも優しかった。
「僕は早くに父母を失ったので、氷河の気持ちを理解できないのかもしれません」
瞬から責められないことが、苦しく切ない。
「氷河の望みを叶えてあげられたら、どんなにいいだろうと思います」
瞬は優しくて残酷。
優しすぎて残酷だった。

「氷河は……自分を清らかな人間だとは思っていないの? 氷河は、お母様への愛だけで それをしたんでしょう? 愛というのは、美しく清らかなものだとは思わない?」
瞬は、北の国の王が 直接 冥府の王に呼びかけることを なぜ考えないのかと、問うている。
なぜと問われれば、それは、氷河が自分を清らかな人間だと思ったことがなかったからだった。
母が生きている頃から。

「俺が いくら愚かでも、そんな うぬぼれを抱けるほど 愚かではない。俺は、幾度も自分や他人を傷付けた。自分の都合が悪くなると、平気で他人を頼る我儘。自分の浅慮でマーマを死なせたのも俺だ。ここに来て、おまえに会って、あの子等に会って、自分が どれほど罪深く汚れた人間なのかということを、嫌というほど思い知った。俺の最大の罪は、愚かなことだな。もっと早く気付けば よかった。遅すぎた」
家なら建て直すことができる。
だが、失われた命は取り戻すことはできない。
誰の命も、取り戻すことはできないのだ。

「俺は清らかな人間じゃない。だが、マーマは清らかで、罪など犯したことのない人だった」
それなのに。
おそらく、瞬の宮に身を寄せている子供たちの父母も。
それなのに。

「うん。氷河を見ていれば、わかるよ」
「なに」
「優しく愛情深いお母様。氷河は、お母様に愛され、お母様を愛していた。大切な お母様のために、僕の国を蹂躙した」
「……瞬」
瞬の声音が穏やかすぎて、氷河は そろそろ心臓が止まってしまいそうだった。
もうすべての血は 流れ出てしまった。
「責めてるんじゃないよ。氷河は、氷河の大切な お母様を取り戻そうとしている。でも、お母様を手にかけた者を探し出して、復讐しようとは考えない」
「そんなことをしても、マーマが生き返るわけじゃない」
「うん。氷河は それがわかっている。健全な心。きっと氷河のお母様が育てた心だ。優しい心だよ」
「瞬……」

だが、愚かすぎる。
『マーマを喜ばせたい』
そのために、多くの人が苦しむことに思い至らなかった。
あまりに、愚かすぎる。
どうして、この瞬の故国を滅ぼしてしまったのか。
それは きっと、『母に花を分けてほしい』と頼むだけで済んだのに。
この国の者が、氷河の願いを拒むことは なかっただろうに。

「僕は清らかな人間ではありません。罪を犯したこともある。でも、きっと、完全に清らかな人、どんな罪を犯したこともない人は、この世界に存在しないと思います」
瞬の言う通りなのだろう。
もし瞬が 昨日までは いかなる罪も犯したことのない 地上で最も清らかな人間だったのだとしても、今日 瞬は 氷河のせいで罪を犯してしまった。

それでも、瞬に憎まれたくない。
瞬と離れたくない。
いつまでも一緒にいたい。
心臓というものは、無限に血を生み続けるものなのだろうか。
氷河の心臓は、熱い血を吹きながら、氷河自身に、叶わぬ願いを訴え続けた。


「冥府の王の心を動かせるのは、いかなる罪も犯したことのない 最も清らかな人間だけ。そして、僕は、絶対に 清らかな人間ではありません。でも、氷河と一緒に、氷河の国の神殿に行って、冥府の王に頼んでみましょう」
「え……」
瞬が何を言ったのか、氷河には すぐには わからなかったのである。
てっきり、『氷河が生き返らせるのは、氷河の お母様だけ? そんなことができるわけがないでしょう』というようなことを言われるものとばかり思っていた。
そして、瞬に拒絶されるものと。
瞬は拒絶しなければならないと。

呆然としている氷河に、瞬は 泣いているような目で答えてきた。
「だって仕方がないでしょう。僕は、氷河が好きなんだから。好きになってしまったんだから」
と。






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