「ナターシャちゃん、今年の4月1日には嘘つきごっこは やめよう。エイプリル・フールだからって、無理に嘘をつくこともないからね。それよりも……そうだ。明日は、桜餅を作ろうか。桜餅って、関東風と関西風の2種類があるんだよ。ナターシャちゃんは、どっちの桜餅が好きかなあ」
「サクラモチ? ナターシャ、サクラモチ 食べたことないヨ。ナターシャ、サクラモチを作るヨ!」
パパとマーマが正義の味方をしている おうちの子供には、嘘をつくことより 桜餅作りの方が はるかに ふさわしいレクリエーションであるように、ナターシャには思えたのだろう。
エイプリル・フールの説明を聞いていた時より100倍も やる気満々で、ナターシャは瞳を輝かせた。

「カントーフーとカンサイフーは どう違うノ? パパはどっちが好き? ナターシャは、パパが好きな方を作るヨ!」
「桜餅は、中にあんこが入った、ピンク色のお餅だよ。桜の葉っぱで くるむんだ。氷河は、ナターシャちゃんが作るものなら、関東風と関西風のどっちでも喜ぶと思うけど……」
「えっ。お花じゃなく、葉っぱ? 葉っぱで くるむノ? 桜の葉っぱって、食べられるノ?」
「桜は、お花も葉っぱも食べられるよ。そのままだと美味しくないけど、塩漬けにすれば お花も葉っぱも食べられるし、お花はジャムにもできる。そうだね。今年は、もう間に合わないから、お店で買ってくるしかないけど、桜の葉っぱを取ってきて、来年の桜餅用に、葉っぱの塩漬けを作っておくのもいいね。作り方を覚えておけば、食糧危機の時にも役立つよ」
「スゴイ! ナターシャは、明日、パパとマーマと、桜の花と葉っぱを取りに行くヨ! ナターシャ、明日も来年も食糧危機も楽しみダヨ!」

食糧危機を楽しみにするのには 少々問題があるかもしれないが、ナターシャの歳で 来年を楽しみに思うことができるのは、長期的展望を持って物事を考えられるということ。
いよいよもって、彼女の将来が楽しみである。
星矢や紫龍は 親馬鹿と言うが、親馬鹿で何が悪いのか。
瞬は、ほとんど開き直った笑顔を作った。
「桜のジャムは、花びらの多い八重桜が向いてるんだ。葉っぱも、確か 塩漬けに向いている種類の木があったはずだよ」

その種類を調べるために、テーブルの上にスマホを取り出す。
桜餅の葉っぱの塩漬けの前に、関東風と関西風の桜餅の比較画像を探し出し、瞬は それをナターシャに見せようとした。
「ナターシャちゃん。ほら、これが、関東風と関西風の桜餅――」
言いかけて、自分の周囲の様子が一変していることに気付く。
氷河とナターシャが暮らしている部屋のリビングダイニング。
暖かい空気に満ちていた部屋が、ひどく寒く感じられるようになったのは、そこにナターシャがいないから。
烏龍茶のグラスを脇にどけて、身を乗り出し、マーマのスマホの画面を覗き込んでいたナターシャの姿が かき消えて、今は そこになかった。

「ナターシャちゃん?」
名を呼んでも、返事がない。
たった今まで、ここにいたのに。
たった今まで、ここで 明日と来年と食糧危機の話をしていたのに。
瞬はぞっとした。
背筋が凍りつく。

「ナターシャちゃん? ナターシャちゃん、どこ? ナターシャちゃん、どこに隠れてるの?」
隠れているだけなのに決まっている。
ナターシャは、隠れんぼが好きなのだ。
いつも とても上手に隠れるのに、いつまでも見付けてもらえないと、焦れて、自分から飛び出てくる。
今日も そうなのに決まっていた。
今日こそ、そうであってほしいと、瞬は泣きたい気持ちで思った――否、瞬は既に泣いていた。

「ナターシャちゃん、行かないで! 行かないで、ナターシャちゃんっ!」
返事がない。
今日も返事がない。
「ナターシャちゃん、行かないで。ナターシャちゃん、戻ってきて。ナターシャちゃん、だめ。ナターシャちゃんがいなくなったら、氷河が泣いちゃう! 氷河が……ナターシャちゃん、ナターシャちゃん、氷河を悲しませないで、氷河を悲しませないで、ナターシャちゃんっ! ナターシャ !! 」






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