その日も、氷河は、海を渡って陸地まで飛び、瞬のために、果物と新しいサンダルと櫛、それから 花を一輪 運んできてくれた。 氷河はいつも昼前に陸地に向かい、日暮れ前に島まで帰ってくる。 夜はずっと瞬の側にいて、その翼で瞬を抱き包み、テントの中にいても耐え難い寒さから瞬を守ってくれた。 氷河の翼に包まれ、氷河の胸に頬を押し当てていると、白鳥の翼の中に閉じ込められている囚人には 氷河の心臓の様子が 手に取るようにわかる。 それで、瞬は 氷河の心を読み取ることができた。 白鳥の表情から その気持ちを窺い知ることは困難だが、氷河の心臓は、氷河の表情よりずっと――もしかすると、言葉よりずっと――正直で雄弁だったから。 「氷河は、もしかしたら神様なの?」 「まさか」 「じゃあ、呪いをかけられた王子様なの?」 「俺は、そんな大層なものじゃない」 「白鳥なのに言葉を話せるのはなぜ?」 氷河の心臓が大きく跳ね上がる。 それは きっと、その問い掛けが、氷河にとって とても重大で大切なことだから。 「俺は恋をしたんだ。生まれて初めての恋だ。恋した人に 思いを伝えたいと神に願ったら、神が哀れんでくれたんだ」 恋のために言葉を得たという氷河。 それは事実なのだろうか。 事実なのだとしたら、せっかく 神の哀れみで 言葉を得られたのに、氷河は なぜ その思いを恋した人に伝えようとしないのだろう。 それとも 氷河が恋した人は、彼が この島に さらってきた人間ではないのだろうか。 言葉を操る力を与えられているのに、瞬は――瞬も、その力を使って、氷河に確かめることはできなかった。 うぬぼれだったら、悲しすぎるから。 氷河以外に言葉を交わせる人のいない この島で、希望を失って 一人で生きていくことは、瞬にはできそうになかったのだ。 黙り込んでしまった瞬に、 「兄の許に帰りたいか」 と尋ねてくる氷河の声は、抑揚がなく寂しげだった。 氷河は、瞬に悪いことをしたと思っているのである。おそらく。 だが、氷河は、こうしなければならなかったのだ。きっと。 『帰りたい』と言えば、氷河は、瞬を故国に帰してやれないことを つらく思い、故国に帰してやれない自分を悲しむだろう。 あるいは、氷河は、『帰りたい』という瞬の望みを、瞬のために 叶えてしまおうとするかもしれない。 しかし、そうすれば、氷河は この島で一人ぽっちになってしまう。 それでは、瞬が悲しかった。 「兄さんにはエスメラルダさんがいるし、仲間も友だちも たくさんいるの。大丈夫だよ」 兄には、瞬以外にも、兄を案じる人々や 兄が案じる人々が大勢いるが、氷河には、瞬以外 誰もいない。 瞬は、氷河を放っておくことができなかった――彼を一人にできなかった。 「僕は、氷河がいてくれないと、食べ物も手に入れられない。氷河がいてくれないと、僕は 飢えて死んでしまうんだから、だから、氷河、僕を一人にしないでね」 そう言って、氷河の胸に手を置く。 そして、その胸に頬を押し当てる。 途端に、氷河の心臓が どくどくと 強く速い鼓動を打ち始め、それは なかなか静まらない。 氷河は 自分を好きでいてくれる――少なくとも、嫌っていない。 嫌いなら、彼の心臓は冷たく静かに鼓動を打ち続けているはず。 そう考えてしまうのは、ただの うぬぼれだろうか。 うぬぼれであったとしても、それが今の瞬にとっては 唯一の希望だった。 そうして、半年、二人は 寄り添って眠る夜を過ごしたのである。 |