「エイプリル・フールっていうのは、“4月の おばかさん”っていう意味だよ。4月1日は、嘘をついてもいい日っていうことになっていて、その嘘に騙された人のことを“4月の おばかさん”って呼んで からかうんだ」 「嘘をついてもいい日……って、本当ナノ……」 明日4月1日は、嘘をついてもいい日。 瞬に そう説明されて、ナターシャは “それが どうしても納得できない”顔になった。 その納得できなさの半分は 落胆でできているように、瞬には見えたのだが、実際 そうだったらしい。 ナターシャは、エイプリル・フールなる日が本当に存在することに、とても がっかりしたのだ。 今日の午後。光が丘公園ちびっこ広場のターザンロープの待ち行列。 そこで、数日後に小学校の入学式を控えているという男の子に、エイプリル・フールというものがあると教えられたナターシャは、『そんな日があるはずがない』と言い張って、自分より年上の男の子と もう少しで喧嘩になるところだったらしい。 幸い、本格的な 言い争いになる前に ターザンロープの順番がまわってきて、喧嘩にはならずに済み、ナターシャはターザンロープのスピードとスリルを心行くまで楽しんだ。 ターザンロープの楽しさで、すっかり そのことを忘れていたのに、帰宅して卓上のカレンダーに目を留めたナターシャは、あの男の子が言っていたエイプリル・フールという嘘のことを、ついうっかり思い出してしまったのだ。 エイプリル・フールという“よくない日”のことを、ナターシャが 氷河ではなく瞬に訊いてきたのは、もちろん、マーマの方がパパより物知りだから(ということになっていたから)だったろう。 しかし、それ以上に。 もしエイプリル・フールというのが、とてもとても悪い嘘で、そんなことを知っているだけでもよくないくらい悪い嘘だった時、“そんなことを知っているナターシャは 悪い子”とパパに思われたくないから、ナターシャは それを瞬に訊いてきたようだった。 パパは、悪者は悪者として問答無用で退治するが、マーマは、悪者を悪者でなくして戦わずに済ませようとするので、万一のことを考えて、ナターシャは まず瞬にだけ確認することにしたのだ。 パパが恐いからではなく、大好きなパパをがっかりさせたくないから。 そのために、パパの前では できる限り いい子でいたいから。 ナターシャは なかなか注意深い慎重派なのである。 「嘘をついていい日が 本当にあるノ? どうして? 嘘はついちゃ いけないんダヨ。そんな日はあっちゃいけないんダヨ。パパもマーマも、いつも嘘をついちゃダメって言ってるノニ……」 それが、パパに訊いても 悪い子と思われるような危険な情報でなかったことには安心したのだろうが、そうなればそうなったで、エイプリル・フールなる日の存在が納得できない。 そんな“悪い日”が堂々と存在していてはいけない。 おそらく ナターシャは義憤にかられて、意地になったように 瞬に言い募ったのだ。 そんな日があってはならない――と。 パパとマーマが正義の味方の おうちの子供は、よその おうちの子供より、ずっと いい子でいなければならない。 そう 自分を戒めて、いつも いい子でいようと努めているナターシャには、そんな“悪い日”の存在が社会的に公認されていることが許せないのである。 怒りと悔しさで泣きそうな目になり、唇を引き結んでいるナターシャの髪を、瞬は そっと撫でた。 「そうだね。もちろん、嘘は ついちゃいけないんだけど、エイプリル・フールって いうのは、もともとは外国のお祭りだったから、ちょっと羽目を外してもいいことになっているんだよ」 「外国のお祭り?」 「そうだよ。今より500年くらい昔にはね、1年が冬じゃなく 春に始まってたんだよ。だけど、ある時、偉い王様が、『これからは、1月1日を一年の始めにする』って、おふれを出したの。国民は、王様の おふれには従うしかなかったけど、でも、それまでずっと春に1年が始まるのに慣れていたでしょう? だから、これまでの1年の始まりも 嘘の新年として お祝いし続けたんだ。そのお祭りがエイプリル・フールで、4月1日は嘘の新年だから、嘘をつき合って、笑って過ごすんだよ」 「じゃあ、エイプリル・フールは悪い日じゃないノ?」 「うん。誰かに嘘をつかれても、4月1日は嘘をついてもいい日だって、みんなが知っているからね。いろんな人が 面白い嘘をついて、みんなを楽しませようとするんだよ」 「そっか。嘘だって わかってるから、誰も騙されないんだ!」 「うん、そうだね」 せっかく ナターシャが、お祭りとしてのエイプリル・フールを容認する気になってくれたようなのに、ここで『誰も騙されないとは限らないけど』と補足説明を付すのは 野暮というものだろう。 ナターシャには いい子でいようとするあまり、柔軟性を欠いた子にはなってほしくない。 彼女が頑迷でないことに、瞬は安堵した。 「だから、4月1日には 嘘をついてもいいんだけどね。でも、もともとは楽しいお祭りだから、人を傷付けたり、悲しませたりするような嘘をついちゃいけないよ」 「人を傷付ける嘘って、どんな嘘? ナターシャ、嘘をついたことないから、よくワカラナイヨ」 正義の味方のパパとマーマの面目を潰さないように、日々 いい子でいようと努めているナターシャならではの発言である。 これが自慢口調ではなく、もちろん嘘でもないことが、ナターシャの清廉潔白振りを物語っている。 ナターシャは、もちろん、全く完全に大真面目なのである。 「うーん。たとえば、ナターシャちゃんが氷河を大嫌いって言ったら、氷河は、それが嘘だってわかっていても、もし嘘じゃなかったらどうしようって心配して、 ご飯も食べられなくなるくらい悲しむでしょう? そういう嘘は駄目なんだよ」 「ナターシャ、そんな嘘はつかないヨ! 嘘をついていい日にだって、絶対 そんな嘘つかないヨ!」 パパを悲しませるようなことは、たとえ殺されてもしない。できない。 そう言わんばかりの剣幕で断言するナターシャの両手は、小さな二つの拳を作っている。 どんな迷いもなく、その拳に強く力を込められるナターシャが、瞬は羨ましかった。 嘘をつかずに一生を全うできたなら、それに越したことはない。 |